ハーツォグ・ノート
ハーツォグ、ハロルド『ぼくらはそれでも肉を食う:人と動物の奇妙な関係』山形浩生・守岡桜・森本正史訳、柏書房の私的読書ノオト
池田光穂
Herzog, Harold A. Some
We Love, Some We Hate, Some We Eat: Why It’s So Hard to Think Straight
About Animals. New York: Perennial HarperCollins. 2011
邦訳:ハーツォグ、ハロルド『ぼくらはそれでも肉を食う:人と動物の奇妙な関係』山形浩生・守岡桜・森本正史訳、柏書房。
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本書のテーゼ:「人間と動物の関係がいかに首尾一貫 しないものであるか」(p.12)を詳述したもの。にも関わらず、そのこと=「人間が他の生物種と関係 するときによくとる奇妙な行動を理解しようとしている」ことを明らかにしようとする研究者は少ない(p.18)。
・山形らは「人類動物学」と翻訳。
Anthrozoologyのウェブページ(http://www.anthrozoology.org/)
によると、「人間と動物のあいだの関係についての研究( the study of the relationships between
humans and animals.)」と定義。人間と動物の研究(human-animal studies,
HAS)というより包括した言い方もある。同じホームページでは、解説者(定義を与えた人)と出典つきで、人類動物学を次のように説明している。
"The growth of human-animal studies (HAS) over the past twenty years
can be seen in the explosion of new books, journals, conferences,
organizations, college programs, listserves, and courses, both in the
United States and throughout Europe, Australia, New Zealand, and
Canada. We look as well at trends in the field, including the
increasing popularity of animal-assisted therapy programs, the rise of
new fields like transspecies psychology and critical animal studies,
and the importance of animal welfare science. We also discuss the
problems continuing to face the field, including the conservative
culture of universities, the interdisciplinary nature of the field, the
current economic crisis, and general anthropocentrism within academia.
We end with a discussion of the tension between the scholarly role and
the role of animal advocate, and offer some suggestions for HAS to
continue to grow."
Author - Shapiro, K.; DeMello, M.;
Source - Society & Animals; 2010. 18: 3, 307-318.
動物介在療法(Animal Assisted Therapy, AAT)
"Pet Therapy," by Boris Levinson, 1964.
効果性に関する科学者の調査法と用語(→概念)
Internal and external validity, placebo control, random assignment,
single and double blind experiment, correlation is not causality..
etc., [p.20]
ホーソン効果(Hawthrone
Works)の問題:照明など単に労働条件を変えただけで(元の照明に戻しても)労働効率があがった1924年のウェスタン・エレクトリックの工場名にち
なんでつけられた、因果性とは直接関係のない変化。
・イルカセラピーは、イルカによる人への危害の危険性や、そもそも「治療」のパッケージが高価すぎるという批判がある。さらにイルカの保護団体は、それが
イルカへの虐待になるという理由で抗議声明をあげている(pp.29-30)。
・飼い犬が飼い主に似るという説明には、選択説と収束説の2つがある(pp.33-)。
03■他の生物種に対する人間による虐待
・なぜ、このような状態が起こり得るのか、明快に説
明を与えた人はいない。
・氏か育ちかという古典的二分法。さらには、進化学的な説明。狩猟や肉食を正当化するという機能的説明まで(p.36)。
・カントは、それを禁じる理由として、動物種への虐待を禁じ、動物へ優しく接しなければならない唯一の説明は、動物への虐待が人間への蛮行に繋がるからと
考える。
・それに類する派生的な説明は、幼児期に虐待すると成人後に犯罪につながるという、発達的な理由をつけるものもある(p.37)。これが、アメリカ人道協
会(AHA)が動物虐待をやめるキャンペーンの原動力になっており、それを彼らは the link と説明する(p.39)。
・犯罪者は同時に動物への虐待傾向が強いというデータはAlan Felthous and Stephen
Kellert(1986)によるもの[p.292]。
・暴力段階説(p.40)
04■第2章 かわいいのが重要(the importance of being cute:...)
・バイオフィリア(ウィルソン)(pp.50-)
・ピンカー(p.57)
・Steven Pinker, 1954-, The Language Instinct, 1994; How the Mind Works,
1997; Words and Rules: The Ingredients of Language, 1999; The Blank
Slate: The Modern Denial of Human Nature, 2002.
