臨床概念の誕生
Nacimiento del concept "clinica": Una archeologia del ojo filosofico
臨床(りんしょう)——病床に臨むこと『広辞苑』
私は、臨床コミュニケーション入門という新しい授業科目を運営する際に、職場の同僚に対して次の ような「臨床」の概念を提示したことがある。
「医療・福祉・コンサルテーションなどの業務は、具体的な専門知識と技量を有する人間と、問 題を抱えその解決を求める人間のあいだのコミュニケーションを基調とします。治療・ケア・対応策を授けるといった具体的業務においては確実さと信頼性を確 保するためには現場における対人的コミュニケーション(interpersonal communication)は不可欠です。またこの種のコミュニケーションは、つねにその成果を現場にフィードバックするものであり、現場から得られる 知恵の習得・継承・発展は欠かせません。
人間が社会的生活をおこなうかぎり続いてゆく、具体的な結果を引き出すためにおこなう対人 コミュニケーションのことを、私たちは「臨床コミュニケーション(communication for action research)」と呼びます。
臨床コミュニケーションの場は、つねに具体的な状況 ——〈社会的文脈(social context)〉と呼びます——のなかで起こります。より適切な臨床コミュニケーションを生み出すためには、個々のコミュニケーションが、どのような社 会的文脈と結びつくのかを検討し、具体的な場——それが私たちの言う〈臨床(actual field for action research)〉にほかなりません——で検討することが重要になります」。
現在では、種々議論した結果、臨床コミュニケーションは、結局のところ Human Care in Practice と訳されることになった[出典]。
それゆえにこのページの読者は、こう思われるかもしれない。「ははん、ここでいう臨床という言葉 は英語のクリニック[病床に臨むこと]に相当しないのだ」と。そのような読者の理解は正しいし、私は、そのように日本語の臨床なになにという、形容詞とし ての臨床を理解してほしいと実際に願ったから、同僚との合議において、クリニック抜きの臨床という語の翻訳に同意したのである。
このようなこだわりの原因はただひとつ。臨床哲学、臨床社会学、(病床に臨むという狭義の語法か ら逸脱した)臨床なになに学など、病床に臨むという狭義の語法から逸脱した用語法そのものに不信感があるからである。
また、このような不信感は、私の心の中で次第に肥大化し、正真正銘の臨床医学、臨床看護学におけ る臨床概念すら、我々が造り出した虚構(フィクション)ではないかと思うようになった。
このようないささか強迫的な疑念を方法論として洗練させれば、良識的なノミナリズム(唯名論)的 立場から我々が使っている用語や、それにもとづく概念操作が、いかに論理的にはいい加減で、思いこみや誤解にもとづいていることを、いささかでも明らかに するツールになると思われる。
したがって、私の欲望は、世の中から臨床という言葉を絶滅させたいのではなく、臨床ということば の使われ方を分析することで、我々が臨床という言葉でカバーする〈事柄〉を批判的に理解したいということなのだ。
◆ クリニック=臨床という名称の由来
まず手始めに、クリニック=臨床=病床に臨むこと、という翻訳の正当性について考えてみよう。
クリニック(clinic)は、ギリシャ語で寝床という意味のクリニコス(klinikos) と、頼ったり、もたれ掛かるという意味のクリナイン(klinein)に由来するという。もし、このクリニックという言葉がこの二重の意味を生まれた時か らもっていたとすれば、その意味は深長である。つまり、クリックは病床ないしは病床の近くの空間であり——診療所のクリニックはその意味だ、またクリニッ クは今日でいうところの治療=救済=矯正(cure)と配慮=介護(care)という実践行為を意味している。つまり、病人の本復をめざす場所や行為は、 名実ともに臨床ということになる。
ついでに、病人たるペイシャントは、ラテン語の「苦しむ」や「忍耐」を意味するパティエンス (patience)、「ほとんど」という意味のペエネ(paene)、「必要だ」という意味のペヌーリア(penuria)からくるという。
