医療人類学教育に携わる教員のためのマニュアル
【へ】い、おまち!! おすしやさんにいきたいな(作画:池田信虎)
池田光穂・奥野克巳(後の加筆の文責は池田光穂)
1.目標から考える教育法 2.〈定義・実態〉から〈面白さ〉へ 3.医療人類学研究・教育の5つの柱(モダニスト分 類) 4.ポストモダン的医療研究 5.医療人類学の学問的性格 6.何を誰にどこまで教えるか?——教育戦術論 7.結論:同工異曲の可能性と限界とそれらの克服課題 tag jump to A reader in medical anthropology : theoretical trajectories, emergent realities / edited by Byron J. Good ... [et al.], 2010. |
◎全般的知識を習得するための目標
(1)一般常識として医療人類学に関する知識を習得したい。
(2)関連領域の専門家になるために医療人類学に関する知識を習得したい。
(3)この分野の専門家になるために医療人類学に関する知識を習得したい。
※(1)→(3):要求される習得知識と思考訓練の強度が増す。
◎断片的知識・個別テーマを習得するため の目標
(1)そのテーマに関する概説的知識がとりあえずわかればよい。専門的議論は不要である。
(2)そのテーマに関する知識を仕入れたいが、医療人類学全般の知識がないために不明瞭である。そのテーマに関することだけが分かればとりあえずよい。
(3)専門家だがテーマに関する専門知識が不案内なため勉強の必要性があり、またその知識をより深めたい。
※(1)→(3):要求される習得知識と思考訓練の強度が増す。
◎知識習得の動機と投下される努力と時間 のエコノミー
【動機】( )内は想定される聴講生のタイプ
(a)努力も時間もかけずに習得したい(ものぐさ学生タイプ)
(b)努力と時間を投下した分の学習はしたい(自己実現タイプ)
(c)ハマってしまった無駄も覚悟で学習したい(猪突猛進タイプ)
(d)研究者になりたい。プロとしての専門知識を学びたい(職業的学者タイプ)
【処方せん】
(a)猿にもわかる型の教授法:アメニティと分かった気分を伝授
(b)誠実で方法論中心の教授法:本人の達成度をモニター評価してやる
(c)新兵訓練法:勉強の強度が強くなれば納得。サンドバッグ代わりに使う。
(d)ソクラテス教授法:方法論を中心にイデオロギーを伝授し、この学問の言説を行使することができる実践共同体を再生産する。
まとめ:
教師が教えたい目標と、学生が学びたい目標の関係により、伝える知識の量ならびに授業の強度が異なり、かつ最適な教授法があると考えら れる(ただし、この場合、学生の背景知識・熟度・人間的個性には大きな多様性がないものと仮定する)。
◎医療人類学の定義※
・健康と病気にかんする文化的および社会的現象を対象とする人類学研究を、医療人類学(medical
anthropology)という。
・人類学研究とは、人間集団を対象とする質的調査(=フィールドワーク)を主とする実証的な研究をさす。その研究媒体となる資料は民族誌(=エスノグラ
フィー)と呼ばれる。
※この説明は5.医療人類学の学問的性格で再度行う。
◎我が国における医療人類学の実態
(あるブログへの池田の投稿)
【Q】医療人類学の定義について教えてください。
【A】私自身の経験からお話します。医療人類学とは、(1)医療(広義)を対象にする人類学的研究だと思います。さて、では逆はどうでしょうか? 人類学
(広義)を対象にする医療研究……?! これはおかしいですが、(2)人類学
理論を包摂した医療研究だったら、それほど違和感はないのでは? 私は大学院
での勉強は医学系でしたが、現在の所属学会のうち最も深く関わっているのは文化人類学です。私が、共同研究する人たちもこの文化人類学の人たちが多く、次
に精神医学や公衆衛生・国際協力などの友人がつづきます。他方、文化人類学界を根城にしない医療人類学者を名乗る方も増えてきました。公衆衛生や国際医療
協力の関連学会で活躍する人たちですね。海外でPh.DやMPHを取得された方たちを中心とします。後者の集団は先に述べた「人類学理論を包摂した医療研
究」という方向性がより色濃く出ているのでは? ということは、日本で医療人類学者であることを名乗り、医療人類学を勉強しているという方の意識の中に
は、この2つの定義のどちらか一方あるいはその両方が宿っているのではないでしょうか。もちろんこれはあくまでも私の心証です(http:
//d.hatena.ne.jp/mitzubishi/20051227,
Dec. 28 2005)。
◎医療人類学の呼称をめぐって
・医療人類学が扱う範囲は、広義の〈医療〉だけの研究だけでない。病と癒しという人間の身体や保健(ヘルス)に関わる広範な対象領域を もっている。したがって医療人類学の研究者においてすら、この学問研究の名称を「保健=ヘルス=健康の人類学」と言うべきだという者がいる。この代替名称 の是非はともかく、このような意見表明が出てくる“業界の雰囲気”に特段の違和感をもつ同業者は少ない。
◎医療人類学はなぜ面白いのか?:批判的 原動力
