病気を経験すること・病気を語ること
パーソンズの病人役割の議論を手がか りにして
解説:池田光穂
2011年11月28日、私は「現場力と実践知」の授業の準備をしなければならないなぁと思っていた時に、まず事務から知らせを受けて、NK さんのウェブページの修正についての学外からの依頼があり、その作業をしていた。
◎2008年度授業臨床コミュニケーション第6回 「病むことの意味」 http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/081106COM2.html http://bit.ly/vsiDOd
修正をした後、指摘してくれたその学外者とNKさんにメールを書いてから、しばらくすると私の携帯にNKさんからの電話。私は“いつもなら彼 はメールで返事するのに、電話してくるなんて、今日はえらい丁寧やな”と思いながら通話を開始する。「今朝、風呂で転んで右手の薬指と小指をものに挟んで 裂けてしまいまして、11針縫いました」(2,3針の治療経験しかない私は心の中で)“ひえ〜”と叫んでから「あら、ま」「ついては明日の現場力の授業の 車の送迎ができません」「そんなええよ、NMさんは私の車で運ぶから…そんなことより、お大事にしてください」云々。
そんな話をしていたら事務の人が来て現場力の授業のTAの勤務書類の話。そのついでか「そういえばNMさん、旅先で高熱を出して寝込んでいま すよ」との話。私は心の中で再度”ひえ〜”と叫んで、予定していた授業資料の作成を中止にした。その後、お二人から先の情報とはかなり異なるニュアンス で、それぞれの病気についてのメールで“釈明らしきもの”を頂く。私は“病人は仕事の義務から免罪される”のに、というタルコット・パーソンズを思いだし つつ、もし、おふたりがこの授業に出席されなくても、病気や怪我の経験を話すことや経験もまた、広い意味での実践知を考察することにつながると理解して今 日の標題のテーマに急遽変更することにしたのである。私の記憶と経験が新鮮なうちに“病者の経験や語りにより添うこと”の意味について考える必要を感じた からである。プロの意識と言うのにはおこがましいが、このチャンスに皆さんと(もしお二人が授業に来れば)一緒に考えてみたいと思った。
課題:
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■タルコット・パーソンズ(1951)の病気役割・病人役割
病人(sick person)とは病気(sickness, illness,
disease)にかかった人です。病気は西洋医学の伝統から長くその病人本人に内在する生物学的な異常として取り扱われてきました。しかしながらパーソ
ンズは病気をそのようにはみません。病気は社会的な逸脱の一種であり、その理由が医学体系から承認されたものなのです[Parsons
1964:270,
1978:17-20,26]。医学体系もまた生物学的な異常を定義する規準をもちますが、専門職である医師の判定は異常の認証においてその権能を社会的
に付与されています。「病気は人間個人の全体の『通常の』機能における撹乱(障がい)の状態であり、その状態とは生物学的システムとしての有機体の状態
と、その人の(his)個人と社会の調整の状態の両方を含む」[Parsons
1951:431]と言っています。パーソンズにおける病気とは、個人の生理的異常と社会がそれを逸脱の一形態である「病気」と認定するものとのセットに
なっている点で、生物現象と社会現象を媒介する結節点に位置します。そのような意味で病人になることは、社会的なものとの出会いなのです。
■出典
■パーソンズの主張(1951:436-437)
・病人(sick person)には〈権利〉と〈義務〉が生じる。
・病人がもつ権利は、1)通常の社会的役割(例:労働、勉強、家事など)から免除されること、2)病気になることに責任が帰されない(例: 身体の不調は本人の責任ではなく感染や運など、人間が制御できないものによる)
・他方、病人の義務は、3)病人は良くなること(=本復すること)を期待されている。そして4)技術的に有効な治療法を探さないとならない し、また、医療専門職と協力しなければならない。
出典:Ideas about illness : an intellectual and political history of medical sociology / Uta Gerhardt, New York : New York University Press , 1989, p.61
出典:『宗教人類学入門』[共著]関一敏・大塚和夫編、弘文堂(担当箇所:第二部第五章・池田光穂著「病む」)Pp.160-
175、2004年 12月から(参照ページ「〈病む〉ことと〈治る〉ことの社会的決定」)
■批判
・病人の受動性が強調されすぎている。
・病人は(自動的に)医療専門職のもとに訪問しなければならない前提がある。
・権利というが、いつも行使されているわけではない。
・病気になることが「本人の責任」に帰されたり、スティグマを張られたりすることがある。その場合は、病人になるという上記のような合法的 性質をもたない。
・急性期の疾患にのみ通用する。ただし(Parsons 1978)で慢性疾患も可能だと主張。また、慢性疾患は、医療専門職からの自立をしばしば求められる。
■含意:病気を経験すること・病気を語ること 池田光穂 2011年11月29日
〈病人〉社会的役割からの免責 〈医療者〉病人の訴えをきく責任 〈両者の関係性〉病人と医師の関係性
病気は本人の責任ではない 病気になることに価値づけをしない。病気を生物医学的に中立に扱う。 病気概念の社会的価値づけ。病人の異常に対して(営利などの動機を超えて)社会は対応しなければならない。
本復することを期待されており、かつ行動する責任 患者の期待に添うように、対応する 病気は、一時的な異常状態であり、病人は正常化することが期待される。
治療法を求める義務、医療者と協働する義務 患者の義務にふわしい知識と技術の提供 治療行為の共同性。科学技術的水準の確保
■ credit: Talcott Parsons’ “Sick Role” Revisited: An
anthropological commentary on key concept of medical sociology, 2013
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099