:心に関するピンカーの基本的立場=「我々の祖先が更新世に直面した問題を乗り越えるために専門化されたひとそろいのツール(あるいはモジュール)を備え
たアーミーナイフのようなもの」(ウィキ日本語):チョムスキー派。
Michael Tomasello,1950-, 認知言語学、Constructing a language, 2003:
『ことばをつくる:言語習得の認知言語学的アプローチ』:反チョムスキー派:「生得的な言語構造を認めず、発達の初期に個別の語ごとに固定された表現を学
習し(動詞島仮説)、そこから徐々に一般化することによって、より抽象的な文法をボトムアップ的に獲得するとしている。トマセロの言語獲得の理論は社会語
用論的アプローチと呼ばれ、共同注意(ジョイントアテンション)を初めとする社会的・コミュニケーション的な側面の果たす役割の重視を特徴」(ウィキ日本
語)
・捕獲管理派とアザラシ漁反対派の言葉の使い方の対比(p.61)
「捕獲」「処分」「管理計画」v.s. 「殺戮」「大量虐殺」「残虐行為」
・失語症の研究から、動物と動物名称の記憶と事物のそれらの情報処理をおこなう部位がことなる。それゆえ著者は「人間の脳の一部が、動物にかんする情報を
処理するのに特化して発達してきた」と記している(p.64)。
・他方、日本人の虫好きに関する紹介をして、北米人には関心のもたれない「ペットとしての虫」が日本ではそのように確保されたという文化による嗜好の形成
も論じている(pp.64-66)。
・「わたくしたち人間の動物に対する考え方には、論理と理性の葛藤という、人間心理における永遠のテーマが反映される」(p.68)。
・人間のモラリティ:デイビッド・ヒューム=感情、イマニュエル・カント=理性(思考する能力)(p.70)。
・コールバーグのモラル・ジレンマと道徳性発達理論(慣習以前のレベル[罰と服従、道具主義的相対主義]→慣習レベル[対人同調=よいこ、法秩序維持志
向]→脱慣習レベル[社会契約遵法志向、普遍的倫理原理志向])Kohlberg, Lawrence (1958). "The
Development of Modes of Thinking and Choices in Years 10 to 16". Ph. D.
Dissertation, University of Chicago.
・「道徳的文法(moral grammer)」(p.79)
【このあたり退屈な心理学の話がつづく】
・ヒューリスティクス(heuristic)
[pp.57-59]とは、いいかげんな経験則をもってものごとを考える(p.81)ことをいう。このことに
より、答えの精度は期待出来ないが、回答までの時間が少なくてすむという利点をもつ。
・フレイミングというヒューリスティクス(p.82)
・ナチスの理想的な動植物の保護主義(pp.83-85)
・擬人法(anthropomorphism)(pp.86-)でAIBOの解説がおこなわれている。
05■第3章 Pet-O-Philia
・ペット=人間関係の潤滑油
・ペットの定義「ペットとは明白な役割を持たないままわたしたちがいっしょに暮らす動物」である(ジェームズ・サーペルによる)(p.103)。
・アメリカにおけるペットの総数推計(p.107をみよ)
・ペットに対する「無償の愛仮説」(p.101)とその批判(p.112)
・ペットを飼うと心疾患のリスクが減るという研究とその発表後のエピソード(pp.114-)
・ペット飼育の適応主義派(pp.129-)
・ミームとしてのペット飼育(pp.136-)
06■第4章 友人・的・ファッションアイテム:人間と犬の関係
・トカゲ狩りに使われる犬(pp.152-)
・ケラートの研究では、自然保護に関わる人のジェン
ダーは女性に比重が高い(p.172)
・「飼いだめ(animal
hoarding)」=ペットを自分で養いきれないほど飼う(hoardには買いだめ=退蔵の意味がある)「病的」傾向のこと(pp.177-)
08■第6章 見つめる人の眼(In the comparative cruelty of
cockfights and happy meals,
pp.149-/邦訳 pp.191-)
・rooster 雄鶏
・アラン・ダンデスは、闘鶏に男性の同性愛的な傾向を読み取る:Dundes, A. ed., (1994). The Cockfight: A
Casebook. Madison, WI: University of Wisconsin Press. (p.
71).「同性愛的な男性の戦いで、自慰的な意味合いがある」Dundes, A. (1994). “The gallus as
phallus.” A. Dundes, The cockfight: A casebook. (pp. 241-281). Madison,
WI: University of Wisconsin Press. (p. 262.) 所収.
