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治療効果の認知概念について

Cognition and re-cognition of self-efficacy of a certain healing

解説:池田光穂

効く・効かないについてのメモ → 類似のページ「非西洋医学の有効性 をめぐる議論

「いろいろなマジナイや御祓い、あるいは祈祷がありますが、ほんとうに効くのでしょうか?」  呪術的医療について調査をおこなっている際に、しばしば人びとから、このような質問を受ける。

この問題に(正確に)答えることは、実はきわめて難しい。私自身は「効かないものもありますが、効くものもかなりあります」とお答え することにしている。これが、正直のところ、もっとも公平な見解だからである(→向精神性の薬物利用において、同じサブスタンスなのに人により「バッドトリップ」と「グッドトリップ」という二相性の効果があるのか?という応用問題を考えるのも重要である)。

この問題にかんして、大きな貢献をしたのが民族植物学者であると同時に薬理学者でもあるアンドリュー・ワイル(Andrew Weil, 1942- ) である。彼は、世界中で 行われているさまざまな伝統的、近代的、正統的、および非正統的——このなかにはニセ医術も含まれる——医療において行われている多くの療法について、そ の「治療効果」の有無を調べた。

その結果、次のようなことが明らかにされた。すなわち、あらゆる治療法には、その程度の差こそあれ何らかの「効果」がある。その際、 治療を受けようとする人がその療法に抱く期待が高いほど、患者の生理学的な治癒に効果的に反映される、と。

ふつうの人びとが、ある治療法をもって、効果があったと判断する状況を想像してみよう。そこでは、治療者、患者、患者を取り囲む家族 や人びとが、それぞれ各々の判断を下していることに気づかされる。世界のいろいろな伝統社会における治療においても、それは当てはまる。

患者本人がずいぶん良くなったと主張しても、呪術師はまだまだ完全には治ってないと判断したり、病人がいまだ苦しんでいるのに、呪術 師や周囲の者が治ったと大騒ぎすることもある。このように「効く」という言葉を正確に理解するためには——誰が効いたと判定したのか?——ということにつ いて 明確でなければならない。「呪術師」の代わりに「医師」という言葉を置き換えてみると、それは、まさに現代人にとっての治療効果云々の議論になる。

したがって、日常生活において頻繁に行なわれている「効く/効かない」という判定は、判断する人間の尺度や基準が反映されることをあ らわしている。

近代医学では、このような偏りを除くような工夫がなされている。例えば、ある薬を与えることが、特定の病気に対して効果があるかない かを判定する手段として、二重盲検法が開発された。具体的には、効果を確かめたい薬でできた錠剤と、それと姿かたちはそっくりだが無害で薬効のない成分を 含む錠剤を、別々の患者たちのグループに与える。患者たちに対して効果があったか、なかったかを判定する者は、投与された内容について知らされていない医 療者がおこなう。要するに治療効果を判定する際に、人為的な偏りをなくし、より「客観性」を持たせようとしたものである。

しかしながら、この方法は、先に述べたように、効く/効かないという判断の大半は、社会的な脈絡のなかで行なわれ、きわめて自由気ま まに(すなわち恣意的に)判断される、という状況を考慮しない。むしろ、二重盲検法が、そのような恣意性を排除するために開発された科学的方法と見なされ ているからである。

毒にも薬にもならない物質を、「よく効く薬」として患者に与えると、生理学的な薬物作用(=薬効)がないにもかかわらず、しばしば「効果」があ らわれる。このような現象は、ラテン語の「喜ばせる」という動詞に由来して「プラシーボ効果」と言われ、そのような気休め薬を「プラシーボ」 と呼ぶ。

プラシーボは、薬物がどのような状況で用いられるかによって、薬物の——総合的な——効力が変わりうることを我々に教えたが、これは重要 なことである。にもかかわらず、近代医療における薬の「客観的」判定をおこなう二重盲検法では、害を及ぼさないニセ薬のことをプラシーボとよんで、プラ シーボ効果については一般的に顧慮しない。

厄介なことに近代医学では、「病人に対してある操作をおこなったときに、病人に一定の効果があらわれる」ということを証明するには、 煩雑な手続きが必要とされている。いっぱんに、近代医学では、人体に起こる現象を微少な物理化学的反応の積み重ねの結果として見なす傾向がある。

 そのため、ある呪術的な治療が「効果をもつ」と近代医学の立場から評価される際に、その治療の要素は分解され、それらの断片に個別な 説明をもって臨むことになる。すなわち、ある薬草の主成分である××は、薬理学的には○○の作用がある、といった類の説明である。この種の説明は、伝統的 な医療の解説によく使われており、我々にお馴染みのものである。

例えば、呪術的治療の心理学的効果は、精神的に落ち込んでいる病人に活力を与えたり、病気の原因が心理的なものに由来する時には直接 に作用すると説明される。また、心身医学的効果は、——こころ——が身体的な状態に影響を与えている——事実——を前提にする。すなわちストレス性の疾患 に対し て、ストレスを解消させる呪術的治療は効果的であると、説明されるのである。最近では精神のはたらきが、身体の防御機構である免疫の能力に効果を及ぼすと いう観察結果——精神免疫学という——が報告されており、これも呪術的治療が効果をもつことの有望な仮説として注目されている。  どのような説明が試みられるにせよ、人びとの関心は医療のあり方そのものにあるのではなく、具体的にどの医療や療法が「よく効くか」というところにある ようだ。  近代医療が医療の中心となった現在においても、「よく効く」ということに対する人びとの関心があるかぎり、人びとの健康に対する固有の態度や信条——す なわち健康フォークロア——は、維持されてゆくのである。

【覚書】

リンク

文献

病 気の認知概念

こどもの病気の認知概念にかんする実験的研究は、M・シーガル『子どもは誤解されている:「発達」の神話に隠された能力』鈴木敦子ほか 訳、新曜社、1993年、のpp.92-106にあります。