・医療人類学が流行してきた背景には、1960年代末から70年初頭に先進国を中心に吹き荒れた近代科学へのラディカルな批判があっ た。医療人類学がその批判の対象としたのは、近代医療である。医療人類学が医療と人類学の両方の研究者にもたらす魅力は、近代医療の教理(ドグマ)に対す る批判力にあると言っても過言ではない。ここでは医療人類学が提供した近代医療批判のテーゼ(命題)を「〜でない」という否定形の形で表し、この学問が模 索している代替的な見解や疑問を示してみよう。
(i)「人間の身体では生物医学的反応だけがみられるわけではない」→「人間の身体は生物学的実体のみならず文化社会的実体でもある。 医学研究には、生物学的な解明と〈同時に〉文化社会的解明が不可欠である。このことの解明には人類学という学問の特徴である総合的観点が求められる」。
(ii)「近代医療の医師だけが患者を治療する存在ではない」→「多くの社会においてさまざまなタイプの治療者があり、治療のタイプや 病気の原因とその解消についてもさまざまなパターンがある。医療をシステムとして見たときに、このようなパターンは幾通りかの組み合わせの要素として抽出 し分類することができる。人間なぜこのような治癒のシステム(healing systems)を作り出したのか? 医療人類学はこの問題に挑戦する」。
(iii)「近代医療だけが病気を征圧したり克服したりしてきたのではない」→「人間の病気の〈克服〉というプロセスの中に、医療従事 者たちの英雄主義を見るのではなく、人間の生物学的ならびに文化的〈適応〉や〈順応〉というプロセスの中に生物学的実体と社会的実体との相互作用というダ イナミズムをみよう」。
(iv)「苦悩や苦しみ(病気)は、人間にとって否定的な意味だけをもつのではない」→「苦悩や苦しみは、それぞれの社会や文化でパ ターン化されている。近代医療の疾病論もまたそのパターン化のための文化的装置のひとつであろう。他方、パターン化されてもなお人間の生活の実相の中に登 場する固有の苦悩や苦しみがある。文化主義によれば人間の病気からの解放のプロセスもまたパターン化して分析可能であるが、同時に人間の苦悩はその個々の 事例のなかで豊かな意味論(semantics)をもつ。これらを解読する理論は人類学研究ではこれまで豊富に用意されてきており、苦悩の意味(意義)の 解明にこの学問は挑戦するのだ」。
◎医療人類学のユニークさの秘密:他者あ るいは他者性の概念に取り憑かれた?学問
・西洋近代が産んだ独自の知的認識において〈他者〉あるいは〈他者性〉をめぐる様々な学問が生まれた。いわゆる近代主義的な人類学
(modernist
anthropology)は、〈異文化の他者〉をつよく意識したもののひとつであった。
・人類進化論、精神分析、コロニアリズム、民族誌学、オリエンタリズムなど〈他者性〉をめぐる学問的議論には、知と権力の結びつきという批判的テーマが一
貫してみられる。具体的には、人類の多様性の中における野蛮人の位置づけ、自己の内なる他者、統治対象としての他者、他者の表象化と権力との結びつきと
いったように、〈他者〉をどのように理解し、自己の世界の中に取り込むのかというテーマが色濃く投影されている。
・医療人類学もまた(あるいはそのアバンギャルドとして)つよく〈他者性〉に取り憑かれた学問のひとつである。医療人類学者は、普遍的な医学現象と同時に
つねに具体的な他者の医療・保健行動への関心をもち、それらを論文のテーマにしている。
・医療人類学のトピックは〈他者〉や〈他者性〉を切り口とし、病気や医療について考えることであると言っても過言ではない。
◎医療人類学を説明する5つの柱
・医療人類学の用語と概念について早くから(およそ1960年代後半から70年代前半にかけて)確立したアメリカ合州国や、その影響を
受けた国々では教科書や論文を通して、この学問の研究とスタイルが徐々に確立していった。このような蓄積の結果は、すでにこの研究領域の事典などにまとめ
られている。
・様々な諸相から〈この学問〉を眺めると、医療人類学者が自分たちの研究を説明するのにいくつかの視座や立場から説明している。ここでは、それらを5つの
大きな柱に分類してみて、それぞれ解説を試みる。
(1)この学問の下位の諸分野(disciplines)から説明する
(2)「医療 medicine」の体系的諸相から説明する
(3)身体に介入する政治・経済・社会的権力から説明する
(4)再生産する人間の身体や生活体験から説明する
(5)現代の健康=保健/疾病の状態に関わる個別テーマを探究する
◎ Encyclopedia of Medical Anthropology (Ember and Ember eds. 2004)
(1’)General
Concepts and Perspectives
(2’)Medical Systems
(3’)Political, Economic, and Social Issues
(4’)Sexuality, Reproduction, and the Life Cycle
(5’)Health Conditions and Disease
◎(1)この学問の下位の諸分野
1.1.通文化的保健研究(理論研究・応用研究)
1.2.認識論的医療人類学
1.3.批判的医療人類学
1.4.進化/生態人類学
1.5.司法人類学(forensic anthropology)
1.6.ナラティブ研究
1.7.古病理学、保健医療考古学
1.8.比較精神医学(→1.1.)
