はじめに よんでください

〈病む〉ことと〈治る〉ことの社会的決定

——宗教人類学と医療(3)——

池田光穂

〈病む〉ことは、人生において不可欠の経験である。

〈病む〉ことや〈治る〉ことを学問的に厳密に定義することは容易ではない。まず病むことや治ることの具体的な諸相は、人間の個別な出来事であり、それを一般的な用語でとりまとめることは困難だからである。 この〈病む〉ことの個別性や多様性は経験的事実から傍証することができる。1980年代中頃の中央アメリカ・ホンジュラス西部のメスティソ農民における病 気の語彙について調査していた時に、私は単純な事実を発見した。つまり、病気に関する語彙は、治療や治癒に関する語彙よりも多様で豊かであるということだ [池田 2001:255-260]。これは、一方では病気の具体的な成り立ちが予期も原因も不明瞭であり当てずっぽうも含めて多様で曖昧なところから出 発することに起因するからであろう。そして、治療においては、病気の成り立ちについて文化的説明が行われる際にはいくつかのパターンに収斂されるようであ り、その中から限定的な選択を通して、最終的に病気が治るときには、その結果は〈治る〉と〈治らない〉の判別レベルまで縮減されることにも起因する(図の 上半分を参照せよ)。人間は多様に病み、そして一様に治癒する。このことは、全世界の開発途上地域における保健政策において、しばしば中央政府が健康的な 生活のために声高に主張する具体的な対策——消毒や衛生——がなかなか普及成功しない歴史的事実とも関連している[池田 2001:43]。なぜなら、人 間が多様に病むことを無視し、選択肢を与えない近代医療で施術しようとしたからである。(→「人は多様に病み単純に治る(テーゼ)」)

治癒過程の模式図

病気の脅威に直面する人間集団が、さまざま治療手段 を発達させてきたことは論を待たない。伝統医療や民族医療と呼ばれることもあるこれらの治療手段は、単純な経験的知識の積み重ねだけではなく、しばしば、 現地の社会関係や象徴的な宇宙観や身体観の反映でもある。従って〈病む〉ことも〈治る〉ことも社会構造やそれに関連した文化と深く関係する。また、治療に は流行り廃りがあることから、〈病む〉ことも〈治る〉ことも、同じ社会においても長期に変化することも明らかである[ブロック 1998]。

〈病む〉ことと〈治る〉ことについて近代医療の用語 で説明すれば、前者は疾病の罹患あるいは症状の発生であり、後者は治癒あるいは緩解——症状が改善されたり一時的に治っている状態——のことをさす。伝統 的な治療師と同様、近代医療の医師も、患者やその家族が〈病んでいる〉とか〈治った〉と主張することと、医学的に発病したり治癒したと判断することは区別 して考える。つまり自覚症状と他覚症状は区別して考えられている。従って患者の側の主観的判断と(伝統的および近代的を問わず)治療者の判断が相反するこ とがある。近代医療においては、原則的に医師の治癒の判断は客観的で正しいものとされ、患者や家族の判断はそれほど尊重されない。しかし、近代医療に比べ て非西洋医療では後者はより重視される傾向がある。

前節で述べたように、人が多様に〈病むこと〉から始 まり、〈治る/治らない〉という判別に終わる病気の挿話(illness episode)は、経験的事実に即して具体的に追跡することができる。多くの社会において、病気と治療の挿話には、その文化が規定する因果的連関にもと づいた時系列的変化に応じて、共通する特徴が見られる。それは(1)病気の原因、(2)発病の時期と様式、(3)病気の具体的な諸相の変化、(4)病気の 一般的な経緯と重さの度合い、(5)病気や症状に応じた治療法である。これらの5つの要素からなる病気と治療についての理論と行動のセットをアーサー・ク ラインマン[1992]は「説明モデル」(explanatory model)と名付けている。

病気の発生を、不幸をも含めた災い一般とそれを説明 する際の文化的に決定された論理とみると、それは「災因論」[長島 1987]として捉えることができる。災いの原因の結果を結ぶ説明は、治療者と患者が もつそれぞれの固有の経験や歴史的経緯により多様性をもつが、他方で文化的にいくつかの類型化された説明体系と治療のシステムというものがみられる。従っ て災因論は、当該社会における不幸の原因と結果を秩序づけて説明する際の文化的図式の描き方の技法でもある。この社会的な分析格子を通して、それぞれの社 会で不幸が偶発的な条件に左右され一定の多様性を確保しながらも、部外者に対して説明可能な論理として抽出することができるからである[池田 1992: 165]。

インデックス

    1. 人間は〈病む存在〉である
    2. 〈病む〉ことと〈治る〉ことの生物的決定
    3. 〈病む〉ことと〈治る〉ことの社会的決定
    4. 〈病む存在〉と〈癒す存在〉の社会的役割
    5. 〈病む〉ことの宗教人類学の可能性


文献


Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099

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