具体化した=身体化したコミュニケーション技術
Embodied Communication Technology, ECT
池田光穂
具体化した=身体化したコミュニケーション技術
(ECT)とは、コミュニケーションを目的としたロボット技術に関する包括的定義のことと定義す
る。有
線、無線(携帯)電話とを問わず、具体的な身体性を介しない通信技術、あるいは情報コミュニケーションに焦点化したそれを「情報通信技術」
(Information Communication Technology,
ICT)と呼ぶのに対して、具体化した=身体化したコミュニケーション技術(ECT, Embodied Communication
Technology)とは、コミュニケーションロボットのように、利用する人間がコミュニケーションのオリエンテーションに具体性=身体化したものをさ
すのである。したがって、ペットとのコミュニケーションは、ECTのカテゴリーの中に入る。
通常、電子情報通信学会などで「具体化した=身体化したコミュニケーション技術(ECT)」が語られるのは、例えば(1)コンピュータ上で具体化された
「仮想の身体」をもったエージェントを媒介するとユーザーのコミュニケーションのモード——推論や情動の変化——がどのように変化するかというコンピュー
タと人間の相互作用(interactive changes between computer and human
user)に関する議論か、(2)人間からみると虚構=ロボット的=仮想な「リアル的な身体」をもった人間=機械インタフェイスが、人間の挙動を真似た時
に、ユーザーのコミュニケーションのモード——推論や情動の変化——がどのように変化するかという関心に絞ったものが多くみられる。
ECTについて、これからヒューマン・コミュニケーションという観点から考えてゆく際には、次のような3つの論点の意識の明確化おこなっておかねば、そ
れに関する議論が混同することであろう。
(i)Embodied の2つの解釈の整理
ア・プリオリな真理とは、いかなる経験にも依存する
ことがなく知ることができるものである。それを敷延すると、ア・プリオリな身体とは、いかなる経験にも依存することがなく知ることができる身体だが、これ
は身体の状態から、我々は知覚を構成しているために、ある種の撞着語法でもある。この点についての議論は、いまだ問題があるので、明確な言明は留保した
い。
(ii)人間の行動と内面の変化をみる概念について
(iii)技術利用を通した人間社会の組織化の変化
文献
ブレンターノ学位論文、Franz Brentano, Von der mannigfachen Bedeutung des Seienden nach Aristoteles. 1862年は、113年後にRolf George により英訳"On the several senses of being in Aristotle"として、カリフォルニア大学出版会から出版されました。「私の仕事の途上において、最初に出会った本が、1907年以来何度も何度 も、Franz Brentano の Von der mannigfachen Bedeutung des Seienden nach Aristoteles だったのです」——このハイデガーの言葉は『言葉への途上』に収載されています。(ブレンターノの本の英訳の解説より)。ブレンターノが整理した、4つの 存在(様式)とは、1. Accidental Being, 2. Being in the Sense of Being True, 3. Potential and Actual Being, 4. Being According to the Figure of the Categories. ですが、最後の4つ目のものについては、15の命題を立てて、存在とカテゴリーの関係(後者は、語の存在様式=秩序という観点から「文法概念」が多用され て)を詳しく検討しています。下記の2つの図は、そこからとられたものです。
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クレジット:具体化した=身体化したコミュニケー ション技術; Embodied Communication Technology, ECT
このページは、最初(2012年6月4日に[http://d.hatena.ne.jp/mitzubishi/20120604]
のページで構築され、同じ場所にて改造を受けた後に、このページに移植されました:同年8月10日)[仮想・医療人類学辞典]
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