・闘鶏における人種間の気安い混合は、ルイジアナの闘鶏でも見られる。Maunula, M. (2007). “Of chickens and
men: Cockfighting in the South.” Southern Cultures, 13(4), 76-85 参照.
・グレゴリー・ベイトソンとマーガレット・ミード各種文化における闘鶏の意義に関する歴史的、人類学的な文献の一覧としてはDundes, A.
(1994). The Cockfighter: A Casebook. Madison, Wisconsin: University of
Wisconsin Press を参照. さらに闘鶏や闘鶏文化についての小説もいくつかある. たとえばWest, N. (1995). Day
of the Locust. New York: Bantam Books.; Willeford, C. E. (1987).
Cockfighter. New York: Creative Arts Books.; Manley, F. (1998). The
Cockfighter. Minneapolis: Coffee House Press. 文化現象としての闘鶏についてはBilger, B.
(2000). Noodling for flatheads: Moonshine, monster catfish, and other
Southern comforts. New York: Touchstone.; およびCrews, H. (1977).
Cockfighting: An unfashionable view. Esquire, 87, 8, 12, 14.
・闘鶏の歴史についてはSmith, P., & Daniel, C. (2000). The Chicken Book.
Athens, GA: University of Georgia Press を参照.
◎闘鶏家(cockfighter)のために軍鶏を飼う人の態度
・テネシー大学で1979年にニワトリの行動と闘鶏家の心理について学位論文を提出したHarold Herzog
ウェスタンカロライナ大学心理学教授によると、闘鶏家は軍鶏の食餌に気を配り、2年間ほどにわたってさまざまな訓練をおこない、かつ民族誌調査者である博
士課程の院生だったハーツォグに熱心に、さまざまなインタビューに答えるのにも関わらず、闘いで死んでしまった軍鶏はなんのためらいもなく死骸を入れる樽
に放り込まれて、逡巡するようすがないと述べている。
「ほとんどの人は、闘鶏家というのは下層社会のクズで、嬉々として動物を痛めつけている時間以外は、覚醒剤の密売なんかを本業にしているんだろう、と想像
しがちだ。でも、闘鶏家についてわたくしが心理学的に一番興味深くおもったのは、彼らがうんざりするくらいふつうだったことだ。知り合った闘鶏家のほとん
どは——血を流す野蛮な競技にどっぷり浸かっていることをのぞけば——ごくふつうの生活を送っていて、妻も子どももいたし、住宅ローンも本業もあった」
(ハーツォグ 2011:200)。
「ニワトリのなかで、軍鶏はなかなか恵まれていると言えるだろう。雄鶏たちはたいてい2歳になるまでは対戦させられることもなく、サラブレッド競走馬のよ
うな生活を送る。最初の8、9か月は養鶏場で自由にすごし、年ごろになるとたがいに引き離される。そして、ブリーダーは雄鶏を運動させるために、2メート
ル強のタイ・アウト・ケーブル(=止め金具がひもの両端についているペット用リード)でつないでおくか、あちこち動きまわれるかなり大きなオリに入れる。
ジョニーが雄鶏たちに与えるのは健康食品専門店で買ったオーガニックコーンで、そのほか朝食に固ゆで卵、夕食に果物とサラダ用の野菜、昼食に精白玉麦
(パール・バーリー)をやっている。それと、一日おきに飯場ガーのカッテージチーズ添えも与える。ジョニーはこう不平をもらす。「雄鶏には最高のエサと最
高の住処と最高の雌鳥をあてがっているのに(中略)残酷だと言われるんだよ」」(ハーツォグ 2011:207)。
ハーツォグはエディに言う、(以下引用)
「……2年間まさに手塩にかけて育てて、毎日世話をして運動させるのに数時間かける。でも週末には、その世のうちに半分のニワトリたちが死んでしまうのを
よくわかった上で闘鶏場に連れて行って、死んだら樽に投げ込んでしまう。全然わからないよ」とわたし。
「どっかで一線を引かなきゃいけないんだよ」とエディ。
「でも愛着がわかないか?」
「もちろんわくさ」
「名前をつけたことはある?」
「あるよ」
「雄鶏が死んで泣いている闘鶏家は見たことはある?」
「一度もない」
「やっぱりわからない」。わたしはそうエディに言った(ハーツォグ 2011:207-208)。
※この章(『ぼくらはそれでも肉を食う』の第6章)は、大切に育てられて死闘が終わればあっけなく捨てられる闘鶏と、鶏肉専用に品種改良されたコッブ=
ヴァントレス社のニワトリが養鶏場で大量にまさに非人道的に飼われて工業製品のように加工されてゆくさまを対比的に描くことが目的とされている。すなわ
ち、どっちが倫理的かという審問を、軍鶏とブロイラーを対位的に記述することで、読者に考えさせる修辞が採用されている。