ミッシェル・フーコーの『臨床の誕生』The Birth of the Clinic, 1994,1973[1963] 英訳者(A.M. Sheridan Smith)の解説には、フランス語のla clinique には、以下の二重の意味があるという。(1)臨床医学、(2)教育病院(teaching hospital)である。[ミッシェル・フーコーの臨床に関する情報はこちら]
さて、フーコーは、医学史家のアーウィン・アッカークネヒト(Erwin Heinz Ackerknecht, 1906-1988)らの指摘[1978]同様、18世紀末に登場し19世紀前半を席巻するフランスの臨床医学派の歴史的独自性に関心をもつ。
フーコーの『処罰と監視』と同様に、ある特定の時代における物の見方——それも集合的な行為 実践ではなく個々人に現れる〈まなざし regard〉——が、別の時代の人間にとって異なるのかということを、同じテーマに対する2つの叙述を対比的に描くことを通して、つまりそれらの間に横 たわる断絶を提示することを通して、我々に説得しようとする。このような見方の断絶についての学問的アイディアは、フランスのガストン・バシュラールや ジョルジュ・カンギレムたちのやり方(「認識論的切断」)に由来するものである。科学史研究におけるトーマス・クーンのパラダイム論を想起する人も多いだ ろう。
他方、人間の物の見方が、その時代の社会における言語的活動(=言説作用)通して形成される ものであるという見方は、フーコーをしてこの主義思想の創始者と言われるように、社会構成主義(social constructionism)の提唱とはじめての社会的影響力があった仕事というふうにも捉えることができるかもしれない。
アッカークネヒトによれば、パリ臨床学派(あるいはフランス臨床主義派)は、病気の分類への関心 から徹底した臨床での観察主義と死後の病理解剖を通して、病人を診るのではなく病気を見た医学者たちと言われている。ところが、フーコーによると、そのよ うな観察が個人についての科学的構造をもった叙述を西洋(すくなくともフランスの学者たち)が持ちうるようになったという、アッカークネヒトとは反対の主 張をしている。
とにかく、フーコーにとっては、臨床医学は西洋にとって独自の経験をもたらしたというのである。
「臨床医学的経験とは、西洋の歴史の上で、具体的な個体が、初めて合理的な言語にむかって開 かれたことを意味するのであって、人間対自己、及びことば(ランガージュ)対ものという関係における重要な事件である」(神谷訳 p.9)
たしかに、これは臨床医学ないしは、フーコーが取り扱っているパリ臨床学派に対する一種の買いか ぶりであり、歴史上の認識論的切断を前提にした歌舞伎的な大見得にもみえる。我々はすでに確立したフーコーの偉大さに目をとられて、彼が指摘する臨床医学 的経験における病気の個人化をあたかも歴史の一大事件のように錯認してしまうことになるかもしれない。
しかしながらアッカークネヒトによれば、このパリ臨床学派は、今日のような「研究室の医学」とい う経験がもたない、さまざまな奇妙な実践と経験の集積体であり、我々の日常経験から遠いところにあるものである。また、その医学思想の来歴も、むしろ啓蒙 主義の哲学とフランス革命後の政治的ダイナミズムとの関連で理解されなければならないものである。
◆ パリ〈臨床〉学派がもつ、臨床概念の特異な性格
アッカークネヒトがパリ臨床学派を描いた時に、さまざまな特徴を(我々の議論の展開にとって有効 だと思われるところを)テーゼ化してみよう。
(1)病院の医学:パリ臨床学派は、現代の「研究室の医学」でも古代の「ベッドサイド(つま り名実ともに臨床)の医学」でもなく、「病院の医学」であった。ただし、それは前者の間の過渡期のものでもないし、当時のヨーロッパの他の国に当てはまる ものでもない。
(2)哲学思想が生み出した医学:パリ臨床学派は、自分たちがおこなった革新性についてはほ とんど気がついておらず、ヒポクラテス的伝統をただ復活させたにすぎないと思っていた。他方で彼らの医学運動の萌芽には、啓蒙主義の新しい哲学(とくに感 覚論)というものがあった。このことから敷衍すると、今日における(形ばかりにせよ)ヒポクラテスへの医学的忠誠のスタイルは、臨床学派たちが知らないあ いだに生み出した、〈復古主義という形態をとった刷新的革命〉の産物である可能性をもつ。
