生命倫理学関連年表
Bioethics in Medical Anthropology
「通常の実験と大量不妊化実験とあいだにははっきりさかい目がある。通常の実験においては被験者が死亡すれば、実験をおこなった医師は、医術の心得のある人から殺人者と化す。しかし不妊化にたずさわっている医師は大量絶滅の考案者となる。だが、ことはそれで終わらない。ナチ支配は、大量絶滅という目標を、不動の学術的根拠をもって支えようとする多数の研究者も後援した。こうした医師たちはこのような根拠づけを希求することによって袋小路に突進し、医学的進歩に背をむけ、医学を見捨てたのである」——ラウル・ヒルバーグ 1977(下):206『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』望田幸男ほか訳、柏書房。
1779-1827 Johan Peter Frank 『完全な医事警察の体系』(System einer vollständigen medicinischen Polizey (A Complete System of Medical Policy))の刊行
18世紀末、米国諸州の成文憲法制定時に人権宣言を盛り込む フランス1791年憲法・前文
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1905 Alfred
Ploetz(1860-1940)らにより〈民族衛生のためのドイツ協会: Gesellschaft für
Rassenhygiene〉(German Society for Racial Hygiene)が創設。その中には民族学者Richard
Thurnwald (1869-1954)も含まれていた。(→「アメリカ合衆国
の優生学」)
1932 陸軍軍医学校内に防疫研究室(石井四郎)を設立。
石井は、ハルビン郊外の背陰河(ペイインホ)に300人規模の人体実験施設を開設(「東 郷部隊」)。
ca. 1932-1935 岡村寧次(Yasuji OKAMURA, 1884-1966)1932年8月関東軍参謀副長に就任、1933年(昭和8年)2月から満州帝国駐箚陸軍武官を兼ねる。
岡村が関東軍参謀副長時期に、 日本の著名大学の外科医が3名訪れ「捕えられた匪賊の斬首の断面がみたい」と申し入れるが、岡村はそれを断る。しかし、3名は執拗に食い下がり、吉林の部 隊に紹介し、「斬首の巧みな曹長」と行動を共に、その観察し、内地に帰った。「医者というものは熱心なものだと思った」と『戦場回想篇:岡村寧次大将資料(上) 』に記載。
1933 アラバマ州メイコンで「タスキーギ研究」始まる(1932年)。[→星 野一正の解説]
1937 北海道帝国大学理学部教 授・小熊捍、中国での開戦前に満州での健常人(匪賊)から摘出した睾丸を使って染色体論文を作成、米国の雑誌に投稿
1938 平房(ピンファン)に部隊施設を移設
(東郷部隊→関東軍防疫部→関東軍防疫給水部[1940]→731部隊[1941])
1939 10月〜1941年8月:「T4」による安楽死政策(T4作戦)ナチスドイツ、犠牲者推計:7万人〜10数万人
「1939年9月1日、ヒトラーは日付のない秘密命令書を発令し、指定の医師が「不治の患 者」に対して「慈悲死」を下す権限を委任する責任をもつ、「計画の全権委任者」としての地位をボウラーとブラントに与えた。この措置は明文化された法律に よるものではなく、根拠法をもたなかった。法務省は1939年8月11日には死の幇助と「生きるに値しない命の根絶」を関連づけた法律を準備し、総統官房 も法律案を準備していたが、いずれもヒトラーによって拒否された」T4作戦(テーフィアさくせん、独: Aktion T4)
1939 12月厚生省会議室での北海道帝国大学理学部教授・小熊捍(Mamoru OGUMA, 1886-1971)講演「人類の染色体」速記録中の記録
「私、ふと考えたことがあるのです。満州では匪賊討伐をしておりますが、こんどはその
匪賊の睾丸を材料に、遺伝学的研究をしてみたらどうだろうか。どのみち匪賊は殺してし
まうのだから、と考えついたのです。/
しかし、匪賊の睾丸をしらべるからという理由で文部省の出張命令を受けるわけにもゆ
きません。それで、鳥類を研究するということにして満州へ渡りました。そして特務機関
と連絡をとり、奉天の医科大学にも協力をお願いして時機到来を待っていますと、非常に
よい材料を手に入れることができました。もとより捕えてきた匪賊の一人です。/
この材料をどういう方法で薬品処理をしたか、お話をすれば学問の進歩をはかる一つの
歴史上のエピソードになるとは思いますが、重大な問題でもありますので、しばらくは口
をとざしておきます。/
産賊を一人犠牲に供しましたことは、天地神明に誓って無意義ではありません」(引用は吉村 1986:256)。
1941 ブレスラウ大学(ポーランド)での肝炎感染人体実験
クルト・グートツァイト教授、イギリス人捕虜を使った肝炎感染実験に失敗、精神病院患者 を被験者に実験を継続。
ca.1942 ナチスドイツ、強制収容所内において捕虜・囚人を使った人体実験が広範囲におこ なわれる。
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1945 5月17日〜6月2日 九大生体解剖事件
1945-47 カリフォルニア大、シカゴ大、ロチェスター大で、プルトニウムの人体注射実験。
1948 人権宣言の最初のグローバル化(国連世界人権宣言)
1947 ミッチャーリヒ『人間性なき医学』。ヴァイツゼッカー『安楽死と人体実験』
1947 ニュルンベルク・コード(インフォームドコンセントの起源)
1956-1972 ニューヨーク州スタッテン島ウィローブルック州立学校(知的障害児施設)に おける肝炎感染実験
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1964 ヘルシ ンキ宣言(最新2002年改訂)・(人体実験の倫理原則)
1966 ビーチャー「倫理と臨床研究」論文(『ニューイングランド医学雑誌』)[→星 野一正による解説]
1966 米・動物福祉法(PL89-544)
1967 パップワース『人間モルモット』。バーナードによる心臓移植手術(Dec.3)
1972 タスキーギ研究、マスメディアの批判により終了。
1972 山崎朋子『サンダカン八番娼館:底辺女性史序説』筑摩書房(→「訪問術A 」)
1973 千田夏光『従軍慰安婦』双葉社
1974 米・国家研究法(PL93-348)
1985 米・健康研究拡張法(PL99-158)
1979 ベルモント・レポート
1981 森村誠一『悪魔の飽食』第一部出版
1989 米・保健福祉省(DHHS)は科学公正局(OSI)と科学公正監査局(OSIR)設立 (→ORI, 1992)
DHHS, U.S. Department of Health and Human Services.
1992 米・研究公正局(ORI, the Office of Research and Integrity)設立。
1996 世界初の哺乳類の体細胞クローンである雌羊ドリーが生まれる(1996年7月5日〜
2003年2月14日)
1997 クリントン大統領、タスキーギ研究に対して謝罪、410万ドルをタスキーギ大学に寄 付。
1998 タスキーギ大学に「国立バイオエシックスセンター」設置。
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