生命倫理学・Bioethics
Hippocrates Refusing the Gifts of Artaxerxes by Anne-Louis Girodet-Trioson
(今後の更新は「バイオエシッ クス」あるいは「バイオエシックスの可能性」でおこないます)
●ナチズムとバイオエシックスの構成について(アラン・バディウ)
"Notons, car ce sont des faits, que « bio-éthique » et obsession d'État de l'euthanasie ont explicitement été des catégories du nazisme. Au fond, le nazisme était de part en part une éthique de la Vie. Il avait son propre concept de la « vie digne », et assumait implacablement la nécessité de mettre fin aux vies indignes. Le nazisme a isolé et porté à son comble le noyau nihiliste de la disposition « éthique » dès qu'elle a les moyens politiques d'être autre chose qu'un bavardage. À cet égard, l'apparition dans nos pays de grandes commissions d'État chargées de la « bio-éthique » est de mauvais augure. On poussera des hauts cris. On dira que justement, c'est au regard de l'horreur nazie qu'il est nécessaire de légiférer pour défendre le droit à la vie et à la dignité, dès lors que l'impétueuse poussée des sciences met entre nos mains de quoi pratiquer toutes sortes de manipulations génétiques. Ces cris ne doivent pas nous impressionner. Il faut maintenir avec force que la nécessité de telles commissions d'État et de telles législations indique que, dans la conscience et dans la configuration des esprits, la problématique reste essentiellement suspecte. L'accolement de « éthique » et de « bio » est par lui-même menaçant. Tout de même que l'est la similitude des préfixes entre l'eugénisme (honni) et l'euthanasie (respectable). Une doctrine hédoniste du« bien-mourir» ne fera pas barrage à la puissante aspiration, elle vraiment mortifère, au « bien-générer », instance évidente du « bien-vivre »."(Badiou 2003:56-5 )
「国家による「生—倫理」と安楽死へのこだわりはいずれもナチズムの範疇に属していたことが
明らかだ、と。つまりナチズムとはとことん〈生〉の倫理(une éthique de la Vie)だったの
だ。ナチズムはそれ独自の「尊厳/ある生」についての概念を有しており、またそうした基準から、尊厳に値しないと見倣された生に無慈悲な終わりを与えるこ
とを引き受けたのだ。ナチズムは、いったん「倫理」が有する傾向がたんなるお喋りとは異なる政治手段を身につけるや、そうした「倫理」の配置が有するニヒ
リスト的核芯をただちに分離抽出し、それを究極的な有り様にまで純化させた。こうした点から観ても、わが国に「生—倫理」を所管する大規模な国家委員会が
出現したことは不吉な徴候である。いずれ次のような抗議の
声があがるだろう。科学の急激な進歩が私たち一般市民にもあらゆる類いの遺伝子操
作を実践するに必要な手段を委ねた以上、ナチの恐怖から生とその尊厳の権利を守る
法こそが制定されるべきだ、と。だが私たちはこうした叫びに動かされてはならない。
必要なことは、次のように力強く主張することだ。すなわち、こうした国家委員会や
法制定が必要とされることそれ自体が、こうしたさまざまな意識や精神の布置連関に
あって、問題が本質的に疑わしいままであることを示している、と。「倫理」と「生
Bioの接続は、それ自体において、恫喝的なのだ。まったく同様に、(嫌われている)
優生学 l'eugénisme と(尊厳に値する)安楽死 l'euthanasie のあいだの接頭語の類似も
そうだ。「よく死ぬ bien-mourir」ことについての快楽主義的な教義は、「よく産
む bien-générer 」ことへの強烈な渇望——これはまさに屈辱を与えられた渇望だ——を妨げることなどなげむしろそれは、「よく--生きる
bien-vivre」ことを構成する露骨な要素なのだ」邦訳、65-66)
■歴史生命倫理学 (historical bioethics)
歴史生命倫理学(historical bioethics)ないしは生命倫理的歴史主義(bioethical historicism)とは、人類の歴史における倫理事象の検討、とりわけ、生命に関わる倫理現象をとりあつかう歴史学分野のひとつ、あるいは(時間的 /歴史的な倫理的相対主義をこれまで克服できなかった)生命倫理学の発想をもって人間の命の歴史を再考するプロジェクトのことである。
●生命倫理学をどのように 教えるのか?