◎(2)「医療 medicine」の体 系的諸相
2.1.医療体系論
2.2.非西洋医療
2.3.生物医療
2.4.医療的多元論(→2.1.)
2.5.シャーマニズム(憑依・トランス)論
2.6.医療化論/社会統制の自然化過程
2.7.健康と疾患の現象学
◎(3)身体に介入する政治・経済・社会 的権力
3.1.災害(→7.)
3.2.経済と健康状態(→医療経済学)
3.3.医療と行動規範(→医療倫理学)
3.4.栄養学
3.5.国際保健(→1,2.)
3.6.ポストコロニアル研究(→5,9.)
3.7.難民の保健(→1.)
3.8.ホームレス、都市の貧困
3.9.健康の階層化(→ネオリベラル経済と健康、2.)
◎(4)再生産する人間の身体や生活体験
4.1.老化
4.2.出産
4.3.母乳栄養
4.4.幼児成長
4.5.青年期
4.6.ライフ・クライシス
4.7.臨終と死
4.8.FGM[女性性器切除](→3.5;3.6.)
4.9.予防注射(人工免疫付与)
4.10.人口政策・人口制御
4.11.生殖保健(reproductive health)
◎(5)現代の健康=保健/疾病の状態に 関わる個別テーマ
5.1.飲酒とアルコール濫用
5.2.薬物濫用
5.3.児童虐待・児童軽視(ネグレクト)
5.4.旧来型の感染症(コレラや飲用水媒介感染症)(→5.15.)
5.5.加齢に伴う慢性病
5.6.文化結合症候群(CBS)
5.7.ストレスと文化
5.8.心疾患(→5.7.)
5.9.糖尿病
5.10.腎臓病(→5.11.)
5.11.脳死と臓器移植(→5.8.;5.10.)
5.12.下痢性疾患(→3.5.)
5.13.身体障害/身体的差異
5.14.精神障害/精神遅滞/心的差異
5.15.新興感染症(→5.4.)
5.16.遺伝病の生物医療
5.17.HIV/AIDS研究と予防
5.18.マラリアおよび媒介動物性感染症
5.19.乳児突然死症候群(Sudden Infant Death Syndrome, SIDS)
5.20.喫煙
5.21.結核
◎さまざまな諸相の近代的な(モダン)分 類
(i)知の制度アプローチ
(ii)医療体系論アプローチ
(iii)保健問題アプローチ
(iii-a)社会制度からのアプローチ(→ Bio-politics)
(iii-b)身体経験からのアプローチ(→ Anatomo-politics)
(iv)トピック研究
◎Merrill Singer
(Editor), Pamela I. Erickson (Editor),
A Companion to Medical Anthropology, April 2011(paperback,
2015), Wiley-Blackwell, ISBN: 978-1-4051-9002-2 の章立てと執筆者リスト
◎A reader in medical anthropology : theoretical trajectories, emergent realities / edited by Byron J. Good ... [et al.], Wiley-Blackwell , 2010 . - (Blackwell anthologies in social and cultural anthropology, 14)
A
Reader in Medical Anthropology: Theoretical Trajectories, Emergent
Realities brings together articles from the key theoretical approaches
in the field of medical anthropology as well as related science and
technology studies. The editors' comprehensive introductions evaluate
the historical lineages of these approaches and their value in
addressing critical problems associated with contemporary forms of
illness experience and health care. Presents a key selection of both
classic and new agenda-setting articles in medical anthropology
Provides analytic and historical contextual introductions by leading
figures in medical anthropology, medical sociology, and science and
technology studies Critically reviews the contribution of medical
anthropology to a new global health movement that is reshaping
international health agendas
まとめ:
医療人類学の原動力は、近代医療批判から生まれてきた。この面白さをいくつかの命題にまとめることができるが、それはこの批判力に由来 するものだ。“これが医療人類学だ!”という研究上のリストを我々は書き出すことができる。これらのリストはこの学問の必然性というよりも、この学問をお こなっている人たちのコンセンサスの結果という経験的事実によるものだろう。さらに〈あらゆる学問的営為は社会的である〉という観点から考えると、(a) 研究共同体のメンバー自体の評価基準による研究の陳腐化や新興領域の誕生や、(b)政府や企業が資金を投下することによってその分野の〈政策解決的アプ ローチ〉が隆盛するなど、研究動向は変化するだろう。このような研究に対する再帰的な反省は、次に述べるポストモダン的な医療研究の誕生と大いに関連性を 持ちうるはずだ。
◎ポストモダンとは?
