姨捨伝説・異説
A Heterodox Interpretation of a Japanese folktale of "OBASUTE-DENSETU(Discarding his old mother off in Mountainous Deep Forest)"
姨捨伝説・異説 A Heterodox Interpretation of a Japanese folktale of "OBASUTE-DENSETU(Discarding his old mother off in Mountains)"
「信濃の国更級の郷(戸倉・更級地区)に一人の若者が住んでいました。若者は養ってくれた伯母を母のように慕い、大切にしていました。ところが この国の殿様は、年寄りが大嫌いで、「六十歳以上になった者は山奥に捨てよと」と、おふれを出していました。伯母も七十歳になってしまい、若者は泣く泣く 背負って、姨捨山に捨てたのでした。けれども、後ろ髪がひかれ一人で帰る気になれません。若者はそっと引き返し、老婆を背負って帰えりましたが、道に迷っ てしまいました。すると老婆は「おまえが道に迷わないように、小枝を折ってあるからそれを目印に歩きなさい。」と教えてくれましたので、無事帰ることがで きました。誰にも分からぬように匿っていました。」(淺川かよ子『更級埴科の民話』信濃教育会出版部、1979年:ただし出典は、http: //kameyahonten.jp/obasute.html)
【解題】
この民話では、捨てられるのは実母ではなく、伯母(たぶんそれも母方の)だったのかと聞くと意外な思いをするに違いない。また、その伯母と甥 の関係が、実母と実子との関係であったことが重要である。親族関係の愛情というものが、生物学的な要因で決まるのではなく、社会関係の延長上にあることを 示唆するからである。そして、実際、その甥は社会的規約とされる「殿様のおふれ」に従い、彼らの深い愛情的紐帯とは無関係に、その約束に従うのである。つ まり、親子の愛情も社会的規約の延長上に生まれ、親を捨てるという暴君とおぼしき「殿様」——権力による強制力を象徴——の命令も社会的規約なのである。
※ラドクリフ=ブラウンによると、伝統的な父系社会では、母方の伯母(オバ)と甥(本人)の関係は非常にフランクで際どい性的なジョークも
許される(これを「冗談関係(Joking
relationship)」
という)。それに対して、父方の叔母(オバ)と甥(本人)の関係は礼儀ただしく冗談関係をふくむ親密なコミュニケーションをとることを禁じられるという
(これを「忌避関係(avoidance
relationship)」という)。ただし、この2つの関係については対称的になるものと、非対称(すなわち冗談関係はあるのに忌避関係はない/少な
い)などがある。 - "Joking
relationship"
Radcliffe-Brown, A. R. (July 1940). "On Joking Relationships".
Journal of the International African Institute. 13 (3): 195–210.
この民話の別のヴァージョンでは、若者が伯母(ないしは実母)を背負って山中に「捨てに(棄てに)」いく途中で、背中で「ポキポキ」と音がす るので、不審に思い、ふり返って伯母を問いただすと、若者が山中で道に迷って困るだろうからと枝を折っているのだと答えるというものがある。このシーン (ないしは語り)のほうが、捨てに背負った育ての母の「愛情」をひしひしと感じ、若者が「殿様の命令」に背いてまでも、育ての母を「救命」しようと決心し ようとするより感動的なものになっている。
いずれにせよ、自らは捨てられる運命にある行く末のことよりも、子供が迷子にならないように心を案ずる老母の愛情ということが、ここでは重要 な要素になるわけだ。また、それが姨捨を命じる殿様や「おきて」の理不尽さと好対照になっているのである。
しかしこれは、老母が自らの犠牲にする精神に対して、若者が報うという「道徳的返済」あるいは「道徳的取引」のようにも思える。あるいは、現 代風に言えば一種のWin-Winモデルのようにも見えてくる。このように解釈するためには、この民話をゲーム論的に捉え、若者と老母の間を、行為(演技 あるいはプレイ)する独立した主体として考える枠組みの変更が必要となる。つまりこういうことである。
