「貧困の文化」という概念の未来
The Future of the Concept of "Culture of Poverty"
Oscar Lewis,
1914-1970, picture from University
of Illinois Archives
解説:池田光穂
貧困の文化(Culture of Poverty)の用語の由来は、オスカー・ルイス(1961)が、経済的 困窮におかれた社会集団が、その階層的特質を意識しながら、独自の行動の信念 (=文化)の再生産パターンを生みだすと主張したことにさかのぼれる(→詳しくは「貧困の文化」)。 「『ラ・ ビーダ』の序文にみられる方法論」を読んでみましょう(※パスワードで授業で示したものです)。
貧困の文化にある人たちは、貧しい状態を運命論的に受け入れる、貧困から抜け出すような努力を減 じるように考え行動するという。つまり、そこには剥奪サイクル(cycle of deprivation)が見られるというのだ。
貧困の文化研究は、メキシコの貧しい5つの家族に関する事例研究からはじまった。ルイスの研究 は、世界の貧困研究に携わる研究者や政策決定者に対して多大なる影響を与え、貧困の問題を、たんなる経済的側面に焦点をあてる政策問題ではないことを雄弁 に語った。
経済的困窮が同質的な文化パターンを与えるという仮説を信じる人は現在では少ない。また、貧困層 は、同じ共同体、地域、行政区、国家、あるいは地球レベルでの他の社会集団との社会的相互作用を抜きにして独立して存在しているのではない。また、特定の 社会集団の「貧困の文化」が比較的短期間の間に変容することも指摘されている。もちろん、それは(経済的貧困がそこに属する人々の文化パターンに影響を与 えるという一般的真理というよりも)、ルイスが抱いていた定常的な文化概念の限界でもあった。
貧困の文化については、(今日では)それが一種の犠牲者非難 (victim blaming)になっていることも下記の引用から明 らかである。しかし、ルイスは、研究の当初からそのような意図をもっていたわけではなく、むしろ彼が当時の社会科学に対して、貧困層の社会的再生産メカニ ズムに対する関心を呼び起こそうとしたあらわれは、もっと積極的に評価してもよいだろう。
■ 貧困の文化の概念の栄枯盛衰史
「貧困の文化も剥奪サイクルも、ルイス(O. Lewis, 1961)が第三世界のスラム住人を描いた著作に起源を有する語であるが、いずれも、現代先進社会における貧困者を記述するのに用いられてきた。
この概念には、差別的意味合い、つまり、自身の窮状の責めを負うのは貧困者自身であるとか、 社会的に剥奪されるように親が子供を次々と育てるのだという含みがあるのではないか、ということが論争されてきた。
この概念の批判者は、以下のような指摘をしている。社会、とりわけ政府が、貧困者を貧困から 抜け出すための資源を与えそこなっていること、多数の貧しい人びとが貧困に対処するために展開する相互扶助と自助の積極的戦略があること、貧困者自身が自 ら貧困から抜け出すことをより一層困難にする<貧困のわな>(poverty trap)が存在することなどである」。
(改行は引用者:出典はアバークロンビー他編『社会学中辞典』p.78)
ルイスの限界は、彼が理解していた文化概念にあり、また「貧困の文化」というものが社会的合意を もったときに機能しだす「貧困表象」の抑圧的機能に関して自覚的でなかったことである。しかし、それは、ルイスがおかれていた歴史的社会的限界であり、彼 じしんだけが背負っている課題ではなく、むしろ、その解明は我々じしんに委ねられているのである。
しかしながら、貧困の文化は1990年代以降ふたたび、光を浴びることになる。
世界銀行や国際通貨基金は、開発途上国における援助協力プロジェクトをそれまでの経済開発中心主 義から、より抜本的な構造改革をめざす。それは、ひとつは被援助国に「構造調整政策」の履行を条件にさまざまな資金の援助をおこなうことであり、他方で当 該地域の人々の「生活の質」を低いままに維持している貧困の撲滅という政策課題をあげたことである。
冷戦構造の終結は、貧困の原因が資本主義社会そのものの問題として、共産主義イデオロギーにもと づく革命という政策転回の可能性を極小化した。同時に、内戦などが終結し、現地の治安が回復し、外部から経済的資金が流れてくるようになると、当然のよう に貧富の格差が広がるということも予想されていた。
貧困の撲滅という課題は、単純に資金や開発プログラムの実施というだけではなく、現地の人たちが 貧困におかれている現状に関する社会調査や分析を必要に、多くの社会調査が実施されることになった。ここから浮かびあがってきたのは、生存権という人権意 識、ジェンダーによる経済格差の解消、文化的アイデンティティの尊重、参加型の開発などという、新 種の課題である。
ここで重要になったのは、静態的で同じような〈貧困の文化〉というものが、世界のそこかしこにあ るのではなく、貧困を維持しくりかえす、地域固有の剥奪サイクルというものがあり、調査研究をもとにその主要要因を明らかにし、現地の人たちと対話をつづ けつつ開発プログラムを遂行するという理念が登場する。1990年代は、おりからこれまでの開発援助手法がもつ腐敗についてさまざまな報告がなされ、非政 府系の団体からの激しい抗議が上がった時代でもあった。
さらに20世紀末から21世紀に入ると、貧困観に関する新しい見解が登場する。それは、ワーキン グ・プア(働く貧困層)と呼ばれる開発国における貧困者の問題である。それは、失業率から経済発展の程度と政策を決定するというケインズ的な従来の貧困に 関する常識とはことなる経済階層の存在である。OECDでは、貧困化率とよばれる計算指標が登場する。このような計算指標が必要になった背景には、貧困者 の問題とは、その集団の自体の問題以上にその社会全体の問題——とくに経済格差の拡大という無視できない状況が生じ、19世紀的な救貧という発想では対処 しきれないことが自明になりつつある——であり、貧困は社会の再生産がつづく限り生まれる可能性の問題であり、持続的な対策が必要であることを明らかにし た。
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