[定義]
ポストモダン的とは、これまでの近代(=モダン)が準備していた分析枠組み(=大きな物語)や研究の手法が無効とされた以降の時代的秩序の中で考えださ
れた、知のあり方の代替案に冠された形容表現のことである。ここでは、これまで説明してきた医療人類学の分類体系による分析が無効になってきた学問状況を
ポストモダン状況と呼び、その代替案として考え出された医療人類学研究を、ポストモダン的医療研究として理解してみよう。
[学問の認識論上のジレンマ]
これまでの医療人類学が探究してきたことは、(a)人類社会における病気をめぐる現象や医療行動の理解にあったと言っても過言ではない。そこでは現地で
生活している調査対象となる人たちは、人類学を研究する人たちにとっては、自分たちの認識の前提を破壊するための〈触媒〉でしかなかった。しかしながら、
観察者の実践的関与に関する議論が重要なテーマとして浮上した今日、観察対象を客体化ならびに表象化するというこれまでの人類学的営為は一定の疑問に付さ
れることになる。そもそも現地人という〈他者〉とはいったい誰のことであり、調査者とどのような関係を取り結んでいるのかという問題が問い直されることに
なったのだ。
これらは我々に対してこの学問の批判的判断力の効用論から実践的参与論の展開を召喚するものであった。より具体的には、近代医療の問い直しへの材料を提
供してきただけの従来の医療人類学が、(b)近代医療のもとで発生してきた種々の問題を考え直したり、何らかの実践的関与を含む新しい研究テーマを模索し
ようしたりする動きが生まれた。この動きには、モダニストが準備した主体と客体の二元論を当然のこととし、前者(人類学者)が後者(現地人)を研究対象と
して表象することができるという民族誌の認識論的枠組みが「崩壊」したことと関連性がある(もちろん完全な崩壊ではないが、すくなくとも疑問視はされてい
る)。民族誌は現地社会の客観的記述から、フィールドワーカーが現地社会の文化をどのように客体化していったかの行動の記録へと変貌していったのである。
そのような文化をめぐる相互交渉の中から主体と客体の二元論そのものが疑問視されるようになったのである。つまりモダニスト人類学の捉え直しや新しい実践
的関与に関する議論が生まれてきたのである。
整理すると(a)はひたすら文化的および社会的解釈が中心であった理論が、(b)においては、実践的な処方せんを視座に入れ、近代医療ひいては近代人類
学の基盤を問い直す理論を提出しようとするのである。この(a)(b)のモーメントは一見相反する方向性を(現時点では)とっているように思われる。ここ
でいう認識論上のジレンマとは、相も変わらず応用人類学上の効用を説く「文化=道具」学派と、主体と客体の二元論の克服を目的としフィールドワークから得
られる実践上の教訓を何らかの学問的な反映として取り込もうとする「実践学派」との、現時点における呉越同舟状態のことを意味しているのである。
[方法論上の折衷主義]
上述の学問の認識論上のジレンマを乗り越えるべく代替的な研究スタイルを模索する人たちの研究には、2つの〈新しさ〉を希求しているように思われる。そ
の新しさのひとつは(a)研究対象や素材の新しさであり、他のひとつは(b)分析手法の新しさである。これらはどちらか一方か、ともに具有するものがある
が、その根っこでは相互に関係するものである。つまり(a)研究対象や素材が、新しいものになれば従来の分析方法では物足りなくなり、それが分析者をして
(b)新しい分析手法に向かわせることになるからである。
例えば、臓器の国際的な流通や、富裕層の医療ツーリズムという研究テーマの採用は、フィールドワークの範囲を人類学の従来型のローカルコミュニティから
グローバルなセッティングにおかれた点と点をむすぶ人間と人間、人間と物、そして物と物とのネットワークという観点に立つ研究へと拡張・変更する必要性を
うむ。また世界銀行が提唱する貧困削減とそれに関連する健康達成という目標が国際社会にとって大きな課題になったことは、これまでの保健における国際政治
や国家保健統計上だけの問題にとどまらず、ローカルなコミュニティにおける人々の生活の質を変えようとする具体的なプロジェクトなどに影響を及ぼすことに
なる。
このような研究対象の広がりは、従来の社会分析を踏襲し発展させることだけでなく、それらの現象に対して相互に関連性を持たせるため、他領域の研究分析
手法を「大胆に」折衷する必要も生じてくるはずだ。『20世紀の医療[研究]必携』(Cooter
and Pickstone eds.
