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池田光穂
(大阪大学コミュニケーションデザイン・センター)
国家主権や領土を確立する際に、先にそこに存在していた人々すなわち先住民を、排他的にあるいは包摂する形で成立が保証された国家を植民国家 と呼ぶ。植民国家としてグアテマラ共和国をみると、先住民が近代国家の一員(国民)として迎えられるために長大な時間と多大なる犠牲が払われてきたことは 明白である。本発表では、グアテマラの先住民のうち多数派を占めるマヤ系先住民が文化遺産としての言語をどのように〈救済〉し、また〈復興〉してきたのか について俯瞰し、先住民、近代国家、言語学者がそれらの過程にどのように関与してきたのかについて考察する。
文化遺産として言語が維持されるためには、言語使用の実態把握、言語学的資料の集積、書記法の確立、文法規則の公定化、そして教育を通した次 世代への継承という過程が不可欠である。また、これらの過程に誰がどのように関わるかによって、その存在の社会的意味が大きく変わってくるはずである。
マヤ言語の表記法は、1950年代にSILとIIN(先住民局)による聖書翻訳を通した布教から始まった。他方、先住民側からは自らの文芸復 興をめざしたAdrian Ines Chavezによってキチェ語で1960-70年代に開始された。チャベスの直接の後継者はあらわれなかったが、70年代以降Terrence Kaufman, Nora England らの北米言語学者たちと彼らをグアテマラ側で受け入れたフランシスコ・マロキン言語プロジェクトによる記述言語学上の蓄積を通して、1984年国家言語会 議が開催され、これを契機にグアテマラ・マヤ言語アカデミー(ALMG)が表記法を確立して現在に至っている(太田 2001)。
他方、国家はマヤの先住民たちをスペイン語化するためのバイリンガル教育を60年代に開始したが、言語表記法を通して先住民性を取り戻す先の 運動とは逆のモーメントをもつ。1996年末の内戦の和平合意後においては、グアテマラが民主国家化するための要件として多民族・多言語・多文化性の承認 とともに、バイリンガル教育において提供側と受け手側では微妙に齟齬が生じていった。
現在、文化ならびに教育関係の省庁に先住民出身の人たちが僅かずつ参入していき、先住民族の文化を理解することのなかに言語教育の重要性が認 識されるようになった。しかし他方で、近年の北米への移民労働者の増大による経済の復興などを通して、ネオリベラル経済主義の影響を受けた新しい官僚の登 場により、伝統的な先住民文化の尊重や先住民言語の使用は、新しい社会経済体制においてはそぐわないものとされ、先住民文化や言語はグアテマラ国民国家の 〈栄光の遺産〉すなわち記念碑的な添え物としてのみ扱われるようになりつつある面も指摘される。
このように、言語使用を先住民性の標識としてみても、その重要性を誰が主張し、どのように利用を促進していくのかということを峻別しないかぎ り、文化顕示(heritage work)がグローバル化した世界のローカルな文脈のなかで多様な政治実践になりうることが見えてこない。このことは植民国家という由来をもつ近代国家 が、先住民性を流用可能なものとして国民の統治に利用してゆくにせよ、そこには国家による推奨・是認・否定という選択により対抗的に形成される先住民性の 提示如何では、将来起こりうる未来にはさまざまな多様性が待ち受けていることを示唆する。
※本発表は、平成17-19年度・文部科学省科学研究費補助金「先住民の文化顕示における土着性の主張と植民国家の変容」(代表者:太田好信・ 九州大学大学院教授)による成果発表の一部である。
日本ラテンアメリカ学会第28回研究大会(南山大学 2007年6月2-3日)予稿集・プレプリント版
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