澤瀉久敬と医学概論
Dr.Hisayuki OMODAKA and his theory of "Philosophy of Medicine"
解説:池田光穂
澤瀉久敬『医学概論』の時代(引 用解説編へ)https://navymule9.sakura.ne.jp/050317omodaka.html
「医学概論は、1966年(昭和41)から衛生学教室が「世話教室」になり、以来、教育、研 究に密接な関係をもつことになった。
本学(大阪大学——引用者)における医学概論の講義は、1941年(昭和16)佐谷医学部長 時代、久保秀雄(第一生理)教授の努力によって創設されたもので、本学のみならず、日本の医学教育史上特筆されるべきものである。その趣旨は“科学の分 類、方法、論理および認識の意義を学生に理解せしめる科学概論と、医学の各領域における歴史を経とし、これに関連せる思想を緯として論述し、以って医学発 達の根底を把握せしめ、将来医学にたいする科学的精神を涵養せしめんとするもの”であった。
講師として招かれたのは、久保教授の友人澤瀉久敬(名誉教授、現南山大学文学部教授)で、 1966年(昭和41)定年退官[ママ—引用者]するまで非常勤講師をつとめた。その間の講義は、科学論、生命論、および医学論の三部作からなる「医学概 論」となって出版され、医学界のみならず、哲学界にも反響をおこした。
1954年(昭和29)澤瀉講師は、本学文学部創設にともない教授となった ので、医学部(梶原三郎学部長)は、医学概論の充実をはかるため京都大学医学部助手(耳鼻咽喉科)のかたわら、医学概論の研究をすすめていた中川米造を専 任講師として採用した。医学概論の専任講師の誕生も本邦ではじめてである。研究室は、衛生学の部屋を割愛して、これにあてたが、「世話教室」は第一生理学 教室であった」[百年史 1978:234-235]。
筆者不詳(澤瀉久敬と推量される)、1978「医学概論研究室」『大阪大学医学伝習百年史』 (基礎講座・研究施設 編)、Pp.234-235、大阪大学医学伝習史刊行会[大阪大学医学部学友会]。
◎おもだか・ひさゆき『いがくがいろん』のじだい
まず、誠信書房から2000年に新装版が復刻された。第一部の構成は下記のとおりである。
序論「医学概論」の進む道
第I部 科学について ——「医学哲学としての医学概論」『医学と生命』1967, p.165.
澤瀉(おもだか)の年譜は本書の奥付などによると次のとおりである。
おもだかひさゆき(1904〜1995年)
文学博士、医学博士
The philosophy of
medicine is a branch of philosophy that explores issues in theory,
research, and practice within the field of health sciences.[1] More
specifically in topics of epistemology, metaphysics, and medical
ethics, which overlaps with bioethics. Philosophy and medicine, both
beginning with the ancient Greeks, have had a long history of
overlapping ideas. It was not until the nineteenth century that the
professionalization of the philosophy of medicine came to be.[2] In the
late twentieth century debates among philosophers and physicians ensued
of whether or not the philosophy of medicine should be considered a
field of its own from either philosophy or medicine.[3] A consensus has
since been reached that it is in fact a distinct discipline with its
set of separate problems and questions. In recent years there have been
a variety of university courses,[4][5] journals,[6][7][8][9]
books,[10][11][12][13] textbooks[14] and conferences dedicated to the
philosophy of medicine. There is also a new direction, or school, in
the philosophy of medicine termed analytic philosophy of medicine. |
医学哲学は、健康科学の分野における理論、研究、実践の問題を探求する
哲学の一分野である。具体的には、認識論、形而上学、生命倫理と重なる医療倫理のトピックを論じることにある。哲学と医学は、ともに古代ギリシアに始ま
り、長い歴史の中でその理念が重なり合ってきた。医学哲学が専門化するのは19世紀になってからである。20世紀後半になると、哲学者や医師の間で、医学
哲学を哲学や医学から独立した分野と考えるべきかどうかが議論されるようになった。その後、医学哲学は、医学哲学とは別の問題や問いを持つ、独立した学問
分野であるというコンセンサスが得られている。近年、医学哲学に特化した大学の講座、雑誌、書籍、教科書、学会など、さまざまなものが出てきている。ま
た、医学哲学には、分析的医学哲学と呼ばれる新しい方向性、あるいは学派が存在する。 |
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◎澤瀉の近代的なマインドセットと対照的に日本には戦前から続く「医道論」というジャンルがある。
澤瀉の弟子にあたる中川米造が考える医道論を藤野(2015)がまとめたものがある→「
「中川[米造——引用者]によれば,明治初期の頃の医学論は西洋医学を
導入した指導者たちによって訓辞をたれる形式の「医
政論」であり,明治中期から末までの日本医学が第一期
黄金時代を迎えた時代の医学論は,成功者たちによる
説教的な道徳を説く「医道論」であったという.大正時
代に入って大学医学部の生理系の教授が,教養として
の「生命哲学」を論じるようになり,昭和に入って開戦,
敗戦といった時代に医学論を担ったのは医師や医学生
たちであったとしている.戦後はほとんどの大学で哲
学者が「医学哲学」を教えるようになった.さらに,昭
和25年頃から一般市民が医学を論じるようになり,広
い意味での社会医学として医学論が始まったと述べて
いる[5]./
中川は,この社会医学の内容を医学概論に積極的に
取り入れたのである. 昭和27年に医学概論の専任講
師となって初めて出版された翻訳本(Galdston, Iago,
1895-1989)『社会医学の意味』
のあとがきの中で,次のような社会医学に対する解釈
をしている./
「現代医学は,まず,肉体から精神を切り離し,生活か
ら神秘を捨てる合理的精神によって始められた.医者
が病人において見るのは,肉体的な,生理的な異常や偏
倚でしかない.医師は技術者として,その技術を売る
ことによって生計を立てる.かつては医師は,神父や
司法官と共に,聖職(Profession)とされた.また医は仁
術であった.しかしながら,魂を否定した医術は,もは
や,合理性のみを基盤とする技術者とならざるを得な
い.」
■澤瀉久敬 著作リスト(ウィキペディアより)
著書
編著
『ベルクソン研究』坂田徳男共編 勁草書房, 1961
『現代フランス哲学』雄渾社, 1968
『世界の名著53 ベルクソン』中央公論社, 1969
『続・現代フランス哲学』雄渾社, 1970
『フランスの哲学』東京大学出版会, 1975
1 理性は死んだか
2 生命を探る
3 現代を生きる
文献
その他の情報
関連リンク