2000)と題された研究書には、その解説のジャンルを「権力・身体・経験」という三題噺(=ジャンル)でまとめている(下記)。
◎権力・身体・経験(cf. Cooter and Pickstone eds. 2000)から考える医療研究
◎権力の諸相
1.1 健康と医療の政治経済学
1.2 近代医療形成期
1.3 大戦間期の医療
1.4 ソビエト医療
1.5 植民地医療
1.6 ポストコロニアル医療
1.7 医療とカウンターカルチャー
1.8 医療と福祉国家
1.9 製薬産業
1.10 福祉国家の終焉
1.11 ハイテク医療
◎身体の諸相
2.1 歴史的身体
2.2 健康な身体
2.3 工業的身体
2.4 第三世界の身体
2.5 一時的身体
2.6 性的身体
2.7 再生産的身体
2.8 心理的身体
2.9 精神分析的身体
2.10 精神病的身体
2.11 病んだ身体
2.12 障害の身体
2.13 防衛する身体
2.14 遺伝的身体
2.15 分析された身体
2.16 実験的身体
2.17 倫理的身体
2.18 死んだ身体(=死体)
◎経験の諸相
3.1 メディア
3.2 病院
3.3 看護師
3.4 保健ワーカー
3.5 医師のところへ行くこと
3.6 出産と母子
3.7 小児の病気体験
3.8 戦争期
3.9 支援された生命
3.10 高齢
3.11 精神病
3.12 外科医
3.13 がん
3.14 エイズと患者支援団体
3.15 途上国における医療経験
◎分析の処方(一例)
文化人類学や隣接研究分野におけるポストモダン研究の代表としてあげられるのがカルチュラルスタディーズ(CS)である。Du
Gay , Paul., Stuart Hall, Linda James, Hugh Mackay and Keith Smith.
1997.
Doing Cultural Studies: The story of the Sony Walkman. London: Sage.
に収載されたCSの一例として、ソニーの携帯音楽再生機(商品名:ウォークマン)について研究された際に、その開発・生産・流通において人と商品がどのよ
うな過程に晒されたのかを(i)生産、(ii)消費、(iii)制御、(iv)表象、(v)アイデンティティという諸観点と、それらの要素の間の相互作用
の点から分析している(Du
Gay, Stuart Hallらはこれらの要素の布置とダイナミズムを「文化のサーキット」と呼んでいる。)。
これを手本(モデル)にして、医療研究におけるポストモダン的研究を模索すると、およそ次のような観点を指摘することができる。まず、CSで指摘された
文化のサーキットを医療研究に流用するならば、医療研究には圧倒的に身体(心身)に関わる事柄が大きなウェイトを占めるので、それがどのあたりとの部分と
最大の親和性をもつかと言えば、それは行為者のアイデンティティに他ならないだろう。仮にそのように文化のサーキットの他の4つの要素をアイデンティティ
の回りに配して、先の『20世紀の医療[研究]必携』で取り上げられているテーマをここで仮に、権力の二様態(フーコーに倣って抑圧的ならびに生産的)、
経験、身体と名付けて配置すると別図のようなものになろう(もちろんここでの提案はあくまでも試論である)。
カルチュラルスタディーズの影響を受けた医療研究の布置
◎医療人類学の学問的特徴の把握
[外延的定義](一部再掲)
・健康と病気にかんする文化的および社会的現象を対象とする人類学研究を、医療人類学(medical
anthropology)という。
・人類学研究とは、人間集団を対象とする質的調査(=フィールドワーク)を主とする実証的な研究をさす。その研究媒体となる資料は民族誌(=エスノグラ
フィー)と呼ばれる。
[医療人類学の公的性格:文化的実践的 テーゼ]
1.人々の健康と病気に関する信条や実践は文化的に修飾された結果生まれる多様なものであり、それらの実態は時間的に変化するものであ