石川県立看護大学の「加藤穣、米田昌代、牧野智恵」の諸先生方によるシラバスをみてみよう。https://www.ishikawa-nu.ac.jp/syllabus/subject/110103-2/ 8回の授業で1単位の授業が次のように組まれてある。対象は1年生である。教科書は今井道夫「生命倫理学入門」(産業図書)である。
シラバスガイド |
想定される今井道夫『生命倫理学入門』の
章 |
1. 生命倫理とは何か/健康・病気・医療の概念 | 生命倫理学とは何か、健康・病気・医療 |
2. 医療の倫理的問題/看護倫理の基盤(看護倫理綱領) | インフォームド・コンセント、遺伝子技術 |
3. 生の始まりと関わる倫理問題 | 生殖技術、人工妊娠中絶、遺伝子技術 |
4. 母性看護における倫理問題(事例検
討) |
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5. 生の終わりと関わる倫理問題 |
安楽死、緩和ケア |
6. 発展的学習(プレゼンテーション) |
移植医療?、科学的医学の論理と倫理? |
7. 人間とは何か |
人間とは何か |
8. 今後の医療と生命倫理 |
今後の医療と生命倫理学 |
また、同大学の「浅見 洋、米田 昌代、丸岡 直子、牧野 智恵」先生らの、シラバス()では、2年次に、必修の2単位の15回(16回目は試験)のカリキュラムがある。教科書は、おなじく、今井道夫「生命倫 理学入門」(産業図書)である。
シラバスガイド | 想定される今井道夫『生命倫理学入門』の章(池田による関連ページ) |
1. 生命倫理とは何か |
生命倫理学とは何か |
2. 健康・病気・医療の概念 |
健康・病気・医療(→健康の定義、健
康転換、病気観、病い
と疾病、病=気、医療概念、) |
3. 科学的医療の倫理的問題 |
科学的医学の論理と倫理、移植医療、 |
4. 看護倫理の基盤(看護倫理綱領) |
(→看護人
類学、公衆衛生と倫理、ケアの倫理、) |
5. 生の始まりと関わる倫理問題1(生殖技術) |
生殖技術 |
6. 生の始まりと関わる倫理問題2(人工妊娠中絶) |
人工妊娠中絶 |
7. 生の始まりと関わる倫理問題3(遺伝子技術と優生学) |
遺伝子技術 |
8. 母性看護における倫理問題(事例検討) |
|
9. 生の終わりと関わる倫理問題1(移植医療と死の概念) |
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10. 生の終わりと関わる倫理問題2(安楽死と尊厳死) |
安楽死 |
11. 生の終わりと関わる倫理問題3(ターミナルケア) |
緩和ケア |
12. 別れの手紙を書く(演習) |
(→病
気を経験すること・病気を語ること、) |
13. 人間とは何か |
人間とは何か |
14. インフォームド・コンセント |
インフォームド・コンセント |
15. 今後の医療と生命倫理 |
今後の医療と生命倫理学(→研究倫理、医療人類学、) |
16. 試験 |
◎アウシュヴィッツの回教徒問題
「ナチ強制収容所において、生きるべき価値を持たない者として「焼却処分」にふされた人々が
いる。それら「死すべき抑留者」に与えられた名—「回教徒」(Muselmann)。なぜ「回教徒」なのか?その生と死を、我々はどう語ってきたのか?戦
後60年を迎えた現代社会を規定し続ける「思考としてのナチズム」、その核心への問い。【章立て】▶序章 皮膚—歴史の器官▶
第0章 回教徒(Muselmann)/ムスリム(Muslim)/イスラム教徒(Moslem)▶
第1章 残忍な自己嘲弄?—アウシュヴィッツの「回教徒」をめぐる侮蔑と享楽▶
第2章 意志を喪失した者たち—アウシュヴィッツ強制収容所の抑留者が描く「回教徒」▶
第3章 人間の影—他の強制収容所の抑留者が描く「回教徒」▶
第4章 生ける屍=戦闘機械—親衛隊員による「回教徒」という用語の使用▶
第5章 無意志の帰依/野蛮なる受動—「回教徒」という用語が研究者その他によって公的に登録される時▶
結び 人間と人類の名において」
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