か ならず読んでくださいue

III 政治的暴力とくに国家テロについての人類学的分析

政治的暴力と人類学を考える(グアテマラの現在):Anthropological Analysis of Political Violence, Especially State Terrorism


池田光穂

暴力と権力を対極のものとするアーレント の理念(→政治的暴力の概念)とは裏腹 に、現実の近代国家の暴力装置はその行使を常態的に逸脱してきたことは歴史的に明白である。それを国家によるテラーの行使と位置づけたワルターは、その先 駆的な研究『恐怖と抵抗(Terror and Resistance)』において、国家が濫用する暴力の特長をつぎの三点にまとめている[WALTER 1969]。

つまり、近代国家を生きる我々にとって、 テラーとは日常生活からかけ離れた非日常な出来事ではない。むしろテラーとは、我々の生活空間と壁一枚 隔てたところで進行している事態であり、それらは局所的な特殊事象でありながら同時にかつグローバルな一般的事象である。したがって政治的暴力の意味を社 会的現実に押し戻して人類学的に考えることの意義がここで浮上する。

では政治的暴力の研究について、人類学者 は今までどのような貢献をしてきたのだろうか。

スルカによれば、この種の研究領域は「恐 怖の文化(culture of terror)」という言葉でまとめられる[SLUKA 2000]。

タウシグは、政治的拷問や殺人が局所的 (endemic)に流行すれば、そこに恐怖の文化が繁茂するという[TAUSSIG 1992]。このような文化が「存在」したのが、ラテンアメリカでは、一九七〇年代後半から八〇年代初頭のアルゼンチン、ピノチェト政権時代(一九七三— 八九年)のチリ、そして内戦期のグアテマラであるというのだ。

実際グリーンはグアテマラの内戦時の状況 を「恐れの常套化(routinization of fear)」と呼んでいる[GREEN 1995]。恐怖の文化とは、恐怖つまりテラーを統治手段として採用することにともなう、一種の共同幻想の産物である。いささかスキーマ的になるが、それ をまとめると次のような社会的経過をたどる。

これらの事態が起こるとそれに連鎖して事 後的に社会の人びとの中に次のような意味が形成、共有される。つまり,

貧困の文化」概念が登場した時と同じように、このような主張は文化概念に ついての理解を矛盾する二極に分解化してしまう[LEWIS 1966; LEACOCK 1971]。

つまり「暴力の文化」において、一方では 政治的暴力の発動のプロセスを普遍的メカニズム(作用機序)として説明する。しかし、他方では、この概 念化によって政治的暴力が生起した社会の特殊状況に還元するという本質主義的説明に回収してしまう。これらは一度に両立することができないために「貧困の 文化」論争と同様の問題を抱えてしまう。暴力の文化を措定した際に、普遍主義に立つ説明では、ある政治的暴力が生起した歴史的社会的状況における偶然的諸 条件についての考察を過小評価してしまう危険性があるからだ。

また個別還元主義では、アーレントのいう ところの「権力」を政治的暴力が無力化した際には、アルゼンチン、チリ、グアテマラのように「恐怖の文 化」は社会の固有の文化状況に強く結びつけて説明されてしまう。しかしながら、暴力あるいは暴力後の世界を生きる人間にとって重要なことは、このような用 語法と概念を通して、どのような経路を通って、それが不可避となったのか、ならなかったのか、ある歴史的時点における、より適切な防止策とはなんだったの か、ということを具体的に知ることにある。その審問の動機は、歴史現象から教訓を得るということよりも、同時代的あるいは対位法的に暴力と暴力の対照事象 を見ることにある[例えば、サイード 一九九八、二〇〇一]。

他方、政治的暴力についての人類学調査に ともなう具体的困難も指摘されている。

まず政治的暴力の「現場」という問題であ る。それは、実際に暴力が行使される現場に居合わせるという機会に遭遇することの困難である。現実に拷 問の現場に参与観察が可能であるとは思われないし、待ち伏せ攻撃の最中で質問票を回すことなど考えることはできまい。より多くの研究が結果的に暴力的状況 に巻き込まれてしまった結果の産物である[NORDSTROM and ROBBEN 1995]。もちろん、この現場というのは狭義の政治的暴力のことを指している。

広義の政治的暴力とは、たんに暴力が行使 される現場だけで知り得るものではないし、むしろそのような暴力的状況は日常性の中に組み込まれ、身体 的経験をともなう「記憶」として、我々の前に投げ出されている。また裁判や集会さらには宗教儀礼の現場において様々な形で表出する集合的な想起行為を含ん でいる。

