非人称化仮説の可能性と限界
Feasibility and Limitation for "De-Humanization Hypothesis, DHH" of the murder/butcher/killer
動物殺害(あるいは人間殺害)を可能にする条件とし て、殺害者は、対象となる犠牲動物・犠牲者(=被殺動物・被殺者)をモノ化したり、非人間化したりするような「心理的手続き」は必要だろうか? 我々は、 この種の同種間あるいは異種間の「冷血な行為」を可能にするのは、しばしば、「同類としての感情」が抑圧ないしは消失しているからだと説明する。このこと を殺害者の「非人称化仮説(De-Humanization Hypothesis, DHH)」と呼んでおこう。
リンチ犯罪において、被害者の顔を目茶苦茶に殴打す ることで、跡形もなく「破壊」することは、この非人称化仮説にもとづいて、犠牲者の相手の「人称」を著しく毀損する行為のように思える。小田亮『利他学』 [2011]によると、目というものに見つめられると、仮にただの記号だとしても、人間は行為やふるまいにおいて「道徳的になる」(=ズルしない)傾向が あるという。したがって、顔の中心にあり、相手のアイデンティティのシンボルとしての目を含む顔を毀損する行為は、犠牲者の人称を破壊する行為であると想 像できる。また、何が殺人事件がおきた時に、テレビの元刑事のコメンテーターは、犯罪の犠牲者となった死体の顔が酷く殴打されている時には「怨恨の線」と いうコメントを返す。しかしながら、これは非人称化の手続きと言えるのだろうか? それとも、殺害者においても、犠牲者の眼(まさざし)は恐ろしく、眼を 含む顔全体の、殺害の遂行を完遂するために、この恐怖を取り除く手続きなのか、解釈には複数の説明要因が考えられることができる。
にもかかわらず、この非人称化仮説は、我々の身の回
りのそれも組織的虐殺などに関わる「非人間的な行為」を、部外者が説明する際に、しばしば使われる。私のこの用語法の理由になったは、言うまでもなく旧日
本軍の731部隊における、中国人その他の犠牲者となった「実験動物」を「マルタ」と呼んだことである。ただし、マルタが単なる符丁だったのか、それと
も、木の幹を連想する丸太のように、非人称化の手続きによって意図的に付けられたものであったのかは、現時点では明確ではないと言われる。
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「私は、この調査(文献[2011]参照)を始める前に、実験者たる自然科学者たちは、犠牲獣に対して常日頃からモノを扱うような態度で接していると、そ
れに感情移入しないために、実験がスムースにいくのだと、当初考えていた。つまり、実験者による動物の非人称化という感情的手続きを無意識のうちに行なっ
ていると考えた。これを非人称化仮説と呼ぶことにしよう。尊厳をもった実験動物をさらに物質のレベルの次元に還元すれば、研究者の道徳的ジレンマが回避さ
れるのではないかと考えたからである。だが次節で詳しく検討するLYNCH[1988]の犠牲=供犠仮説と同様、非人称化仮説も、私が調査した実験室にお
いては通用せず、かつ説得力のないものであったと私は考える。非人称化仮説が通用しない別の理由として、研究者の間で動物表象への愛着があることがあげら
れる。調査で訪れた複数の神経科学者の研究室には(私の予想に反して)実験動物を含めたさまざまな動物表象の絵画やイラストが掲げられ、研究者自身もまた
ペットを飼い慈しむ人が多いことがあげられる[e.g. HUBEL and WIESEL 2005:(巻頭図版); 藤田
2011:10]。つまり実際には、非人称化どころか、実験前や後にも動物の個性や特徴について実験者は細かく記憶し、さまざまなエピソードで語り、貴重
なデータがとれた実験ではその実験動物の生前の行動などをよく記憶しているほどなのである。言わば、神経科学者たちは盛んに実験動物を人称化して、動物の
心理的な個性について、擬人化という表現も含めて彼らは動物を理解しているのである。端的に言うと実験動物にも「心の存在」を認めていると言っても過言で
はない[cf. サール
2006:59-61]。それにも関わらず、あるいはそれゆえにこそと言うべきなのか、実験室内での動物の神経細胞のふるまい、つまり細胞の反応特徴の理
解は、徹頭徹尾、生物個体を普遍化一般化し、個々の神経細胞の振る舞いに個体差があるとは決して考えない。動物の個性は表面的なことであって、実験動物の
神経学的深層は生物学的な普遍性にもとづく共通なものであることに、神経科学者は些かの疑いも持たない。我々にとっては矛盾する表現であるが、視覚情報処
理の神経学的普遍性(つまり人間と動物の間の生物学的連続性)を彼らが信じていることと、動物に個性(つまり人間と動物との存在論的な連続性)があるとい
う「事実」を信じることに齟齬を来たさないのである」池田[2012]。
リンク
文献
その他の情報
【狩猟する政治家が獲物を殺害した後の記念のスナッ プショットのイメージ画像】画像に関するお断 り:ある政治家(元大統領選挙候補者)が動物殺しを常習にしているというニュアンスのある糾弾ページの掲載されたカラー写真をモノクロ化し、左右に反転し てぼかしという処理をおこなっています。
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