両者は、老母を捨てなければならないという情況に対して明らかに違和感をもっている。そして、この物語を読む我々もまた、そのような日常の愛 情を踏みにじる「殿様のおきて」を理不尽なものと感じている。彼らが抱える相矛盾する情況とは2つの行動原理のジレンマにある。
若者=【伯母を山に捨てたくない、ないしは捨てない】∩【掟に従わない場合は罰せられる】 伯母=【自分はまだ死にたくない】∩【自分が生き残れば甥は罰せられる】 ※ここでの記号【∩】は初等集合論で言う「かつ」のことで、両方が満たされる条件のことを指しています。 |
この矛盾を解消するために、若者と伯母は、それぞれ【伯母を山に捨てたくない、ないしは捨てない】および【自分はまだ死にたくない】という欲望 =要求を諦め、【罰せられることを回避】するために、両者とも山にゆくことを同意するのである。なぜなら、山に出立する前の、あるいは山中においても2人 は以下のような矛盾を抱えているからである。
若者と伯母=【捨てたくないし/死にたくない、でもこれは法権力に従わないことである】∩【若者が掟に従わなくとも年寄はいず れ法権力により殺されて、あるいは追放されてしまう】 ※【∩】は「かつ」のことで、両方が満たされる条件のことを指しています。 |
言うまでもなく、人民が抱えている健全な道徳上のジレンマを解消することなしに、人民の意思を無視してある行為規範を押し付ける法は、その法の 遵用がその帰結として害悪をもたらすゆえ「悪法(bad law, evil way)」である。いずれにせよ、両者は矛盾を抱えており、彼らは【伯母を捨てる/山中で行路死を余儀なくされる】を選択するのである。
しかしながら、山中で、彼らの行動は一変し、甥は伯母を見殺しにすること(とそのことの未来での後悔)を回避し、伯母は生き残ること(のみな らず我が子と共に老いることができる)に成功する。しかし、冷静に考えると、このことによって非常に重要なことは、見殺しにされる運命であった伯母が、山 中で、それも道すがら「木の枝を折っておいた」ことに他ならない。
お涙頂戴の美談ならば、甥が無事に帰ることを希求する伯母の「愛情の象徴」として「枝を折る行為」を位置づけることができよう。愛情の深さ は、枝を折るという(一見)なにげない事のなかに表れている、すばらしい象徴論的転換に表現されているからである。だが、これだけでは事例の民話をうまく 説明することができない。なぜなら、民話では「おきて」に反した甥が、伯母を再びおぶって下山しようと試みた後に、道に迷ってしまい、背中の老婆から、行 きの道中で枝が折られたことを知り、無事に帰ることができた。つまり、もし甥が「おきて」に従い、山中で老婆を捨てていれば、甥は老婆が行きの道中で枝を 折ったことを知らないわけだから、もしそのことにつき自分自身で気付かなければ、甥もまた山中で行路死を遂げることになる。甥は棄老後にきちんと里に帰る ことが成功し、かつ老婆が不幸にもその後に山中で衰弱死を遂げることを、もし仮に——この表現は多くの慈善家ないしは道徳企業家の神経を逆撫でをするだろ うが——Win-Loseに終わったと表現することができる。しかし、実母のように慕っていた甥にすれば、このWinは決して快いものではなく、せいぜい 「おきて」を遵守したこと程度にすぎない(だから先に述べたように、この「おきて」は悪法なのである)。だから心理的感情という面では、Lose- Lose の関係、すなわち、老婆は死にたくないのに山中に棄てられ死ぬ事余儀なくされ、甥ないしは子供は、老婆を山中に棄老したことを後々後悔するだろう、という ことは想像に難くないのである。
では、なぜ、そんな関係ではなく(その後、甥の殿様に対する「奇跡のリベンジ」——関心のある人は類似の民話や『今昔物語』巻五・参拾弐話 「七十に余る人を他国に流し遣りし国の語」を参照——まで床の下に隠れて暮らす事になるのであるが)伯母は里に帰ることができ、かつ甥も実母以上に慕う伯 母と一緒に暮らす事ができたのか、すなわちWin-Winの帰結をもたらすことができたのかについてさらに考察を深めてみよう。
重要なのは伯母が山中で木の枝を折った行為である。この愛情物語では「子供のことを思って」枝を折ったというストーリーが記号的に繋がってい る。つまり、枝を折る行為を「子供が山中で道に迷わないため」ないしは、その「子供を思う親の愛情」の象徴として描かれている。しかし、外側に現れ、甥と 読者である私たちには、ただ枝を折った事実しか分からない。あるいは、甥も読者も、甥の設問「なぜ枝を折るのか?」に触発された伯母の答え「お前が下山途 中で道に迷わないため」という発話を聞いて、はじめて涙で打ち震えるのである。このことは、登山マップもましてやGPS機能のついた端末すらない情況の中 で山中で迷った経験のない人だけにしか、なかなか実感として分からないだろうと思う——私は大学生の初学年の時に屋久島で私を含めた3人のパーティが宮ノ 浦岳であやうくこのような経験に遭遇したことがあり「山中で遭難することがどんなことであるか」を実際に経験したことがあります。つまり、伯母がぽつりと いう、「みずからの行為の説明」がなくては、この物語は感動巨篇にならないということなのだ。