る。
2.文化的に修飾された人間の行動は、環境への適応や生物進化という医学的知見によっても解析可能である。
3.それらの知見により、人々の生活の質を改善できる可能性を信じるに足る実証的証拠をもとに、特定の集団の健康と病気に関する生活慣習への介入をおこな
うことできると考えている。
◎人類学研究・教育の3つのパターン
1.文献研究:人類学研究の理論構築のパターンを、先行研究の検討を通して理解する。
2.フィールドワーク実習:現地社会における資料収集のやり方のパターンを習得する。
3.民族誌[論文]の作成:現地で得られた資料を、読者(=他の研究者)に理解可能な形で提出する。学問的生産のパターンを習得する。
※教室での教育はおもに1.が中心になり2.3.は頭の中で思考実験するに留まるために、博士課程などの長期の本格的なフィールドワー クに着手される前の人類学的教育は“本物”ではないとしばしば指摘される。つまり人類学者の本当のイニシエーションは本格的なフィールドワークそのもので あると言われる(cf. ポール・ラビノー 1980)。
◎なにが(文化)人類学的研究らしいと言 われるのか? あるいは〈人類学らしさの神話的性格〉
1.方法論上の特徴
フィールドワークに基づくファーストハンドな資料にもとづく研究。(逸脱例:フィールドワークを行わない。ファーストハンドではない
データや解釈、つまり伝聞推定やねつ造あるいは思いこみの結果の解釈)
2.理論に基づいた見方や用語法
先行して存在するあるいは流行している理論的枠組に則った“洗練した”解釈がなされ、その理論に固有の専門用語(ジャーゴン)が適切に使われている。
◎業界外/業界内/未来の業界内という3 種類の人間に対する〈呼びかけ〉
イデオロギーの機能としての〈呼びかけ〉という観点から医療人類学の理念とその普及について考えてみよう。医療人類学者は自らの学問
的プレゼンスにおいては、(次の3つの集団に属している)誰に呼びかけるかで、それぞれ3つの異なった態度で望まなければならないことになる。
まず、(i)業界外の人には、この学問の価値を高めると同時にこの学問の独自性————人類学者にしかできない!という経験的優位性、さすが人類学!と
唸らせる主張の特異性————についてアピールすることである。この態度は、ちょうど社会学帝国主義者と類似のものである。それにより隣接諸学問に対して
共同研究やコメントを求められるという友好な関係をもたらすことができる。
(ii)業界内の人にはひたすら理論の発展と方法論上の修練を向上させることに繋がる態度が重要になる。具体的には論文の生産と魅力的な研究会・学会
(分科会)の組織である。常に〈良質の〉人類学的言説を生産することである。権威主義と自らの方法論に対する知的傲慢がこの態度にとっての最大の敵。この
研究と教育の業界が頭打ちにならない限り、同僚潰しには何の意味もないだろうから。
(iii)未来の業界人つまり将来の医療人類学者に対する呼びかけは、逸材を発見し、また将来の担ってもらう人のために機能する。そのためメッセージは
あくまでも魅力的なものでなければならないだろう。2.〈定義・実態〉から〈面白さ〉へ
◎医療人類学研究はなぜ面白いのか、で述 べたように、それらは、これまでの医療や人類学の研究に対する批判力の陶冶につながるものでもあ る。ただし、これには学問的教育におけるオリエンテーション技法(次項)が必要である
まとめ:
“これが医療人類学らしい研究だ!”という特徴を我々は指摘することができる。しかし、それは学問の必然性からというよりも、研究者た ちのコンセンサスともいうべきものである。従って、この特徴に当たらない医療人類学的研究が将来登場しても、それは驚くにはあたらない。いうまでもなく、 そのような革新的研究の未来は当の研究者じしんの斬新な実践にかかっている。
◎何を教えるか?
