「拡張するヘルスコミュニケーションの現場」に寄せて(草稿)
多大なる犠牲を今なお払いつつ現在進行形である2011年という年は「リスクをめぐるヘルスコミュニケーション」がもっとも重要になった重要 な時期として今後も想起されるでしょう。悲劇から学ぶという意味でも「ヘルスコミュニケーション」をめぐる根本的な更新の元年であることは間違いないと思 われます。
あの神戸と淡路島を中心に襲った悲劇的な1995年1月17日の震災は、日本における多文化間コミュニケーションやそれにもとづく医療通訳の 市民からの声が生まれたことはよく知られています。激甚災害時には情報マイノリティが大きな不利益を被り、悪意ある風評や民族偏見によって過酷な差別問題 が生じました。多言語による救援情報の発信や多文化・多言語通訳翻訳の必要から、民族的あるいは[手話を含む]言語的なマイノリティへの支援の輪が市民を 中心に沸き上がりました。これはその後におけるニューカマーを中心とする在日ならびに渡日外国人のための医療通訳の必要性や、日本国内の看護福祉現場にお ける異文化間看護・介護従事者への関心にも連なるある種の市民的伝統の形成を齎(もたら)しました。これはヘルスコミュニケーションにおける言語と文化の翻訳に関す る見事な実例です。
さらに震災から復興する経験は、罹災者への中長期的な支援をしぶる政府ならび地方自治体に対して、復興に際して公的支援を包括的におこなうべ きだという市民立法化への動きを生みました。罹災経験をもつ著明な市民運動家やさまざまな現場の専門家も積極的に関わり、この経験は御存知のように「被災 者生活再建支援法」の立法にいたりました。この法律は最終的に議員立法によりましたが、そのシーズは市民の現場を声から始まりました。被災者の支援を広義 の福祉や健康へのエンパワメントとすれば、これもまた法をめぐる対話とコミュニケーションの結果と言えると思います。
学問研究では減災学・減災論ともいえる学際分野が生まれるようになりました。とりわけヒューマンコミュニケーションの分野では、防災教育から 一歩進んだ「減災コミュニケーション」という造語ができました。リスクや被害をゼロにする非現実的な目標に向かうのではなく、あらゆる災害における現実的 リスクや被害を「想定」して、そこから危険因子を現実的に減じていくという功利的発想のことです。これまでの社会心理学の知見や経験が動員されて、災害時 の人間や社会の動きを予測してそれを減災に役立てようとしたのです。未来予測や、想定できる可能性から複数の「シナリオ」を書くというゲーム論的な発想が ヒューマンコミュニケーション分野にも果敢にも導入される契機になりました。
これらの学問と社会との結びつきに関する社会現象を俯瞰してみますと、私たちは様々な特徴に気づくはずです。ひとつにはヒューマンへの力点の 移動なのでしょうか。それはコミュニケーションを意図する人・制度・組織は、呼びかける相手を「配慮すべき対象」から、対等に「対話すべき対象」へとその 取り扱い方が変化したことの顕れかも知れません。当事者との協働のあり方について踏み込んだ展開が進んでいるのかも知れません。
ヘルスコミュニケーションは、現場ではさまざまなリスクについて理解が求められるため、臨床の現場に収斂することが多いものです。疾病や疾患 という人生における危機の克服と、そこからの本復をめざし、保健医療に関わるすべての人たちの理想である共存・協働・自己実現を目指しているということが 今まさに求められています。また、数々の実例からこのような理想の実現がどのような状況において可能になるのか私たちは少しずつ感触を抱きはじめていま す。もちろん良いことずくめではありません。保健医療の歴史は、しばしば治療や本復が至上命題とされ、病む人、苦悩する人の主観的経験や回復の過程に自ら 関わる内省経験について理解が後回しにされ、さらに病む人に対する善かれと思っておこなう臨床実践が、当事者とのコミュニケーション不足などのために、災 厄の歴史でもあります。癒す人と苦悩をする人の間の破局的なディスコミュニケーションの歴史でもあるのです。私たちはヒューマンコミュニケーション元年と いえる現在、このような両方の経験について慎重に精査し、よき成果を進展させ、また悪い結果から今後の改善のために虚心に学ばねばなりません。
2011年3月11日14時46分、東北地方太平洋沖地震とそれに引き続いて起こった大津波による大災害は、被災地から遠く離れたここ大阪で も冒頭で触れた16年前の阪神・淡路大震災の経験と記憶をまざまざと思いおこさせました。今般の震災直後におこった太平洋岸での福島第一原子力発電所での 大事故は、この原稿を書いている時点ではさまざまな対策が引き続いていながらも、いまだ予断を許さない状況にあります。犠牲者のみならず今なお復興途上に あり避難を余儀なくされている人びとの心中を察すると、その無念と希望の喪失はいかほどのものであるのかと大会事務局メンバーのすべてが心を痛めていま す。学会関係者とともに、御不幸に遭難された方々への哀悼を表し、調査と研究を通して保健医療分野に関わる者として、この研究をより意義の深いものにした いと考えています。
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