そうするとこの事後的な「説明」が不可欠な「枝を折る行為の意図」は、ようやく甥の質問により明らかになるわけだが、読者にとって、この物語 にはそれ以上の感動を深める要素が付け加わる。すなわち、山のふもとに棲んでいる里の若者にも分からないほど山の奥に伯母を連れていかなければ棄老が成功 しないのか。道が迷うほど自らの山中で身に降りかかる危険をおかしてほどの行為なのか、などなど、その苦労が知れるのである。そして、そのことにつき伯母 が甥の下山の安全を慮る気持ちに更に演出的効果を与えてくれる。
しかしながら、そのような伯母という行為者の内面の愛情の深さを、彼女自身の「みずからの行為の説明」だけに求めて満足するのは、行動科学を 研究する人たちにとっては、脇がまだ甘すぎないだろうか。彼女には、それを言う意志的な意図があったり、また仮に無意識にも〈自らもまた助かりたい〉と想 定したとしても、彼女の愛情深い彼女じしんの「行為の説明」を毀損したことにはならないだろう。あるいは、こう言ってもよい。彼女は自らのことを慕ってく れる甥に「みずからの行為の説明」をすることで〈予期しない行為〉を甥に対して触発させ、結果的にWin-Winという帰結を生む事に成功したとは言えな いだろうか。
だとしたら、彼女の「みずからの行為の説明」とは、その行為を説明すること、すなわちジョン・オースティンのいう「事実確認的発話」というよりも、自らではなく(あるいは自らの運命を他者という行為を媒介さ せた)「行為遂行的発話行為」を行っているとも言えるのではないだろうか。ただし、これ は「私はあなたと結婚する(ないしは、お前に借金を返す)」という明確な未来の行為を指し示した発話の遂行というよりも「お前のことを慮る私の発話をお前 が聞くことは(未来において、ある行動を誘発するだろう」というものである。だから、どちらかと言うと、予言行為に聴取者が呪縛されるという「遂行」行為 かもしれない。いずれにせよ発話行為は、相互に行為する発話者の時間軸とその後の行動の変化の要因をより深く取り込むことで、「『事実確認的発話』は『行 為遂行的発話行為』相互に排除するお互いに相重なることのない発話の類型である」とは必ずしも言えなくなることになる。つまり、自己の行動に関する「事実 確認的発話」は、他者に対して(あるいは自己と他者の双方に対して)「行為遂行的発話行為」となり得ることを示しているのである。
初期ゴッフマンの演劇論の脈絡の上でこの伯母の発話を解釈すれば、彼女は甥のこ とを慮って「安全に下山すること」しか告げていないのに、甥はそれを自分への愛情と〈錯認〉して、最終的に彼自身の棄老の企みを変更することを余儀なくさ れた、と言う事もできる。あるいはゲーム論的に解釈すると、伯母のこの発話は、これまでWin-Loseの戦略しかないと思い込んでいた甥が考える行為戦 略の布置を、Win-Winの可能性のあるものとして切り開いたとも言えるのである。ただし、この後者の戦略には、その後に必要な代価というものがあっ て、伯母は里に帰ると周囲の住民たちからは死んだものとされて、床下生活(=地下生活)を余儀なくされることであった——先に触れた『今昔物語』巻五・参 拾弐話では、老母の知恵(=老いの智慧)により「国王」が統治している王国のきまり(=法)すら変更することにも成功する。
ここで重要なことは、仮に伯母が自らが棄てられることを逃れたいと我が子同様の甥っ子に露骨に要求すること以外にも「愛情の印」という間接情 報を提示することで、自らがおかれた情況を相互作用の相手をして(当初の計画を)変節せしめることができるとういうことなのである。もちろん、いくら愛情 が深く、伯母のことを慕ってくれる甥であっても、この枝を折るという「愛情の印(ないしは象徴)」を甥がきちんと「伯母の意図」を読みこんでくれないと効 を奏しないし、また、甥もまたそれまでの棄老という戦略を変更してくれないと困るのである(「お義母さん、ありがとう、じゃこれで失礼するよ!」と甥が山 中で感謝して逐電すれば全く洒落にならない——文化人類学を勉強した学生には「冗談関係」について調べておくことをつよくお奨めする)。