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労働のジェンダー化

Genderlization of Labour

解説:池田光穂

ジェンダー化(genderlization)と は、もともとジェンダー(社会的性別)の区別がなかったものに対して、社会的バイアス がかかるようになる 現象である。例えば、ジェンダー的に中立であるはずの客観科学の看護学は、現実の看護者が社会のなかで「女性の仕事」とみなされてきたために、その学問も ジェンダー化され、女性の専門職と長い間見なされてきた。しかし、実際の看護者(看護師)においては、男性の看護師も一定の割合で存在し、とりわけ伝統的 には精神病院中心の時代には、男性看護師の比率が高かった(その現場的理由は「精神病患者を制御するためには男性の力が必要」と見なされてきた)。また、 日本の看護師国家試験に、男女によってなんら「差別」あるいは「配慮」というものがなされているわけでない。つまり、日本の看護師国家試験は、現実の看護 学のジェンダ化に対して、脱ジェンダー化(de-genderlization)されていると言える。もっとも、客観科学を標榜している(べつに私は「し なくてもよい」と考えるのだが)看護学の「公的イデオロギー」もまた「ジェンダーの区別は、患者のジェンダーに対して配慮すべきであるが、看護技術はジェ ンダー化されていない」という立場をとっている。(→出典「ジェンダー化」)

さて、労働のジェンダー化(Genderlization of labor)とは、ある特定の領域の労働が片方のジェンダーに選好されていたり/選考されたりする事実を いう。例えば、看護や介護の仕事は、脱ジェンダー的労働として一般化でき/ かつ実際に両性に開かれているのだが、ある介護の領域などは女性が選好/選考されたりしている。それとは逆に、電車や車掌などは、長くその仕事が男 性の側にジェンダー化されており、男性にしかそれができないのだと長く本質主義的説明が与えられて、女性に就業のチャンスが少なかったが、諸外国の例—— 古くは社会主義国や男女協働参画が早めに進んだ北欧社会——が紹介されるにつれて、脱ジェンダー化がはじまり、現代日本で女性の運転士や車掌で驚く人は少 なくなってきた。つまり、社会は、脱ジェンダー化を受けやすい。もともと人間の労働の多くがジェンダー化していたが、フェミニズムなどの社会運動の結果、 男女の労働能力に関するジェンダーバイアスのほとんどには根拠のない峻別があったことが明らかになれば、脱ジェンダー化を受けやすい。また、そのような偏 見が温存されていても、社会がその制度を積極的に導入すれば、そのような偏見は、経験的事実により否定されるようである。

left: illustrated book on housekeeping (source: unknown); right: Turret lathe operator machining parts for transport planes at the Consolidated Aircraft Corporation plant, Fort Worth, Texas, USA.

楽園から放逐されたイブとアダム(13世紀)——イ ブはトップレスで糸を紡ぎ、アダムは斧で薪を割っている。

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