・内容は承前。ただし誰に医療人類学を教えるかで、そのカリキュラム内容の作成の際には留意する必要がある。それは受講者たちの動機や 期待や、授業で話される知的水準と受講者の資質などとのマッチングについて考慮しなくては効率的な授業ができないからだ。
◎人類学の教育(実態)
文化人類学は人文社会学の中では比較的人気のある学問である(あった)。その学問の特徴は、人類学者が弄する秘儀的で難渋な議論やエ
キゾチズムに満ちた事例にある。そのため入門の学生は、特定のテーマ(例:シャーマニズムや国際協力)や関心に傾斜し熱烈なファンになるか、あるいは逆に
「引いてしまう」のである。人類学の教育現場では、日本にいるという日常性の壁を相対化することになかなか成功することは容易ではないという声がよく聞か
れる。それは日本の学生が異文化状況に馴染む機会が少ない(避けている)という理由の他に、人類学研究者の多くが異文化の研究に従事するものが多く、教室
の中で異文化経験を学生たちの経験に訴えて伝えることが困難だからである。人類学者はフィールドにおいては自分自身の経験の相対化(ないしは翻訳)を、そ
して自国にもどり今度は現地人の社会的経験を相対化(ないしは翻訳)しなければならないという〈二重の翻訳〉をやっている。だが学生はその一方のプロセス
のとば口にいる。
学部教育では、調査実習という実践的経験と、それらを報告書にまとめる作業、および民族誌等のテキスト読解という3本立ての訓育がおこなわれてきたが、
このような〈二重の翻訳〉を学生たちにシミュレーションさせる有効かつ具体的な教育手段をまだ我々は自家薬籠中のものとはしていない。
◎誰に教えるか?
1.一般教養科目として医療・看護・福祉という専門性とは関係のない学生。
2.一般教養科目なのだが、将来医療・看護・福祉という専門性に進む学生を対象に。
3.学部の専門基礎教育で専門性とは直接関係ない者も含めた混成グループ
4.学部の専門教育で、医療・看護・福祉という専門性を自覚しはじめている学生。
5.大学院(博士課程前期、修士)の院生
6.大学院(博士課程後期)の院生
7.社会人一般
8.医療・看護・福祉の実務担当者
◎どのようなサイズの集団に対して教える のか?
1.論文指導のようなパーソン・ツー・パーソンの授業(個別指導)
2.数名から10名程度の少人数のゼミ(小ゼミナール)
3.20名から30名程度で管理者からゼミ形式の授業を要求されているようなもの。(大ゼミナール)
4.20名以上数十名の比較的小規模な講義形式(小講義)
5.50名以上100名程度の講義室授業(中講義)
6.100名以上の聴講生を前にする大講義あるいは講演会形式の授業(大講義)
◎3つの知識の伝達
・授業のなかで見られるのは、つぎの3つの講義形式の単一あるいはそれらの組み合わせであるということが経験的に指摘することができ る。
1.この学問の下位分野を複数にわたり紹 介:いわゆる〈概論*〉形式
・学問分野(discipline)から入るオーソドックスな方法だが、理論用語が多くなり、学説解説か学説史偏重になるので、聞き手
には退屈な授業になる。また、実践的知識は提供されにくい。落ちこぼれは少ないが————学期末に他人の講義ノートの丸暗記でリカバーできる————授業
に眠り込む学生が多いかもしれない。
※この〈概論 outline〉という用語は次項の〈入門〉と区分するための便宜的なレッテルで、我々の日常的慣用語法に必ずしも則るわけではない。
2.ひとつの分野を分かり易くかつ深く掘 り下げて紹介:いわゆる〈入門*〉形式
・医療人類学という学問の多様性を紹介する内容が保障されにくいので、医療人類学の専門家になろうという人か、その問題に強い関心を抱
く人以外には、敷居が高く(=情熱の維持が難しい)落ちこぼれを生んでしまう危険性がある。
※この〈入門
introduction〉という用語は前項の〈概論〉と区分するための便宜的なレッテルで、我々の日常的慣用語法に必ずしも則るわけではない。
3.医療人類学における多様なテーマを1 回ないしは2回で変えてゆく方法:いわゆる〈バラエティ〉あるいは〈オムニバス〉形式
・テーマが次々と遷移するために比較的に落ちこぼれは少ない。ただし、テーマ(対象)が変わっても同じような発想・同じような分析手法 をおこない、対象に切り込めるという〈具体的イメージ〉を強く提示しないと、エピソードの記憶が断片として残るだけで、この学問の方法論や発想(=神話的 性格)が受講者の体験の中に残らない。我々の業界の編著本にある論文集と同じように、編著者がしっかりして各執筆者の論文————この場合は毎回講師が話 す内容————に全体企画との統一性(=いわゆる“素材を料理する”)を持たせないと、玉石混淆ないしは内容がその都度バラバラのような印象を払拭できな い。
