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具体化した=身体化したコミュニケーション技術

Embodied Communication Technology, ECT

池田光穂

具体化した=身体化したコミュニケーション技術 (ECT)とは、コミュニケーションを目的としたロボット技術に関する包括的定義のことと定義す る。有 線、無線(携帯)電話とを問わず、具体的な身体性を介しない通信技術、あるいは情報コミュニケーションに焦点化したそれを「情報通信技術」 (Information Communication Technology, ICT)と呼ぶのに対して、具体化した=身体化したコミュニケーション技術(ECT, Embodied Communication Technology)とは、コミュニケーションロボットのように、利用する人間がコミュニケーションのオリエンテーションに具体性=身体化したものをさ すのである。したがって、ペットとのコミュニケーションは、ECTのカテゴリーの中に入る。
 通常、電子情報通信学会などで「具体化した=身体化したコミュニケーション技術(ECT)」が語られるのは、例えば(1)コンピュータ上で具体化された 「仮想の身体」をもったエージェントを媒介するとユーザーのコミュニケーションのモード——推論や情動の変化——がどのように変化するかというコンピュー タと人間の相互作用(interactive changes between computer and human user)に関する議論か、(2)人間からみると虚構=ロボット的=仮想な「リアル的な身体」をもった人間=機械インタフェイスが、人間の挙動を真似た時 に、ユーザーのコミュニケーションのモード——推論や情動の変化——がどのように変化するかという関心に絞ったものが多くみられる。
 ECTについて、これからヒューマン・コミュニケーションという観点から考えてゆく際には、次のような3つの論点の意識の明確化おこなっておかねば、そ れに関する議論が混同することであろう。
(i)Embodied の2つの解釈の整理

 Embodied には、(はじめ仮想や空想だと考えていたことが)具体化した、という意味と、日常経験ではア・プリオリ(最初から)に身体化されたものとして存在している ものがある。アリストテレスの存在論の用語だと、前者の「具体化される前の状態」とは質料=matter(hyle,ὕλη)でありまた可能態= potentiality(potentia, dynamis,δύναμις)と呼べる状態である。そして後者の「ア・プリオリな[今の現実の]身体」とは、形相=form(morphe, μορφή?)であり、現実態=Actuality(energeia [ἐνεργέω, to be in action] ;entelecheia[ἐντελέχεια])である。つまり、存在論的には同じであるが、それを材料という観点からみるのか、それとも現実に立ち 現れてくるものを見るのかという、観点=ものの見方に相違があるのである。[→エンボ ディメント・身体化・具体化

ア・プリオリな真理とは、いかなる経験にも依存する ことがなく知ることができるものである。それを敷延すると、ア・プリオリな身体とは、いかなる経験にも依存することがなく知ることができる身体だが、これ は身体の状態から、我々は知覚を構成しているために、ある種の撞着語法でもある。この点についての議論は、いまだ問題があるので、明確な言明は留保した い。

(ii)人間の行動と内面の変化をみる概念について

 コミュニケーション=通信通信の研究における基本的な3要素である、送信 者・受信者・情報を、まず静態的に——つまり1つの時相に静態的(static)に存在するものとして——把握しよう。コミュニケーション=情報通信に時 間的要素が入ると、それはダイナミズム(動態)の観点から、送信前(受信前)、送信中(受信中)、送信後(受信後)という分析視座が必要になってくる。そ して、科学技術研究は、その時間の相で人間の行動と内面——心や精神と呼ばれるもの——で何がおこっているのか、どのように変化したのか、また、その変化 は一時的なのか恒久的なのか、あるいは継続的だが恒久的でないのか、などの分析が試みられることになる。人間は時間という「環境」世界に住む動物だからで ある。

(iii)技術利用を通した人間社会の組織化の変化

 人類進化の観点からみると、コミュニケーショ ン=情報通信は、複数の人間の関係性の要素を技術的手段によって、より高度に複雑化させるものだと言われている。人間の行動と内面の変化と言っても、技術 は複数のユーザーを巻き込むことで発展し、また、より多くのユーザーを巻き込むことで、コストダウンをはかり、さらに「文化的流行」に乗れば、集合的なイ ンパクトの強度も増すことある。技術者の研究倫理の観点からみても、この技術がもつ社会的影響力について十分考えておく必要がある。

文献

- de Ruiter, J.P. (2000). The production of gesture and speech. In D. McNeill (Ed.), Language and gesture. Cambridge, UK: Cambridge University Press.
- McNeill, D. (1992). Hand and mind: What gestures reveal about thought. Chicago: University of Chicago Press.
- Hall, Edward T. (1966). The Hidden Dimension. Anchor Books.
- Ipke Wachsmuth (ipke@techfak.uni-bielefeld.de) Embodied Communication, Artificial Intelligence Group, Faculty of Technology, University of Bielefeld (pdf distribution by Internet)

onsia 附論:アリストテレスの存在論

ブレンターノ学位論文、Franz Brentano, Von der mannigfachen Bedeutung des Seienden nach Aristoteles. 1862年は、113年後にRolf George により英訳"On the several senses of being in Aristotle"として、カリフォルニア大学出版会から出版されました。「私の仕事の途上において、最初に出会った本が、1907年以来何度も何度 も、Franz Brentano の Von der mannigfachen Bedeutung des Seienden nach Aristoteles だったのです」——このハイデガーの言葉は『言葉への途上』に収載されています。(ブレンターノの本の英訳の解説より)。ブレンターノが整理した、4つの 存在(様式)とは、1. Accidental Being, 2. Being in the Sense of Being True, 3. Potential and Actual Being, 4. Being According to the Figure of the Categories. ですが、最後の4つ目のものについては、15の命題を立てて、存在とカテゴリーの関係(後者は、語の存在様式=秩序という観点から「文法概念」が多用され て)を詳しく検討しています。下記の2つの図は、そこからとられたものです。

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クレジット:具体化した=身体化したコミュニケー ション技術; Embodied Communication Technology, ECT

このページは、最初(2012年6月4日に[http://d.hatena.ne.jp/mitzubishi/20120604] のページで構築され、同じ場所にて改造を受けた後に、このページに移植されました:同年8月10日)[仮想・医療人類学辞典


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