臨床とは?(1)
What is the Human Care in Practice ?
今日の授業はグループワークをやります。
前回のオリエンテーションで、みなさんの受講動機を書いていただきました。その中にはこの種の授業の受講動機によくみられるテーマ(受講者自身のコミュニケーション能力をアップしたい)とか、第1回目の授業のリアクション(ミニレクチャーの内容が良かった、ウェブで公開しているリンク先を教えてほしとか[下線部で/ここからリンクします])であるとか、「臨床コミュニケーションと称して、この人数でちゃんと教育できるのか?」という旨のご意見などもありました。
私は最後のちょっと批判めいた?ご指摘に、メチャ元気づけられました。というわけで、今日は、じゃ〜こんな比較的大きな集団(50名程度)でほんとうに議論中心の授業ができるのか、試してみたいと思います。また、どのようにそれができるのか/できないのかについても、この授業の最後において皆さんとともに判定したいと思います。
さて、思いだしていただきたいのですが、私は先週、以下のような宿題を出しました。
――あなたにとって〈臨床〉とは何でしょうか?
――あなたにとって〈コミュニケーション〉の意味は?
――〈臨床〉と〈コミュニケーション〉はどのような形であなたの日常生活のなかで結びついているでしょうか?また結びついていないでしょうか? 具体的な例に即して考察してください。
その後「プレゼンテーションの技法」にまつわるミニレクチャーをおこなって定時に終了しました。
さて、今日はこのことについて、皆さんと一緒に議論しましょう。
まず宿題を用意してきても、きてこなくても、以下のワークシートを埋めてみましょう。宿題の内容を整理するためにワークシートに記載された論点にしたがって記載してください。皆さんが思っている論点がより論理的に整理できるはずです。
――あなたにとって〈臨床〉とは何でしょうか?
[定義] . [具体的な例] 1. 2. 3. ____ |
――あなたにとって〈コミュニケーション〉の意味は?
[定義] . [具体的な例] 1. 2. 3. ____ |
――〈臨床〉と〈コミュニケーション〉はどのような形であなたの日常生活のなかで結びついているでしょうか?また結びついていないでしょうか? 具体的な例に即して考察してください。
[結びつく例] . [結びつかない例] . |
このワークを25分間おこないます。
ワークが終了したら、次にグループ討論に入ります。この説明のために10分間を使います。
議論をはじめるその前に、議論の効率的におこなうために、今回の授業でとりあげるルールについて説明します。以下の図をご覧ください。
見にくい場合は画像をクリックしてください。面積比で約2.8倍に拡大します。
これからグループ討論の方法について説明します。
ここでのグループ討論は、世の中でおこなうさまざまな集団の討論の形式を、大学・大学院での授業(教育)という枠組みのなかで抽象化・洗練化させたモデルとして考えて規格化ないしはプロトコル(儀典化)したものです。
まず皆さんに守っていただきたいルールがあります。それは、ここでの議論は、道徳的判断(例:未知の患者に余命1週間であることを伝える家族会議)でも、政策決定(例:内戦で混乱している外国に治安目的のために軍隊を派遣する)でもありません。議論の決定が特別な道徳的判断を引き起こさない、あるいはそのようなことが忌避されている、いわゆる純然たる学問的議論についてです。後者のような議論のタイプが人間の活動において常に成り立つという保証はありませんが、少なくとも学会や研究会では、このような運用方式によって、議論を通してさまざまなアイディアを交換して、それぞれの研究分野における生産的な活動に寄与させる方法がとられています。このような方法に精通することは、理性的かつ冷静に考えることができることと同じであると、ここでは考えておきます。
教室で保証された学生同士の議論においては以下のようなことが保証されていないと、価値中立な議論のトレーニングになりません。
(1)討論とは言語を操る一種のゲームである。ゲームをおこなうことの中には、熱中、遊び、仮想性が含まれる。
(2)ゲームに私情を持ち込むのは御法度である。議論はしょぼいが、声が低音でカッコイイとか、イケメンだから良い意見だと判断する者は正しいゲームプレイヤーとは言えない。もちろん、議論がこんがらがったり、激高するようなことが怒って、もまず冷静に軌道修正する努力をおこなうべきである。
(3)相手の論理をきちんと、別の論理を動員して批判することと、非難することとは違います。相手の論理が未熟だと、どうしても相手を見下して個人攻撃(ad hominem)に転化する危険性がありますが、これを制するのも理性の力です。また、本当に良いことだと称して、道徳的事象にまつわること(これはよいが、これはわるい)ということも極力抑えるべきです。人生訓を展開しても犬も喰いませぬ。
(4)議論がゲームだからといっても、相手をねじ伏すことがゲームの勝利ではありません。より説得的な議論を展開できたものが勝利ですが、このような判断は普遍性をもつ部分と、そうでない部分があり、歴史社会的文脈いかんでは、その正反対の判断が適切と判断されることがあります。議論の公平性を保証するには、反対の意見が出てきて、それが最終的な結論とどのような関係にあったのかをきちんと記憶に残るようなものです。全体の総意が統一されても、個人の意見の多様性が保全されるように配慮することも重要です。
ここまで来て学生・院生の皆さんはもうお気づきになったと思いますが、このような議論の一般原則は、じつは大学内で多くおこなわれるゼミナールや、他の大学の研究者などと一緒におこなうことが多い、学会の分科会やシンポジウムで採用されていることとほとんど変わりません。ということは、このような議論の方式に精通することは、専門性を活かして大学や社会の現場で働く職業的トレーニングそのものになるということです。
グループ議論は以下のようなステップを踏んで進みます。
このようにして制限時間が来た時点で議論を切り上げるようにします。
その次は、授業(教室)全体で各グループの発表をレポーターにより発表してもらいます。これをおこなう理由は、グループのすべてを聞いて回るとすべての議論について聞くための時間と労力が膨大になるためです。
主宰者は最終的に論評を加えることができますが、あまり講評てな感じで価値判断を全員のメンバーに押しつけるものは禁じ手です。
さあ、それでは2つの教室[21番教室と32番教室]に分かれて指定されたグループで討論をおこなってください。時間は40分間しかありません。時間内に終わるのも司会者のテクニックです[ただし慣れるまでは失敗するものですからまずはリラックスをこころがけます]。32番教室に派遣?された学生と教員は所定の時間に戻ってきてください。
[終わった時]この時点で75分たっています。たぶん移動の時間などを含めてほとんどの時間が経過している可能性があります。
この日の授業では、そのうちのいくつかのグループをセレクトして、レポーターの方に発表してもらいましょう。(ワープロのミスタイプで「みなさんに発砲してもらいましょう」となりましたが、笑えますね。しかし、なにか実態を反映してたりして?!)