したがって政治的暴力の研究は、最初から 対象を刮目することにともなう困難がある。隠喩的に言えば、政治暴力についての人類学的現場は、当事者 ならびに人類学者が抱えている恐怖というシートに覆われていて見ることができない。とすれば、先のタウシグのいう恐怖の文化とは、暴力の現場を覆い隠そう とする隠喩的暴力(=恐怖)、つまり政治的暴力に対して沈黙を強いようとする恐怖に対抗する研究領域であるとも言える[TAUSSIG 1992]。

また直接的暴力が行使された場合、被害者 と加害者の対立構図というのは、その原因や社会的背景とは別個に比較的明確になる(この問題点は次節で 検討する)。

このようなはっきりした枠組の中で、いわ ゆる文化相対主義をとる調査というものは苦境に立たざるを得ない。特に加害者についての調査研究の場合 は、調査者は微妙な立場に立たされることになる。

ロビン[ROBIN 1996]は、アルゼンチンの「汚い戦争」時における、拷問や超法規的処刑に携わった軍関係者へのインタビューを続けてゆく過程で、加害者たちは、しばし ば我々がステレオタイプするような残忍な性格の持ち主ではなく、高い教養をもつ紳士たちであったことを感じた。それゆえ加害者に対してある種の好意的な感 情移入をしてしまう危険性を彼は危惧している。同様に、政治的暴力をめぐって、加害者と被害者の相互の調査を続けてゆくうちに、そのギャップに苛まれると いうストレスも感じる。彼はこのような民族誌学調査にまつわるストレス状況を民族誌的誘惑(ethnographic seduction)と呼んでいる[ROBIN 1996:72]。

このストレスの原因は、研究対象を純粋に 客体化することや、逆に人権擁護を前提に調査をおこなうことが、研究者自身の道徳的距離のとり方を自動 的に決定してしまうことに起因する。ここから通常の状態ではなかなか遭遇しないような恐怖の事例を、民族誌的に構成することが、いかに異例のことであるか がわかる。そのような研究対象について人類学の民族誌記述の方法論がいまだ十分に検討されていないことも明らかだ。

このようなジレンマに対して研究者に一種 の避難場所を与えるのが心理学的解釈を動員することである。

一九七〇年代後半のアルゼンチンの政治的 暴力の被害者である失踪者(desaparecido)の家族についてロスアンゼルスで調査研究したス ウァレス=オロスコは、犠牲者の家族と加害者に心理学的テストを含めた民族誌的作業を通して「声なき声に我々がどのように声を与えることができるか」を研 究課題として掲げている[SUARES-OROZCO 1990:354]。

しかし、彼の分析には「精神病的 (psychotic)」「ヒステリー的拒絶(hysterical denial)」「幻想(fantasies)」「幻覚(hallucination)」「集合的誤認(collective delusion)」「偏執的エトス(paranoid ethos)」など定義不明確な精神病理的隠喩表現に満ちあふれており、声を与えると言っておきながら、実際には心理学パラダイムの用語によって声を代弁 する。また用語の解釈の妥当性においては、それ自体が論争的なものになっている。

政治的暴力の意味を日常の社会的次元に還 元して論争をより公共的なものにするためには、心理学的説明は、失われる声の代価が高すぎるように私に は思える。

★追加情報:David Stoll, Middlebury College より

I come from the Midwest, majored in anthropology at the University of Michigan, and did my Ph.D at Stanford University.  My first research was studying up rather than down in the power structure. A group called the Summer Institute of Linguistics was working in hundreds of indigenous languages in Latin America.  It had its own flight and radio service, as well as long-term contracts with governments, and for some governments it functioned as a U.S.-staffed bureau of indigenous affairs.  Who were these people?  Was SIL merely a façade for its fundraising and recruiting arm, the Wycliffe Bible Translators?  Or was it up to something more?

As I was wrapping up my history of SIL in Latin America, the U.S. religious right joined the Reagan administration’s war against the Sandinista Revolution in Nicaragua.  I was appalled but learned that televangelist Pat Robertson’s pitches for the Contras were not very consequential. The really interesting question was why so many Latin Americans were joining evangelical churches. Is Latin America Turning Protestant? (1990) explained why evangelicals have appealed to many more Latin Americans than liberation theology has.

In 1987-1991 I did my dissertation research in Nebaj, a Mayan town that, not long before, had given considerable support to the guerrilla movement fighting Guatemala’s military dictatorship. Following the worst of the counterinsurgency, I was able to interview hundreds of survivors.  Based on what they told me, I decided to challenge the guerrillaphile interpretation of the war adopted by the human rights movement.  This led to two books about the conflict, its antecedents and sequel in Quiché Department: Between Two Armies in the Ixil Towns of Guatemala (1993) and Rigoberta Menchú and The Story of All Poor Guatemalans (1999).

