はじめによんでください

病いと疾病

Illness and Disease


解説:池田光穂

医療人類学の教科書には、ふつうの人たちが理解し、感じている病気の概念や経験を「病い・やまい」(illness)とよび、医療の専門家—— とくに医師ないしは彼/彼女らが依拠する生物医学(biomedicine)——が定義する病者への診断のことを「疾病・しっぺい」(disease)と 呼ぶと書いてある。

このように病気(sickness)に関する全体的な経験を、病いと疾病(時に疾患と訳すこともある)に分けることは、とりわけ、医療の専門家 にとっては、病人やその家族の経験や理解について配慮させる意味で、きわめて重要な指摘である。

このような二分法は、医学哲学者(現在はバイオエシスト)であるH・トリストラム・エンゲルハート, Jr.(1974)が、医療を説明モデル(Explanatory models)という解釈図式で説明しようとしたときに論理的に引き出されるものとして指摘構想されていた。しかし、この二分法分類が医療人類学民族誌的 理解に貢献できることを実証したのはクラインマン(1980)の功績である。

さらに、クラインマンは、クリニカル・リアリティというある種の現象学的な概念を編み出して、病者とその家族が形成する意味世界の[臨床家や人 類学者に対して]理解の重要性をさまざまな角度から検証した。

ただし、このような二分法には、病いと疾病ははたして相互排除するものか、すなわち、あれかこれかというジレンマを抱えることになった。もっと も我々はビュリダンのロバではないので、あれかこれかで悩むことはない。そのような常 識的ではあるが、極めて明確な形でジレンマの克服を試みたのがアラ ン・ヤング(1982)である。

ヤングは人間が経験する病気経験の総体を病気(sickness)と名付け、そこに、病いと疾病の2つのバンドのような領域があると仮定した。 また、それぞれの領域(=経験の幅)に対応する技法をそれぞれ、病いに対処する「癒し」(healing)と疾病に対処する「治療」(curing)と名 付けている。ヤングの図式では、病いと疾病は、病気という長い領域をもつバンド(光学の隠喩で表現するとスペクトルの領域)で、病いと疾病はカバーする領 域に重複があるが、相互に共有しない部分があることを指摘し、それぞれ、病いではあるが「対応する疾病の領域がないもの」(no disease counterpart)、疾病ではあるが「対応する病いの領域がないもの」(no illness counterpart)と呼んでいる。

この図は、ヤングが、病いの「構成要素」と疾病の「構成要素」を比較して、それらにいわゆるウィトゲンシュタインの「家族的類似性」があること を示唆したいために書いたのではないかと思われる。数年前に、私は、アラン・ヤング先生御本人と日本で邂逅することになるのだが(彼曰く「マーガレット (・ロック先生)が、日本に行くのなら、お前さんに必ず会えよ、と言ってくれた」と邂逅一番に話したことを昨日のように僕は覚えている!)、残念ながら、 その時は、トラウマや記憶に関するシンポジウムだったので、この質問をする機会を失い、現在までに至っている。

このような対比がありながら、クラインマンもヤングも、人類学の研究対象は病いにあることを信じていることは間違いがない。なぜなら当時の医療 人類学の関心は、民族医学に焦点化した病者の行動や理解や解釈の問題を重視していたからである。そこで焦点化されるのは同時に、患者やその家族にみられる アイデンティティの問題や苦悩理解における人類学の可能性についてでもあった(→病=気)。

私(池田光穂)は、ヤングの図式は、病気の概念はともすれば[彼が図式において使った隠喩により]領域の強度の違いというふうに誤解される可能 性があるために、むしろ、集合論における2つの属性の要素の分類を図示したベン図になぞらえて、ヤングのモデルの洗練化を試みたい。しかしながら、果たし てそれが洗練化であるのか、あるいはヤングの図式の換骨奪胎ないしは我田引水的変形と捉えることも可能なので、下記の図式は、ヤングの病いと疾病の図式に 着想のヒントを得た、もうひとつの病いと疾病の図式であると、読者には理解してほしい。この図は、やがて、池田光穂・奥野克巳編『医療人類学のレッスン』 学陽書房、2007年、37ページに、私(池田)と山崎剛さんが共同執筆した章のなかに登場することになる。

ただし、以下のような病い、疾病、病気の理解では、アンドリュー・トワードル(Andrew Twaddle 1968,1994)のプリミティブな集合論のメタファーでしか表現できず、アラン・ヤングの家族的類似概念のほうがよりモデルに適合的なのは、トワード ルを正しく批判した、L・ノーデンフェルト(L. Nordenfelt 1987,1994)の批判の通りである。

いずれにせよ、病いと疾病は相互に排除するものだけではなく、重複するもの[エンゲルハートのいう説明モデルの間の共有を示唆する]があるとい うことを、この図では強調している。また、ヤングのスペクトラムの隠喩で表現されるような、病いとその癒しの技法を研究する民族医学 ethnomedicine(ないしは民俗医学 folk medicine)と、疾患と治療に関する研究をする医療社会学というような単純な研究領域の棲み分けの議論には組みしたくないことを、言外に語ることが できる。

医療人類学は、これらすべての領域すなわち病気と治療の文化人類学的研究のうち、病気に関する理論的取り組みに関する意見表明は、この図で十全 に表現されうるだろう。

【文献】

Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099

Bernard van Orley, Mary with Child and John the Baptist, Prado, Madrid

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