塞翁が馬ではない が、我が子あるいは甥を、殿様や国王の命を馬鹿正直に聞く「意思の強い子」に育てていたら、このような機微のある愛情実践をしても、KY(「K=空気がY =読めない」)のまま、棄老されてしまう危険性を孕んでいる。私は、自分自身でも経験しているが、子どもは親の思うようには育たない。しかしそれが健全で本当の姿なのだ。 隣家の芝生のように、人様の子供が健全に(あるいは秀才に)育っていると見えると羨ましくも思うが、それはダニエル・カーネマンならずとも、それに相対的 に見える自分に降りかかる自分の子どもの出来の悪さを、実際以上に悪く評価するというバイアスがかかっているのである。まさに、子どもを良く育てたいという親の欲望が、子どもにつらく当たるという逆機能 を示す好例である。推して知るべし。
この説話(民話)の教訓とは、それぞれの行為者が 行った行為の解釈を、帰結から妥当性をもって推論することがいかに難しいかを示す実例である。しかし他方で、行為者間の相互作用にかかわる 発話行為が、その後の時相において予期しない行動を生む事に繋がる可能性があることを知らしめてくれる好例でもある。そしてまた、仮に帰結が分かっていた としても、それぞれの行為者が行った行為に関して事後的に解釈する時には、より開かれたつねに解釈空間を確保しておくことの重要性を我々に教えてくれる、 格好の素材であると私は思う。このことは、ある意味で歴史家の言うことは、ほどほどにして聞いておけという教訓のメタ的な寓意でもある。
【おことわり】
フェミニズム論から考えると、男の子が老母を遺棄するのかだけに焦点化されていて、なんで、そ れ以外の様々な老人遺棄のパターンについて論じられていないのか?という批判も可能です。今後この点は、改めて考えたいと思います。また、関心のある人た ちは、教室やゼミでこれらの問題を「自分たちで」考えてくださいませんか。
【リンク】
【資料】
「今は昔のお話しです。天竺に七十歳を過ぎると国を追い出されて、よその国に捨てられてしまうというきま りのある国がありました。その国に一人の大臣がおりました。大臣には年を取った母親がいたのです。その大臣はたいへんな親思いで、一日中母のことを気に掛 け、大切にしていました。その母親も七十歳になり、国のきまりに従って国の外に追い出さなければなりませんでした。しかし、大臣はどうしても母親を捨てる ことができなかったのです。「朝、お母さんの顔を見て夕方会わないだけでも心配でならない。それなのに遠くの土地にお母さんを置き去りにして別れなければ ならないなんて、耐えられるわけがない」と思い、母親を捨てずに、自分の家の裏に穴を掘って部屋を作り、母親をそこに隠して住まわせることにしたのです。 そのことは、世間の人はもちろん、家の人たちにも知らせずに内緒にしたのです。数年が経ち、その国にたいへんな出来事が起こりました。隣の国から、一通の 手紙を持った使いがやってきたのです。その使いは同じような体つきの雌馬を二匹連れていました。「この二匹の馬のどちらが親で、どちらが子か、印を付けて 返事をもらいたい。もしそれができなければ、軍を上げて貴国を攻めて、七日で滅ぼしてしまおう」と告げてきたのです。国王は困り果てて大臣を呼び寄せて おっしゃいました。「どうしたものか見当もつかない。もし何かいい考えがあれば申しなさい」大臣は、「すぐにはよい案が思いつきそうにありません。いった んこちらを下がり、考えさせてください」と申し上げ、考えました。「難しい問題だが、長生きしているお母さんなら、この答えを聞いたことがあるかもしれな い」大臣は、急いで家に帰り、人に見つからないように奥の部屋に行き、母親に尋ねました。「隣の国からこのような難しい問いが出されました。どのように返 事をすればいいでしょう。この答えが分かりますか?」すると母親はすぐに言ったのです。「若い時に、この話しを聞いたことがあるよ。同じような二匹の馬の 親子を決めるには、その馬たちの間にえさの草を置いてみればいいわ。先に草を食べ始めるのが子供で、後から残った草を食べるのが親なのよ」これを聞いた大 臣は、すぐに国王の元に戻りました。国王が、「何か思いついたのか?」と、問われたので、大臣は母親の考えだいうことは隠して、答えを申し上げました。国 王は、「なるほど、もっともな話しだ」とお思いになり、その通りに二匹の馬の間に草を置かせました。すると、片方の馬がすぐに草を食べ始め、もう一方の馬 が残りを食べ始めました。このようにして分かった馬の親子にそれぞれ印を付けて、隣の国に送り返しました。