09■第7章 人間と肉の関係
・チンパンジーの肉(食)に対する渇望
(p.223):その際には、供犠獣の「苦痛」などは目に入らないようで、獲物が生きていようが関係なく夢中で貪
る。
・クレイグ・スタンフォードは、肉食を好む霊長類として、ヒト、チンパンジー、ヒヒ、カプチンザルは、また同時に、社会的操作が上手な霊長類でもあること
を指摘している。
Stanford, C. B. (1999). The Hunting Ape: Meat Eating and the Origins of
Human Behavior. Princeton, NJ: Princeton University Press. (page 107)
・スノーモービルや衛星テレビ以前のアラスカのヌナムイットの摂取カロリーの99%は動物性:Cordain, L., Eaton, S.,
Brand Miller,J., Mann, N., & Hill, K. (2002). “Original
communications-the paradoxical nature of hunter-gatherer diets:
Meat-based, yet non-atherogenic.” European Journal of Clinical
Nutrition, 56(1), 42-52.; Gadsby, P. (2004, October 1). “The Inuit
paradox.” Discover Magazine.
・採集狩猟をやめて、農耕がはじまった時以降の動物性タンパクの多くは家畜(とわずかの狩猟、漁猟)に依存するようになる(J・ダイアモンド説:世界の大
型ほ乳類148種のうち家畜化されたのは14種)
・肉食には病原菌などのリスクが高い→タブーがうまれるはず(ダニエル・フェスラー説)。また妊婦は(それゆえ)肉食を忌避する傾向がある。
Fessler, D. M. T., Bayley, T. M., Dye, L., Brown, J. K., Flaxman, S.
M., Leeners, B., et al. (2002). “Reproductive immunosuppression and
diet,” Current Anthropology, 43(1), 19-61.; Flaxman, S. M., &
Sherman, P. W. (2000). “Morning sickness: A mechanism for protecting
mother and embryo.” Quarterly Review of Biology, 75(2), 113-148.
・他方で、食物禁忌は社会変化より容易に放棄されることがある(水牛の食物禁忌を放棄したネパールのタル人の事例)This is described
by McDonaugh, C. (1997). “Breaking the rules: Changes in food
acceptability among the Tharu of Nepal.” H. Macbeth (Ed.), Food
Preferences and Taste: Continuity and Change. Oxford, UK: Berghahn
Books 所収.
・アメリカの近代法が犬食を禁止する:カリフォルニア州に住むフィリピーノにとって、イヌ肉は結婚式など
重要な催しで食べる伝統的な食物だ. イヌを食べる習慣はカリフォルニアのフィリピーノと白人との間に紛争を引き起こした。1989
年にカンボジア難民が夕食にしようとジャーマンシェパードの子犬を殺して皮をはぐという事件があり、カリフォルニア州法は刑法598b
条を定め、「伝統的または一般にペットとして飼われているあらゆる動物」の死骸の保有、販売、輸入、贈答を禁止した. Griffith, M.,
Wolch, J., Lassiter, U. (2002). “Animal practices and the racialization
of Filipinas in Los Angeles.” Society & Animals, 10(3), 221-248 を参照.
・オグララの人は儀礼で犬をたべるが、同時にペットでも犬を飼う。後者には名前がつくが食べられる前者には名前がつかないらしい。Powers,
W., & Powers, M. (1986). “Putting on the dog.” Natural History, 2,
6-16.
・中立だった好みや慣習が非道徳的なものと見なされるプロセスは一般に「道徳化(moralization)」という(p.243)。Rozin,
P. Markwith, M., & Stoess, C. (1997). “Moralization and becoming a
vegetarian: The transformation of preferences into values and the
recruitment of disgust,” Psychological Science, 8, 67-73.
