健康転換
health transition
解説:池田光穂
健康転換とは、人間集団(=人口)への中長期的な公衆衛生や都市政策あるいは栄養状況の改善によって、都市住民や村落部の富裕層などの集団にみ られる、健康状態の改善を通して、疾病構造が変化することをさす。
健康転換(health transition)という用語の初出は1973年サンフランシスコで開催された米国公衆衛生学会におけるモンロー・レナー(Monroe Lerner)研究発表「近代化と健康:健康転換のひとつのモデル」であったが、この時には大きな影響力を与えることがなかった。これに先立つ1971年 アブダル・オムランは疫学転換という用語を『ミルバンク記念財団季報』49巻で提唱している。健康転換に関する理論のうちもっとも偉大な貢献をしたのが、 トーマス・マッケオン(マキューン)『人口の近代的増大』(1976)であり、ライリー(2008:6-7)によると、近代の公衆衛生学が貢献したといわ れるイングランド・ウェールズにおける死亡率低下について疑問を抱き、感染経路別に異なる死因の疾病を特定し、個別疾患に対する死亡率の貢献は、公衆衛生 学よりもむしろ、生活水準とりわけ栄養改善が重要だと指摘したという。
ライリーの主張はもっともだが、現在における公衆衛生政策は、近代黎明期におけるような社会統制的側面がより少なくなり、生活水準の向上や、栄 養改善のプログラムなどと共におこなわれるために、今日では、衛生の改善と栄養改善、ならびに基本的知識の普及などのプロセスはより複合化している。この ことから、19世紀末の公衆衛生学と21世紀のそれを同じ視座でみることには限界がある。
健康状態の古典的定義は、疾患がない状態のことを長く表現してきたために、死者の数や死亡の確率の経時的変化(微分)が重要な指標になる。これ を死の統計学(ネクロ・スタティスティクス, necro-statistics)による健康の定義という。
死の統計学は、健康あるいは病気の人の将来(post hoc)の死亡から現在(ad hoc)の健康状態を便宜的に表現(represent)するという根本的ジレンマを抱えるため、生命の質(Quality of Life, QOL)という概念の「発明」以降、現在の健康状態を表現することの限界が次第に明らかになってきた。
健康転換という現象は、死の統計学の理論上の限界を露呈する兆候とも言えるべきものである。健康転換という社会状況の変化の指摘以降、健康の内 容や死亡に至るまでの質を検討する研究――例えば生活の質(QOL)の発明――など、健康を生者の内容に焦点化・指標化する動きが加速した。たとえば、ダリ(障害調整生存年数)という指摘などである。論争ぶくみで数量的にはアバウトなこの指標も また、重み付けを洗練化させた死の統計学の一種であることには変わりない。
死の統計学と生命の質(QOL)の構成には根本的な矛盾が宿っている。言い換える と現時点(ad hoc)分析としての生命の質は、未来に生起する(post hoc)仮想の死の統計学と係留点をもたない(=実証的に意味がない)ばかりか、未来の死が現在の生活の質を腐敗させることすらある[例:不治の病に冒さ れた者の未来を現代医療が「予言」することにより引き起こされる自暴自棄な行動や神経精神症状という心の医療化など]。
生活の質(QOL)という実態の「発明」は、死亡にいたる時間を延長することが最 善の医療だと言われてきたものが、証拠にもとづいた医療(EBM)研究の成果によって、(余命)時間の延長への無駄なコスト投下よりも、死にゆく人びとそ の家族にとっての余命時間あたりの命(=生活)の意義評価(significant life contents per time)の改善に使ったほうがよいという考え方と実践――もっとも良質な例は(文字の正しい意味での)ターミナルケア――へと「転換」してゆく過程と、 この健康転換という現象の説明の時代の時間的符合が認められる。
健康転換は、医療や衛生・栄養の発達において人間がより長生きできるようになりました、という教訓を端的に明示するが、同時に、死の統計学―― 戦死者の規模で戦争の規模を表象することを想起せよ――による健康の表象が終わりつつあることを、はからずも我々に示している。
リンク
文献
ライリー、ジェームス『健康転換と寿命延長の世界誌』門司和彦ほか訳、明和出版、2008年
丸山博『死児をして叫ばしめよ』(丸山博著作集1)農山漁村文化協会、1989年
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