はじめによんでください

擬人化

anthropomorphism, personification

解説:池田光穂

「すると、驢馬の口が開かれて、それは、われらの主の力により、人間のごとく語り、ユダにいった」——「使徒ユダ・トマスの行伝」(荒井編 1997:326)

擬人化(anthropomorphism, personification)とは、人間以外の事物・動物(=ノンヒューマン)に対し て、人間の性質・性格を与え たり、「人間語」を発話させたりして、人間以外の事物・動物に人間的性格を与える方法である。擬人化でもっともよく知られている方法が、修辞としての擬人 化である。修辞としての擬人化のヴァリエーションとして、人間が事物や動物、あるいは眼の前にいない人間に対して、あたかも人格をもった対象のように呼び かける場合がある。これを頓呼法(とんこほう)という。頓呼法も、眼の前にいる事物や、眼の前にいない人間、に対して、呼びかける('O Romeo, Romeo! wherefore art thou Romeo?' - Romeo and Juliet by William Shakespeare)という点では、擬人化——後者の場合はその人間が不在であるのに、それが、あたかもいるかのように呼びかける——の手続きの一種 と考えられ ている。


2つの擬人化(anthropomorphism, personification)

1)「人に似せた擬人化」(anthropomorphism)

2)「事物の人間化」(personification)

この擬人化の想像力(personificative imagination)は、人間が言語能力を操れる能力から派生しているものとおもわ れる(cf. Austin 1955)。なぜなら、擬人化がおこるところでは、言語による描写や、当事者に人間語を話させることをおこなっているからである。後者の例としては、宮沢 賢治の 文学には、登場人物がすべて動物で人間語だけでなりたっているものがある。飼い主が、犬に対して「さあ、きれいきれいしましょうね」と呼びかけて足を拭い たり、風呂に入れたりするのは、擬人化を前提にする頓呼法である。他方で、犬や猫が、飼い主が見えないところで「飼い主を探しているかのごとく」(擬人的表現)無き声をあげるのは、 その猫や犬が、人間に対して、擬猫化/擬犬化を前提にする頓呼法であると言える——この場合は人間は、猫が犬が、そこに見えない人間に対して「呼びかけている」と解釈しているからである。

擬人化の技法は、人間の視座(=パースペクティヴ)を基軸に 考えて生まれる発想である。しかしながら、言い方を変えると、アニミズム概念に似て、人 間の身の回りの人間以外の事物・動物を、人間界に包摂しようとする、ヒューマニズムの態度の延長であると理解することができる。かつての進化主義的人類学  者(その典型がアニミズムを人類学的に定式化したE.B.タイラー)では、アニミズムは、人間の認識の古いタイプであり、宗教的であり科学的ではないと 批判されていたが、ヒューマニズムという観点からすると、アニミズム能力は、人間がもつ普遍的知識のヴァリエーションのひとつかもしれない。

他方で、人間以外の事物・動物を、人間界に包摂しようとする擬人化に対して、人間そのものが、事物や動物になろうとする発想ないしは哲学という ものがある。先に挙げた、擬猫化/擬犬化が、それである。ここではそれを擬動物化(Theriomorphism, animalization)と呼ん でおこう——これらの造語は私のオリジナルである。擬動物化はかれらの形態を模倣ないしは同一化ということからなりたつので、人間が動物に変化した後には 人間語の使用はそれほどみられない。現在のところ、私たちが知っている擬動物化の技法は、変身=変態(metamorphosis)と異種扮装 (anamorphosis)である。変態は身体が変形して元の身体とは別の身体に組織編成することであるのに対して、後者の異種扮装には、例えば人間が コスプレで虎になるのだと称して、虎縞の毛皮のビキニを着て、つけ鼻をつけ、鼻の横に髭を描けば、それは立派な異種扮装になる。ちなみに、完全に変態した り、異種扮装でも変身が完璧になれば、もはやそれは動物の擬態ではなく、動物そのものになることは言うまでもない。


変身=変態(メタモルフォーシス)metamorphosis

部分扮装(アナモル フォーシス)anamorphosi

人間が、擬動物化したいという性向には、動物に対する憧れがあり、動物が人間と同等ないしは、それよりも優れているという発想が、セリオフィ リー(theriophily, 動物優越論)である。他方で、懲罰として擬動物化というものがある。例えば神などの超越論的な存在が人間を(卑しい)動 物に変身させてしまうことがある。中勘助の「犬」(1922)には、邪悪な修行者とそれに騙される女が犬に変身させられて獣性の生活に捨て置かれる様が描 写されている。輪廻転生における他の動物への変身も、動物の身体の貴賎という価値付けが反映されていると思われる説明がしばしば聞かれる。

18世紀のフランドル派か?

