はじめに よんでください

〈病む〉ことと〈治 る〉ことの生物的決定

――宗教人類学と医療(2)――

池田光穂

〈病む〉ことは、人生において不可欠の経験である。

人間の生物種としての同一性は、生殖的事実から証明 される。また人間の社会的なクラスの違い――例えば人種や階級――は先天的なものでは断じてない[Montagu 1997]。したがって、もし宗教が人間を癒す具体的事象に、なにがしかの生物学的根拠があるとすると、それは社会的・心理的条件が揃えば、人間社会に属 する誰にでも起こりうることになる。

〈病む〉ことが、宗教的にみて人間存在の調和的なあ り方からの逸脱だとすれば、生物学的にはそれは身体の生理現象の逸脱である。心理的側面を含めた人間身体は、しばしば〈内部環境〉という用語で説明され、 人間を取り囲む全体は〈外部環境〉と呼ばれる[ベルナール 1970]。この概念で説明できることは、外部環境の変化が内部環境に対して不調をもたらすこ とがあるという病気の生理学的根拠を説明する。他方で、内部環境の崩壊が外部環境に影響を与えることもあり、これは個人の病気や不調が、個人を取り囲む家 族や社会全体に悪い影響をもたらすという社会学的現象を説明する。したがって病気が〈治る〉ということは、単に人間の内部環境が調和を取り戻すだけでな く、外部環境そのものの安寧を実現することにつながる。世界保健機関の健康の定義にあるように、健康は単なる個人の身体的な壮健さのみならず、心理的にも 社会的にも良好な状態にあるということも、これらの理念の反映である。

このような内部環境と外部環境の調和という見方は、 ヨーロッパ18世紀中頃のロマン主義に起源をもつ。つまり人間が内部と外部の二面性をもつことで人間性が維持されてゆくことの重要性は、啓蒙精神が明らか にしたような理性の作用だけでなく、非理性の社会的意義が再発見される過程の中で登場した。これらの見解は、社会学理論としての社会有機体説を生み、社会 そのものも個々の要素が集合した以上の働きがあることを示した。

〈病む〉ことと〈治る〉ことに関する生物学的な有機 体説は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、クロード・ベルナール(1813-78)の内分泌説、ウォルター・キャノン(1871-1945)のホメオ スタシス説、ハンス・セリエ(1907-82)のストレス説、によって医学生理学的根拠が明らかになった。つまり、信仰による治療というのは、単に心理学 的な暗示によって自覚症状だけが改善されるのではなく、内分泌物質すなわちホルモンによって身体の全身に作用がもたらされ、病巣への生理学的かつ免疫学的 な治療効果を生むという説明がなされた。さらに心理学的な暗示も、生理学的効果が生じることがあり、これらはプラシーボ(偽薬)効果と呼ばれている。勿論 すべての信仰に生理学的効果があるとは言えないが、信仰治療において自覚症状が改善されたときに、単に心理的暗示のみらなず、生理学的作用を持ちうること も一部ではあるが証明された

インデックス

    1. 人間は〈病む存在〉である
    2. 〈病む〉ことと〈治る〉ことの生物的決定
    3. 〈病む〉ことと〈治る〉ことの社会的決定
    4. 〈病む存在〉と〈癒す存在〉の社会的役割
    5. 〈病む〉ことの宗教人類学の可能性


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