旅行記と民族誌のちがい
What is/are difference/-es between travelogues and ethnographies?
今日のテーマは、旅行記(トラベローグ)と民族誌のちがいについて考えよう。
――うんじゃ、民族誌と旅行記をそれぞれ定義してもらおうか?
==民族誌とは、地域社会に入り込んで、そこでわかったこと、感じたことを書き記したものではないでしょうか?
――ん、じゃ、旅行記も地域社会に入り込むほどではないけれど、その土地の人たちと交流して、そこでわかったこと、感じたことを書き記した ものではないかなぁ?
==いえ、民族誌と旅行記は異なると思います。
――ほかの人は?
==民族誌と旅行記は大筋においては違うけれど、共通している部分もあると思います。
――両者の関係については、いろいろな位置づけがあるようだね。この最初の定義から、ちょっと距離をおいて、別の角度から、この両者を論じ られないかな?
==旅行記は一人称で書かれてあり、民族誌は三人称で書かれているのでは?
――そう? もうちょっと詳しく説明してくれないかな。
==だって旅行記は、旅の印象を書くでしょう。それに対して民族誌は「科学的」ないしは「客観的」に書かれるものでしょう?
――う〜む、確かにそんな気がするなぁ。一般的にはそうだよね。だから、一人称で書かれたものは、あたかも例外のように「一人称の民族誌」 なんて言うし、「旅行記なのに風俗が民族誌のように上手に書かれている」なんて偉そうに言う人類学者がいるもんねぇ。
==つまり、民族誌と旅行記は、書き手の使う人称が違うのです。
――じゃ、一人称の民族誌はあくまでも例外かい? あるいは人類学者がそのような書き方を禁じているものなの? つまり両者の違いは、書き 方のスタイルの違いなの?
==私は、民族誌と旅行記は共通するものもあるという見解に立つのですが……
――じゃ、共通する部分もあるわけだ。
==それは、社会や文化に関する記述ということです。
――では、その違いは?
==民族誌はフィールドワークにもとづいて、ここも旅行記にはないところですけど、社会や文化をタイケイテキに記述したものです。
――体型的?エルンスト・クレッチマー(Ernst Kretschmer)か?!……ああ体系的ですね。オヤジギャグをかましてしまった。さて、体系的といっても、じゃあ文学表現も、意識 や情景の移り変わりを描いた非体系的なものだろうが、体系的なものもあるのでは?
==そうですね。文学にも体系的な記述がまったくないとは言えない。でないと、読者がストーリーを把握できないもん。
――おっと、そういう反論というかコメントが出てきたけど?
==民族誌にも、旅行記にも両方文学的要素はあると思います。けれど、民族誌には、それに加えてカガク的要素があります。
――化学的?ねぇ、エスノグラフィック・アルケミー(民族誌的錬金術)か、いいねぇ。
==はぁ? ケミストリーじゃなく、サイエンスですよ。
――おおっ、すっかりオヤジギャグだよ。もとい、整理すると、民族誌には文学的要素に加えて科学的な記述の要素があって、それがないとただ の旅行記になるわけだ。
==そうです。
――ん、でもほんとうかな?
【ここで種々議論がつづく】
――真実の記録をすることに民族誌の本義があるとするならば、じゃ写真はどうだろうか?
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