(3)臨床観察中心主義:彼らは診断学においては全身全霊を傾け、臨床的観察ならびに死後の 解剖とその観察に専念したが、病人当人への関心はほとんどなく、またそれ以前の医学的治療法(下剤と瀉血)とさほど変わりはなく、また治療に関してはそれ ほど情熱を傾けた形跡はない。また、彼らの医学的スローガンは、「病人をみるのではく、病気をみよ」ということであった。にもかかわらず、その観察的思考 が生んだ死亡統計を彼らが自らとった結果、彼らの時代には死亡率が下がった(つまり医療の効果があった)という経験的事実が他方である。——つまり観察へ の執念が病人を[死亡率の改善を通して]ネグレクトしなかったとは言えそうだ。
(4)廃止という意図が保存と刷新を生む:パリ臨床学派は、フランス革命の落とし子であり、 ラディカルな医療制度改革の中で、それまでの古い病院を廃止しようとした運動があった。しかし、その運動は、逆に、国家が整備された病院をもち、それらを 中央集権的に管理し、かつ医師を育てる研究教育機関にするために、結果的に病院改革運動になってしまったという皮肉な結果をもたらした。
(5)単系遷移ではなく競合的共存:パリ臨床学派による「病院の医学」は、度重なる王政復古 と共和制の回復などの政治的な変動と、流行病の大流行によって、その内部でのヘゲモニーが さまざまなより小さい学閥や権威者へと遷移していき、最終的には、パスツールやベルナールの「研究室の医学」にその権威を譲り渡すことになった。しかしな がら、他方で、フランスの19世紀は、ベッドサイドの医学、病院の医学、研究室の医学へと移行するものではなく、それらの3つの医学が同時に存在してい た。
◆ 臨床概念の未来
アッカークネヒトやフーコーのような人たちがフランスの18世紀末に登場したこのような奇妙な 〈臨床〉概念の誕生について力説しているにも関わらず、そして、現代の医学がアッカークネヒトが言う「研究室の医学」に完全に遷移したと思われるように なっても、〈臨床〉の概念の先取権と独占権をもっているのは、現代医学である。
それは、社会的逸脱を統制する機関として、病床をそなえた病院が厳然と存在しているからである。 (→医学=医療の概念)
臨床哲学、臨床社会学、心理臨床学、臨床神学、臨床人類学などなど、さまざまな学問が〈臨床〉と いう形容詞の中に、人間の営みのさまざまな概念を込めようとも、このような用語の占有に冠するヘゲモニーの布置は変化しようとする気配はない。
〈臨床〉ブランドの排他的独占を維持しようとする人たちは、現代医療の病床にもとづく〈臨床〉が 本物の臨床であることを主張し続けるだろう。
もし、そのような状況が変化するとするならば、そのプロセスには次のようなシナリオが想定される だろう。
(1)現代医療の中心的権力を担う人たちが、臨床という現実の現場と、〈臨床〉という概念の 議論に、他の領域の人たちを招いて、自分たちの臨床の概念をより適切なものにブラシュアップしようとすること。
(2)現代医療の中心的権力を担う人たちが、もはや〈臨床〉の概念を占有することに対して魅 力を感じなくなって、外部の人たちに使われることを頓着しなくなる。
(3)現代社会そのものが〈臨床〉を、現代医療の中心的権力を担う人たちにその管理を付託す ることをやめるようになり、現代医療そのものが、臨床抜きに生存を維持できるようになること。
すくなくとも、これらがどのような状況のなかでおこるかは、予想しにくく現在の状況もまた流動的 である。しかしながらパリ臨床学派が19世紀後半には、フランス国内で急速にその魅力を失ってゆき、新しい医療概念とそれにもとづく実践が登場したよう に、現代の我々が熱病のように、その未来の展開に可能性を抱くという空虚な多幸性が、やがて理由もなく冷めてしまうこともまったくありえないとは言えな い。
それまでの間は、〈臨床〉の概念は、ポジティヴな意味を生産している限り、臨床について、誰が語 るのかについての議論は、当分の間ホットに続くであろう。しかし、それが過去の経験において、いったいどのような意味をもったのかについて反省を持たない 限りは、先人の轍を歩み続け、その先に大いなる挫折があることもまた事実なのである。
文献
リンク(ミッシェル・フーコー[Michel_Foucault]拾遺)
リンク(池田によるレクチャー)
拾遺
2006年12月1日に講義をおこなった。文学研究科の臨床哲学演習において、司会をおこ なった本間直樹さんは、私に2つの課題を与えてくださった。ひとつは、(1)臨床の概念を総論的に解説せよということ。もうひとつは、私たちがコミュニ ケーションデザイン科目を通して、吹田と豊中のキャンパスでおこなっている授業の内容は、臨床コミュニケーション関連科目と多くの内容が重複することであ り、この間をとりむすぶと思われる〈臨床〉の概念を整理してほしい、ということであった。臨床哲学の講座は、1998年の改称後にこのような名称(大学院 の教室として「臨床」)が附されたというので、私が講義をした時には、はや8年が経過しようとしていた。