しばらくして、ふたたび隣の国から手紙が送られ てきました。そこには、「これのどちらが根本でどちらが先か分かるでしょうか?」とあり、漆が塗られた一本の木の棒が添えられていました。国王はまた大臣 に答えを問われたので、大臣は家に帰り母親に、このような問題がある、と尋ねました。母親は、「それは簡単な話ですよ。木の棒を水に浮かべてみればいいの よ。少しだけ沈むのが根元の方。根元に近い方が重くなるからね」と、答えました。大臣は国王にその答えを申し上げ、すぐにその通りにしてみました。する と、片方だけが少し沈んだので、そちらに根元という印を付けて、隣の国に送り返しました。その後、また隣の国から問いの書かれた手紙が来ました。今度は一 頭の象と共にです。「この象の重さはどれくらいだろうか?」というものでした。国王は、「いっこうに答えが思いつかない。だが、答えられなければ攻め滅ぼ されてしまう。一大事だ」と悩まれて、大臣を召し出しました。「これは、どうしたらよかろうか。今度ばかりはなんとも答えようがないように思う」と、おっ しゃるのを聞き、大臣は、「まことに難しいことです。しばらく考えさせていただきたいと思います」と答え、王宮を出て行きました。国王は、前のように家に 帰ってしまう大臣を見て、「私の前で考えても良さそうなものなのに、大臣はいつも家に帰ってから答えを出してくる。なんともおかしなことだ。家に何かある のだろうか」と、疑いをお持ちになったのです。大臣が家から戻ってきたので、国王は怪しみながらも、何か答えが思いついたのか、と問われました。すると、 大臣はこのように答えたのです。「まず象を船に乗せます。その船を水に浮かべて沈んだところに印を付けます。そのあと象を下ろして、同じ船に石を積んでい き印のところまで船を沈ませます。それから石を下ろして一つ一つ重さを量り、最後に全ての石の重さを足します。その石の重さが象の重さと同じということに なるでしょう」国王はさっそくそのようにして象の重さを量り、答えを書いた返事を隣の国に送りました。三つの手紙を送りつけた隣の国では、難しい問いであ るにもかかわらず、少しの間違いも無く正しい答えを送り返されてきたことに、たいへん驚き、「あの国は賢い人々が多くいるようだ。ありきたりの知恵では知 りようがないことを、このようにぴたりと答えてきた。このような賢い人がいる国に攻め入っては、かえってやられてしまうことだろう。そうなっては大変だ」 と考えて、争うことは止めて、お互いに手を結びたいと言ってきました。国王はこのような運びになったことを喜び、大臣を召し出しておっしゃいました。「わ が国が恥をかかずに済み、攻められることもなくなった。喜ぶべきことだ。これもすべてお主の力である。それにしても、あれほど難しい問いの数々を、いとも たやすく答えることができたのはどうしてなのか?」これを聞いた大臣は、涙を流して申し上げたのです。「国王さま。この国には昔から七十歳を超えた者をよ そへ捨てなければならないというきまりがあります。ですが、私には七十歳をとうに超え、七十八になる母がいるのです。わが家の奥に作った部屋に、誰にも知 られないようにして住まわせております。その母に隣の国からの問いの答えを聞いていました。年を取った者ならば、いろいろなことを知っているかもしれな い、と考えたからです。そのため、いつも王さまの前を下がり、家に帰り母に答えを聞いて、それを申し上げておりました。もし、母がいなければ……」国王 は、そのようなわけがあったのか、とお分かりになり、「年を取った者をよそに捨てるというのは、わが国に昔からあるきまりである。なぜこんなきまりができ たのか、今となっては分からない。だが、このたびのことで、年を取った者を大事にしなければならないということがはっきりした。よって、このきまりを止 め、今まで国の外に追い出した老人たちを、身分も男女も問わず、みんな呼び戻すことにする。また、この国は老いを棄てる国『棄老国』と呼ばれていたが、こ れからは老いを養う国『養老国』と名を変えることにする」と、命令を下されました。それから養老国は平和に治められ、民はおだやかに暮らすことができ、国 は豊かになっていったと語り継がれておりますよ。」(現代語訳『今昔物語集』巻5・第32話「七十に余る人を他国に流し遣りし国の語」ただし出典は: http://septieme-ciel.air-nifty.com/nikubanare/cat3324148/index.htmlによる。改 行などは無くした。)
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