★人間と他の種類の動物がどのような世界性—— ディスコラは存在論(ontology)と呼ぶ——をもっている かで身体性と内面性から考える必要性(→「人間と動物の4つの同一化」)

Gary Larson, In the animal self-he;p section / Dog court (from 10 Best Far Side Comics Where Dogs Act Like Humans)

◎なお、無生物(例:うんこ)でも目を入れると容易に動物あるいは人格的存在(=メ ディア等式化)になるのはみなさんもご存知のとおりである。

うんこの哲学よりAIロボットも人間のもつメディア等式の認知的プレッシャーで容易に擬人化される。

●クレジット:「擬人化」科学研究費補助金・挑戦的研究「動物学者と動物の 科学民族誌:人類学者の参与観察と協働可能性(26560137)」の支援を受けた。関係各位の謝意を表します。

リンク(サイト内)

  • メタモルフォシスとアナモルフォシス嬰児殺しと棄老に関する考察ノート▶「非人称化仮説の可能性と限界」︎︎▶ 「動物学者と動物の科学民族誌」︎▶「科学的事実の産出と研究者の実践について」︎︎▶「パースペクティヴィズム」︎▶︎︎「動物間における「思い込み」について」▶︎「ハゲタカの言い分とハゲタカの声を聞くこと」▶バリ島における犬嫌悪(バリの動物観を含む)」︎︎▶「セリオフィ リー(theriophily, 動物優越論)」︎▶「獣姦について」︎︎▶︎「動物裁判」▶︎︎細胞の擬人化」▶︎「動物間どうしの擬人化」︎▶︎︎ハーツォグ・ノート▶︎イヌとニンゲンの〈共存〉についての覚え書きしまっ ちゃうおじさんのこと︎︎▶︎プレーリードックとベルヌーイ効果のらくろ帝国主義︎︎▶中米・カリブにおける感覚のエスノグラフィーに関する実証研究︎▶︎
  • 人間外存在(ノンヒューマン)▶︎メディア等式▶︎︎イライ ザ、あるいはヴァーチャル・オードリー▶︎動物裁判▶︎︎▶︎▶
  • 愚かなる賢者としての驢馬(ろば)︎︎ビュリダンのロバ︎▶︎︎ルキオスまたはロバの寓話▶︎▶︎
  • 文献

  • Wikipedia, Theriophily (or animalitarianism)
  • Austin, J.L., 1955. How to do things with words. 2nd ed., Oxford:Oxford University Press.(→池田光穂「行為遂行的発話 と事実確認的発話」)
  • Philippe Descola, Beyond Nature and Culture. Radcliffe-Brown Lecture in Social Anthropology, 2005 (Proceedings of the British Academy 139, pp.137-155, 2006)[→精読用マニュアル
  • George Boas, 1973(原著). セリオフィリー、フリップ・ウィーナー編『西洋思想大事典』第3巻:139-144, 1990年
  • 中勘助『犬 他一篇』岩波文庫、岩波書店、1985年
  • 荒井献(編)『新約聖書外典』講談社文芸文庫、講談社、1997年
  • やまのディスコ  / スズキコージ作, 架空社 , 1989
  • 医療人類学辞典

    Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099

    Rabbit the Hunter, or the hunter becomes the hunted

    Le livre de Lancelot du Lac & other Arthurian Romances, Northern France ca. 1275-1300 (Beinecke Rare Book & Manuscript Library, MS 229, fol. 94v)

    The Raven says to the owl, "Here, the 'Duck,' or money that human being covets." from Story on "Raven and horned owl" by Gyujin Takamura (篁 牛人, 1901-1984).


    是害坊絵巻: 「唐の天狗是害坊が、比叡山の僧との法力競べ に敗れて怪我をし、日本の天狗に湯治などの介抱を受けて本復、送別の歌会ののち帰国するという、『今昔物語』に取材した絵巻」

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