・アメリカのおいて屠殺される牛の数は1975年から2009年の間に2割減少した。他方鶏肉は、1人当たりの消費量で、1990年に牛肉を抜いたという
(p.246)Boyd, W., &Watts, M. (1997). “Agro-industrial just-in-time.
The chicken industry and postwar American capitalism.” D. Goodman &
M. Watts (Eds.), Globalizing Food: Agrarian Questions And Global
Restructuring (pp. 192-225). New York: Routlege 所収.
10■第8章 ネズミの道徳的位置
・クロード・ベルナールのテーゼ「生理学者はただの
人間ではない。科学者であり、自ら探求する科学的なアイディアにとりつかれ、呑み込まれている。動物の
悲鳴は聞こえないし、流れる血も見えない、目に入るのは自分のアイディアだけだ。解決しようとしている問題を自分から隠そうとする有機物以外の何ものも、
意に介さないだ」Rudacille, D. (2000). The Scalpel And The Butterfly: The War
Between Animal Research and Animal Protection. New York: Farrar,
Straus, and Giroux. (p. 36). [→]
・ハーツォグがインタビューした経験や、他の研究者による調査でも、動物研究者は動物が痛みを感じることを知っている。Herzog, H.
(1991). “Animal consciousness and human conscience.” Contemporary
Psychology, 36, 7-8.
社会学者メアリー・フィリップスは、動物研究施設の民俗学的な調査から同じ結果を得ている(Phillips, M. T. (1993).
“Savages, drunks, and lab animals: The researcher’s perception of
pain.” Society and Animals, 1(1), 61-81.)
実験動物の使用について科学者が抱く様々な見方についてはMarris, E. (2006). “Animal research: Grey
matters.” Nature, 444(7121), 808-810 を参照. Knight, S., Vrij, A, Bard, K,
& Brandon, D. (2009). “Science versus human welfare: Understanding
attitudes toward animal use.” Journal of Social Issues, 65, 463-483.
・ネル・ノディングズ「(自分は鼠との関係性を構築したことがないが)鼠を拷問したり、理由もなく毒を盛ることはためらう。しかし必要があれば(叩き)殺
すだろう」(pp.280-281)Noddings, N. (2003). Caring: A Feminine Approach To
Ethics. Berkeley, CA: University of California Press. (p. 156)
11■第9章 ネコは我が家に、牛は我が皿に
・ネコは我が家に、牛は我が皿に——Herzog
の著作の第9章の秀逸なタイトル。そこにあるのは、人間は動物に優しくしたり虐待したり喰ったりしたりするが、その行動の理由の説明と倫理的説明と呼ばれ
るものは(功利主義であろうと義務論であろうと)極めて恣意的でいい加減かということだ。さらに具合がわるいことに、理論を実践に実直に繋げると(動物の
ためなら人間を犠牲にしてもかまわないという)極端で病的なアニマルライツへの道を拓くことになるということだ。
・功利主義と義務論:【功利主義 Utilitarianism】行為や社会制度の望ましさは、結果として生じる効用(功利
utility)によって決定されるという考え方。帰結主義のひとつ。【義務論
Deontology】行為者の主観的な信条が普遍的なものとなることを、その信条を通して行為者自身が意欲することができる、そのような信条によっての
み行動すべきだ、という考え方。だから行為者は〈普遍的なもの〉の探求の中に、実践と理想を合致することができる(あるいはそうなることが期待されてい
る)(p.334)
この著作の文中に、彼の闘鶏の学位論文に関する情報 がないので、照会したところ以下のようなメール(2012年12月24日落掌)が……
Thank you for your kind
words about my book.
Here is a reference for my dissertation.
Studies of the Behavior of Gamecocks
HA Herzog - 1979 - University of Tennessee, Knoxville.
It was completed in 1979 at the University of Tennessee and had two
parts. The first half dealt with strain differenced in
susceptibility of chickens to tonic immobility -- a phenomenon in which
animals essentially play dead in threat situations.
The second part concerned my observations of tonic immobility at
cockfights and included the material on anthropological aspects of
cockfighting.
The University of Tennessee has copies of the dissertation though I am
not sure they lend them internationally. The librarians at your
university might know how to get access to dissertations at
institutions in the United States.
Thanks again for your interest. And Happy Holidays.
Hal Herzog
Hal Herzog
Professor
Department of Psychology
Western Carolina University
Cullowhee, NC 28723
リンク
文献
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