私は講義の前半に、自分自身が大学院の医学研究科に所属しながら医師ではないことと、医学研 究科の中に、基礎と臨床という峻別があり、基礎には病む人に直接関わるという倫理的自負があり、これとは逆に基礎には純学問的な取り組みからみると臨床に は危険な雑多な性質があり、我々基礎こそがピュア(純粋)で価値中立的な研究をやっているのだという別のタイプの実践的倫理のようなものがあった。同じ、 医学研究を志すものが、〈臨床〉という概念をめぐって真っ二つに対立していたのである。そして、そのような緊張感が今日においてもまったく失われたわけで はない。
私は、コミュニケーションデザイン・センター(CSCD)においても、また臨床哲学の講座 (教室)においても、臨床という概念が非常に重要視されており、また、それについて今後とも考究をくわえることは、大変よろこばしいことであるという所感 を述べた。ただし、私にとって、この臨床という概念は、あくまで〈方法論としての臨床〉であることが重要で、〈学問の内実としての臨床〉を確立してやろう ということでは決してない。臨床哲学の人たちと同様、臨床を、その現場に行き、現場に寄り添い、現場において考えることが、〈臨床〉実践であると考えるの である。——もっともそう考えると、臨床哲学でも、医療社会学でも、医療人類学でも、それをどの分野の人間がやるのかという学問実践の排他的独占のための 〈方法論としての臨床〉を考えたくない。〈臨床という方法論〉はもっとオープンなものなのだ。臨床というアプローチは、我々の想像以上に深い方法論なので ある。
私じしんの臨床的実践について知りたいと思われる方は、下記のリンクをご覧ください
附論(→「神谷美恵子訳『臨床医学の誕生』の翻訳にまつわる問題」と同じ内容です!)
ミッシェル・フーコーの『臨床医学の誕生』の中でもっとも重要な章と言われる、第1章。しか し、読者の中には神谷美恵子の「すばらしい」?文化想像的翻訳のこの部分からつまった人が多いのではないだろうか。そのような人は、英語の翻訳から始める ほうがよいかもしれません。以下、この訳に関するエピソードについて紹介します。
■なかばグノーシス化した神谷 訳
「臨床医学的経験とは、西洋の歴史の上で、具体的な個体が、初めて合理的な言語にむかって開 かれたことを意味するのであって、人間対自己、及びことば(ランガージュ)対〈もの〉という関係における重要な事件である。ところが、この臨床医学的経験 は、たちまち次のように誤解されてしまった。すなわち、なんの観念も介在することなく、一つのまなざしが一つの顔と対面すること、あるいは眼の一べつ (クードーユ)がもの言わぬからだと対面すること、と考えられてしまったのである。この種の接触は、あらゆる論述(ディスクール)以前のものであり、言語 (ランガージュ)という邪魔者のないものであって、この接触によって、二人の生きた個人が、一つの情況の中に《とじこめられる》とされる。しかもその情況 は二人にとって共通なものであるが、相互的なものであるわけではない」(神谷訳 p.9)。
■英訳
Clinical experience -- that opening up of the concrete individual, for the first time in Western history, to the language of rationality, that major event in the relationship of man to himself and of language to things -- was soon taken as a simple, un conceptualizad confrontation of a gaze and a face, or a glance and a silent body; a sort of contact prior to all discourse, free of the burdens of language, by which two living individuals are ‘trapped’ in a common, but non- reciprocal situation (pp.xiv-xv).