In 2007 I was shocked to learn that Nebajenses were running up astounding debts to each other, to loan sharks, and to banks of one kind or another.  The most obvious culprit was undocumented migration to the U.S.  My research on this subject is now available in El Norte or Bust! How Migration Fever and Microcredit Produced a Financial Crash in a Latin American Town (2013).

In debates over U.S. immigration policy, we focus most of our attention on the political theater of anti-immigration forces agitating for crackdowns and pro-immigration forces agitating for amnesties. Overlooked are the millions of Latin Americans, Africans, Chinese, etc. who continue to pin their hopes on a U.S. job. What are the implications of the 2008 U.S. financial crisis, and of the high unemployment rates since then, for foreigners who see U.S. jobs as their lifeline?  Judging from my research with the Nebajenses, I believe that the U.S. labor market has the same impact on low-wage immigrants that it has on so many American workers—it pulls them deeper into debt.
私は中西部出身で、ミシガン大学で人類学を専攻し、スタンフォード大学 で博士号を取得した。 私の最初の研究は、権力構造における下層ではなく上層の研究だった。夏期言語学研究所と呼ばれるグループが、ラテンアメリカの何百もの先住民の言語につい て研究していた。 独自の航空便やラジオサービスを持ち、政府との長期契約も結んでいた。いくつかの政府にとっては、米国駐在の先住民問題局として機能していた。 彼らは何者なのか? SILは、資金調達と人材募集を行うウィクリフ聖書翻訳協会のための見せかけの組織だったのだろうか? それとも、それ以上の何かを企んでいたのだろうか?

私がラテンアメリカにおけるSILの歴史をまとめようとしていたとき、アメリカの宗教右派がレーガン政権によるニカラグアのサンディニスタ革命に対する戦 争に加わった。 私は愕然としたが、テレビ伝道者パット・ロバートソンのコントラへの働きかけは、あまり結果的なものではなかったことを知った。本当に興味深かったのは、 なぜこれほど多くのラテンアメリカ人が福音派の教会に入信しているのかということだった。ラテンアメリカはプロテスタントに変わるか』(1990年)は、 福音派が解放の神学よりも多くのラテンアメリカ人にアピールしている理由を説明している。

1987年から1991年にかけて、私はグアテマラの軍事独裁政権と戦うゲリラ運動に多大な支援を与えていたマヤの町ネバフで学位論文の研究を行った。最 悪の反乱の後、私は何百人もの生存者にインタビューをすることができた。 彼らの話をもとに、私は人権運動が採用しているゲリラ主義的な戦争解釈に異議を唱えることにした。 その結果、キチェ県における紛争とその前身、そしてその後について書かれた2冊の本が生まれた: Between Two Armies in the Ixil Towns of Guatemala』(1993年)と『Rigoberta Menchú and The Story of All Poor Guatemalans』(1999年)である。

2007年、私はネバジェンヌたちが互いに、高利貸しに、そしてある種の銀行に驚くべき借金を重ねていることを知り、衝撃を受けた。 この問題に関する私の研究は、『El Norte or Bust』(エル・ノルテ・オア・バスト)として出版されている!How Migration Fever and Microcredit Produced a Financial Crash in a Latin American Town』(2013年)である。

米国の移民政策をめぐる議論において、私たちは取り締まりを求める反移民勢力と免除を求める移民推進勢力という政治劇に最も注目している。見過ごされてい るのは、アメリカでの仕事に希望を託し続ける何百万人ものラテンアメリカ人、アフリカ人、中国人などである。2008年の米国金融危機、そしてそれ以来の 高い失業率は、米国の雇用を生命線と考える外国人にとってどのような意味を持つのだろうか? ネバジェンヌたちとの調査から判断すると、アメリカの労働市場は低賃金移民にも、多くのアメリカ人労働者と同じような影響を与えていると思う。
https://www.middlebury.edu/college/people/david-stoll


■ リンク

■ 文献目録

___________________

■その他の情報

■クレジット:池田光穂「政治的暴力と人 類学を考える:グアテマラの現在」,『社会人類学年報』,第 28 巻,. Pp.27-54,2002 年 8 月

(いけだ・みつほ 熊本大学文学部:発表 当時——現在:大阪大学名誉教授)



Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099

池田蛙  授業蛙  電脳蛙  医人蛙  子供蛙