授業のまとめは、こうです。
・さまざまな臨床コミュニケーションの定義が出てきた!
・人により、その理解に多様な広がりがあるが、まったくのデタラメな議論の集まりでもない。
・問題は、臨床コミュニケーションと我々が呼んだものが、これまでの研究のなかで十分研究されてきたかということ。
・なぜ臨床コミュニケーションという重要なテーマが浮上してきたのか?
・今は、コミュニケーションの時代だ(日本最大のテレコム会社もコミュニケーションズという名が末尾についている!)
・じゃあ、なぜ臨床なのだ? なぜ臨床が大切なのか?
・もしみなさんが、臨床というキーワードの重要性に感じたとすると、それをまだ精通していない人に、どのように宣伝していくことができるのか? 臨床コミュニケーションについて知り、多少賢くなった君たちは、どのようにして、臨床コミュニケーション研究の重要性を、その内容に不案内な人に伝えることができるのか?
【来週までの宿題】
臨床・臨床的という語彙を集めてきてください。辞書検索やネット検索などを通して「臨床」という語彙リストがどれくらいできるでしょうか。そのリストの中で、みなさんが一番ひっかかる(気になる、知りたい、異様と思うなど)用語あげて、それに関して、なぜひっかかるのかという理由を含めた短いエッセーを書いてきてください。
【来週の授業の予告】
臨床という用語の概念や、日本語における医療・医学などの用語についてお話し、それにもとづく議論を引き続きおこないます。
臨床コミュニケーション
臨床コミュニケーションとは、人間が社会生活をおこなうかぎり続いてゆく、ある具体的な結果を引き出すためにおこなう対人コミュニケーションのことを言います。ここで言う臨床とは、狭い専門領域としての臨床(clinic)ではなく、その現場における実践状況(human care in practice)のことをさします。臨床コミュニケーション研究において、このような脱専門領域の意識を共有することは重要です。なぜなら臨床コミュニケーションとは、専門家どうしの対話のみならず、専門家と普通の人(例えば患者など)、そして日常経験の中に生きる普通のひとどうしの対話などから成り立っているからです。
ディスコミュニケーション
コミュニケーションの不在や失敗を、私たちはディスコミュニケーションと呼びます。ディスコミュニケーションは良好ではないという点で、いちはやく「問題の発見」や「改善や治療」の必要性が叫ばれます。しかし、劣悪な関係性であれば、コミュニケーションを遮断することが最善の選択になることだってあるはずです。我々はコミュニケーションとディスコミュニケーションの様式を深く学び、それらを上手に操ることも必要なのです。良好なコミュニケーションを目指す人は、ディスコミュニケーションについての深い理解が不可欠です。
本講座では
このような「知」のあり方を自覚するために、様々な専門領域の大学院生どうしの討論をおこないます。各自が専門領域以外の者と円滑にコミュニケーションを図る能力、プレゼンテーション能力、および社会的判断力を身につけることを通して、ディスコミュニケーションを解消するための具体的なスキル学習を目指しています。
具体的には
異文化間、医療現場、紛争の現場における臨床コミュニケーションの特徴と課題を理解するとともに、参加者が自分たちの生活の場面からディスコミュニケーション事例を持ち寄り、そのプレゼンテーションと解決のための討論を通して、各領域におけるコミュニケーションの可能性と限界を明らかにします。そして、この臨床コミュニケーションの将来の課題を皆さんとともに模索してゆきます。
さらに学びたい人は
第1学期に開講されている「ディスコミュニケーションの理論と実践」、第2学期に開講する「臨床コミュニケーション II」「現場力と実践知」があります。また夏期集中講義「医療対人関係論」では、この授業のより具体的でかつ先進的なかたちで受講することができるでしょう。より少人数で、テーマを絞ったグループ討論で、学びを深めることができます。
これらの一連の授業の関連性について示したものが以下の図です。上下の軸は受講者が指向するレベルの局面を、左右の軸は受講者の解決したい問題の質を表現しているものです。受講者は、本人の関心に応じてどのような授業から入門されてもかまいません。
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