◎教育研究上の革新:演劇論的パフォーマ ンス研究
伝統的な人類学の教育・研究は、文献研究によるテキスト読解と解釈、調査実習(学部専門教育以上)および報告書(=広義の「民族誌」 あるいは「民族誌論文」)の作成にあると述べた。このような伝統的な教育手法では、民族誌を理解する現場の想像力や知識————今日では現場知・臨床知・ 暗黙知などと呼ばれるもの————が学べないと批判したのが演出家で演劇学の教授のリチャード・シェークナー()と今は亡き人類学者のヴィクター・W・ターナーであ る。彼らは、民族誌を読解するプロセスのなかに、その状況を創造的に再現する方法が重要であると考えた。具体的には、民族誌(彼らの授業実験で使われたの はターナーのンデンブの民族誌)にもとづく脚本を作成し、その舞台をつくり、そこで自ら役者(人類学者、インフォーマント、村の人たち、それ以外の登場人 物)となり演じることを通して、人類学における民族誌とは何かを理解させようとした。
シェークナーの演劇論は、脚本の出来がよい/悪いとか、演技内容の評価ということに重きが置かれているのではない。むしろ演劇が構成されて ゆくプロセス に着目し、演劇という回路を通して文化を理解するということとは何かを学生に考えてもらおうとするのである。
もちろん、このようなプロセスが興味深く有効だからといって、いきなり日本の大学で教授するのは難しいかもしれない。パフォーミング・アー ツに関する学 生の興味や理解度に差があるし、演劇論や文化人類学の基礎は必要だし、何よりも脚本の素材となる文化人類学の民族誌が身近に読まれるような学習環境が予め あったほうが好ましいからだ。にもかかわらず、パフォーマンスを伴うWS形式の授業が増えてきた今日の大学の教育環境においては、このような授業を行える 条件もまた整いつつある。
まとめ:
医療人類学の授業のタイプには、(1)学問諸分野の解説を中心におこなう〈概論〉形式、(2)ひとつの分野の内容を丁寧に追いかける 〈入門〉形式、そして(3)多様なテーマを統一した切り口で分析する〈オムニバス〉形式というものに分けられる。何を誰にどこまで教えるかという問題は、 これらの技法の採択により“ある程度”解決可能である。また、演劇論的パフォーマンス研究にみられるような「革新的」授業手法などもあり、今後ともまだま だ改善の余地はある。
[可能性]初学者にとって最もよい医療人 類学の授業とは、(a)この学問の下位領域で展開された学問的挑戦がエピソード(=物語)として触 れることができること。次に(b)この学問独特の専門用語とそれを学ぶことの意義を理解できること。そして(c)いくつかのエピソードの解釈の背景にある 〈医療人類学的思考〉を学ぶだけでなく、自分で使えるようになること。この3つが達成された時、教師の学生に対する欲求不満は極小化されるだろう。
[限界]
このような思考プロセスは、この学問の大衆化には貢献するだろうが、このような思考パターンに呪縛されているだけでは、自分たちの訓育 に忠実な学徒を再生産するだけである。ここで言う「同工」とは、制度的教育の中で作られた判で押したような研究をする「医療人類学者たち」のことであり、 「異曲」とは、その「テーマ」の個別性・多様性のことである。そこには新しい医療人類学を切り開いてゆく偶像破壊あるいは概念のずらしによる創造的要素は 見られない。判で押したようないわゆる“医療人類学的分析”が横行する文化的流行に留まるだろう。
[同工異曲を克服する]
(a)新しい課題と新しい理論:新しい課題により既存の理論の適用可能性と限界を試す。既存の理論にそぐわない場合は、新しい理論構築 をめざす。これらは授業の中でも一部披瀝は可能(→新しい課題を通して古典的理論がどういうものであったのかを検証)。
(b)方法論上の革新:新しい課題に相応しい新しい方法論の模索、方法論を正当化する理論の整備。既存の方法論の整備と改善により、従 来の研究の解釈を刷新させる可能性。これらは授業の中でも一部披瀝は可能(→新しい方法論を通して古典的方法論がどういうものであったのかを検証すること ができる)。
(c)人類学がもつ2つの科学的伝統(実証主義と社会学主義、つまり「人類学の神話的性格」)を維持し、革新してゆくかは、この2つの 伝統への挑戦のしかたにかかわっているのかもしれない。
参考文献
この頃の歴史的エピソードについてはこちらを御参照ください!
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