■スペイン語訳 (Francisca Perujo による)※文字コードの関係でアクセンテは省略しています
La experiencia clinica -- esta apertura, la primera en la historia occidental, del individuo concreto al lenguaje de la racionalidad, este acontecimiento decisivo en la relacion del hombre consigo mismo y del lenguaje con las cosas -- ha sido tomada muy pronto por un emparejamiento simple, sin concepto, de una mirada y de un rostro, de una ojeada y de un cuerpo mudo, especie de contacto previo a todo discurso y libre de los embarazos del lenguaje, por el cual dos individuos vivos estan "enjaulados", en una situacion comun, pero no reciproca (pp.8-9).
■英語からの翻訳
臨床経験——それは西洋史において最初の経験なのだが、具体的な個人が合理性の言語に対して 開かれたのであり、そのことは、人間にとっての彼自身との関係、そして言語にとってのモノそのものの関係にとっての一大事だった。この臨床経験は、その後 すぐに単純化されるように、ひとつの顔にひとつの眼差しを向けること、あるいはひとつの沈黙した身体にひとつの一瞥を向けることという、一種の概念化され た対峙というものであった。それは、言葉=言語の負担から自由になり、共通に閉じこめられた2人の個人が、しかしながら相互にやり取りができないことによ り引き起こされるという、すべての発話のやり取り(=言説)の先立つある種の接触=遭遇のことであった。
■スペイン語からの翻訳[出 典:パスワード必要です EspaciosClase.pdf]
臨床経験——それは西洋史における原初であるが、具体的な個人が合理性の言語に開かれるこ と、人間とそれ自身の関係、そして言語と事物の関係におけるこの断固とした出来事だった。この臨床経験は、単純な出会い(=対になること)によって、深く 考えられることなく、ひとつの視線とひとつの顔(表情)によって、ひとつの一瞥と黙りこんだひとつの身体によって、すぐに採用されるようになるが、(それ 自身は)あらゆるお喋りと言語の困惑から自由になった、それらに先立つ出会いの空間であり、情況を共有したなかで、ふたりの個人が「閉じこめられて」いる が、しかしながら相互交流もしないことによるものなのである。
■この文章のフーコーの学説に 基づいた合理的で可能な解釈
臨床経験は、西洋史においてその当時はじめて生まれた実践であった。その含意は、具体的な個 人が医師による臨床経験を通して合理的に説明されることであり、それはあたかも人間が自分のことを意識して説明することや、観察にもとづいて言語を使って 事物を記述するという点で、とても厳然とした(あるいは革命的な)出来事だったのだ。臨床経験は、それを受け入れた医師や医学生たちによって、現場で患者 と純粋に出会うこと、ベッドサイドに行かねば臨床は始まらないと単純に理解されているが、そんな単純なものではない。臨床の現場は、医師と患者が「逃れら れない」情況のなかでのみ生まれる固有で貴重な経験とみなされているが、実際には、医学的に統制された環境のなかで、予断と偏見から自由になれたと思いこ まされる、つまり客観的な遭遇の空間ではあるが、実際には医師と患者は(思ったほどには、あるいは全く)コミュニケーションしていない遭遇の空間なのだ。