はじめに よんでください

〈病む存在〉と〈癒す存在〉の社会的役割

——宗教人類学と医療(4)——

池田光穂

〈病む〉ことは、人生において不可欠の経験である。

〈病むこと〉や〈治ること〉が社会的に決定されよう とも、その具体的な諸相は人々の行動の中に観察されなければならない。またそれらの行動に対して当事者がどのように語るのかについて耳を傾けないと、その 現象の内実に迫ることができない。このような研究領域は「病気の意味論」(illness semantics)と呼ばれる[グッド 2001]。

一般に〈病む存在〉をどのように処遇するのかは、病 人の属する社会構造、文化的パターン、歴史的状況、社会経済的状況、という外部環境要因と、病人の属する社会階層、家族構成、年齢、ジェンダー、罹った病 気の種類といった病人の属性などの要因により様々に異なる。これまでの学問的説明は機能論を使うことが多かった。一例として、生存環境が過酷な採集狩猟民 社会は、社会を維持してゆくためにはリスクが増えるために病人に対しては冷遇し、経済的に余裕ができた裕福な社会では病人を手厚く扱うと説明がある。しか しながら、社会生活が豊かか否かは実際には余暇時間や日常生活におけるエネルギー取得効率などの様々な指標によって多元的に評価することが可能であり、ま た例外も多く機能論的説明は現在ではそれほど多くの支持者はいない[サーリンズ 1984;池田 2000b]。

むしろ、しばしば観察されることは、それぞれの社会 には、文化的に定型化した病人の役割行動の典型的なパターン[パーソンズ 1974]があること、そして、それらのパターンにおいて病人役割の遂行を上手 におこなっている病人や家族と、そこからさらに逸脱する病人や家族が存在するということである。勿論、逸脱を説明する論理も文化的拘束性から逃れられない [上野 1996]。

当該社会において生きる人が、病人役割をどのように 獲得してゆくであろうか。この問題はG・H・ミード[1995]が指摘したように、人間の社会化における他者との相互行為を通しての役割取得、特にその過 程における〈重要な他者〉(significant others)の存在が重要になる。重要な他者は個人を取り巻く中でも最も影響を与える人間を概念化するものである。病人の社会化にとって重要な他者は、 家庭内治療の現場においては両親や親族である。病気に罹った子供は看病する親族の身体所作と質問という相互行為の中で、自分が病者としてどのように質問に 答え、また身体の振る舞いのやり方を学ぶのである。他方、様々な病気を経験するうちに——つまり病気経験がより社会化されてゆく過程で、重要な他者は、医 師やシャーマンなどの治療者になってゆく。とくに伝統社会における呪術的治療者のイニシエーション過程を調べてみると、治療者自身がかつての重篤な病人で あったことがしばしば観察される。また呪術的治療者の修行者においては、その技術の習得が比較的長期にわたるために、より洗練され強力な治療者の存在が役 割アイデンティティ構築において重要な意味をなす。ボアズの民族誌からレヴィ=ストロースが紹介し分析したクワキウトルのシャーマンのケサリード(= ジョージ・ハント)の話は、そのもっともよく知られたものの一つであろう[レヴィ=ストロース 1972]。

インデックス

    1. 人間は〈病む存在〉である
    2. 〈病む〉ことと〈治る〉ことの生物的決定
    3. 〈病む〉ことと〈治る〉ことの社会的決定
    4. 〈病む存在〉と〈癒す存在〉の社会的役割
    5. 〈病む〉ことの宗教人類学の可能性

文献


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