プラシーボとノシーボ
Cognition and re-cognition of Placebo and Nocebo
解説:池田光穂
プラシーボとは、偽薬のことである。「鰯(イワシ)の頭も信心から」ということわざがあるように、人は偽の薬を与えても「効いた効いた」と吹聴 するようになることがある。これは、自覚症状の改善がみられたという。他方、偽薬のはずなのに、望まない副作用(有害作用)が現われることをノシーボある いは、ノシーボ効果という。
薬学研究では、偽薬か本当の薬かを検査する薬剤師や臨床医が「分かっているだけで」影響をもたらす可能性を消去するために、臨床実験に携わるひ とたちにも投与される薬が、臨床実験薬なのか偽薬であるのかをわからなくしている。これをダブルブラインドテスト(二重盲検試験)という。臨床薬学では、 実験する薬が効いているか否かを検討するので、偽薬をプラシーボと呼ぶ。ただし、この場合は、イワシの頭として想定されているのではなく、あくまでも「偽 薬を与えている状態をベースライン」とみなす実験的な手続きにすぎない。
それに対して、シャーマニズムや、偽医者(いんちき医者)を研究対象にする医療人類学者は、プラシーボないしは、プラシーボ効果のなかに、いわ ゆる「文化的治癒(cultural healing)」の概念を導入しようと努力する傾向がある。下記の、アラン・ヤングの図式の病気・病い・疾患の違いを検証してほしい。
プラシーボについては、プラシーボの効果を薬学研究者が考えるベースライン以上の考察をすべきだというヘンリー・ビーチャーのような立場と、偽 薬は偽薬意味がないと頭ごなしに断罪して、さまざまなデータからプラシーボを信じるものは迷信なしは幼児的だとみなす厳格派の2つに別れるように思われ る。日本のウィキペディア「偽薬」が解説しているので対位法的にわけてみよう。
Henry K. Beecher,
1904-1976 |
Norup M.
Hrobjartsson, "The use
of placebo interventions in medical practice--a national questionnaire
survey of Danish clinicians." Evaluation & the Health Professions
2003 Jun 26(2):153-65. PMID 12789709 |
1955年にヘンリー・ビーチャー(英語
版)が研究報告をして[2][3]、広く知られるようになった。近年、喘息患者を対象にした研究で、偽薬や偽の鍼治療などをしても何ら病状(最大呼気流
速)は改善されないが、主観的な呼吸苦は西洋医学的な吸入薬(アルブテロール)と同等の改善が見られた[4](無論、それは良くなった「気がする」だけで
あって病気自体は何ら改善してはいない)。これにより、偽薬だけでなく「無介入群」を設定することの必要性も提唱されている[5]。
偽薬効果が存在する可能性は広く知られている。特に痛みや下痢、不眠などの症状に対しては、偽薬にもかなりの効果があるとも言われており、治療法のない患
者や、副作用などの問題のある患者に対して安息をもたらすために、本人や家族の同意を前提として、時に処方されることがある。医師法にも、暗示的効果を期
待し、処方箋を発行することがその暗示的効果の妨げになる場合に、処方箋を交付する義務がない事が規定されている。
多くの場合、重要で意味のある偽薬効果を得るために欺瞞や隠蔽は必要ない。驚いたことに、偽薬であることがわかっていても、偽薬は機能する[6]。 |
2001年にNew England
Journal of
Medicineに掲載されたHrobjartssonらの論文は、治療手段としての偽薬の効果が限られていると主張し、反響を呼んだ。この論文で著者ら
は、過去に行われた偽薬と無治療との比較試験100編以上の論文をレビューして、痛みの症状は偽薬によって若干改善されるが、それ以外では、偽薬が自覚症
状や他覚症状を改善する証拠はなかったと述べている。
「偽薬効果は客観的にも有意な改善が見られ、積極的に用いて良い治療法である」「客観的な改善はなくても自覚的・精神的な安息が得られるから認められるべ
きである」という肯定的な意見がある一方で、「偽薬には一切症状を改善する効果はない」「いずれにせよ、いかなる場合も倫理的に認められない治療法であ
る」など、様々な意見が対立している。2006年現在、少なくとも標準的な治療法とはなり得ていない状況といえる。
デンマークで行われたある調査では臨床医のうち、30%が偽薬効果による客観的な症状の改善を信じており、86%が最低1度偽薬を使った事があり、46%
が倫理的に偽薬の使用を認めると考えていた[7]。 |
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以下は「治療効果の認知概念について」からのエッセーです。
効く・効かないについてのメモ → 類似のページ「非西洋医学の有効性 をめぐる議論」「治療効果の認知概念について」「いろいろなマジナイや御祓い、 あるいは祈祷がありますが、ほんとうに効くのでしょうか?」 呪術的医療について調査をおこなっている際に、しばしば人びとから、このような質問を受ける。この問題に(正確に)答えることは、実はきわめて難しい。 私自身は「効かないものもありますが、効くものもかなりあります」とお答え することにしている。これが、正直のところ、もっとも公平な見解だからである。この問題にかんして、大きな貢献をしたのが民族植物学者であると同時に薬理 学者でもあるアンドリュー・ワイル(Andrew Weil, 1942- ) である。彼は、世界中で 行われているさまざまな伝統的、近代的、正統的、および非正統的——このなかにはニセ医術も含まれる——医療において行われている多くの療法について、そ の「治療効果」の有無を調べた。その結果、次のようなことが明らかにされた。すなわち、あらゆる治療法には、その程度の差こそあれ何らかの「効果」があ る。その際、 治療を受けようとする人がその療法に抱く期待が高いほど、患者の生理学的な治癒に効果的に反映される、と。
すべての治療法に共通するもの(A・ワイル「人はなぜ治るのか」pp.258- 262)
1.絶対に効かないという治療法はない |
2.絶対に効くという治療法もない |
3.各治療法は互いにつじつまが会わない |
4.草創期の新興治療法はよく効く |
5.信念だけでも治ることがある |
6.以上の結論を包括する統一変数は治療に対する信仰心である |
ふつうの人びとが、ある治療法をもって、効果があったと判断する状況を想像してみよう。そこでは、治療者、患者、患者を取り囲む家族 や人びとが、それぞれ各々の判断を下していることに気づかされる。世界のいろいろな伝統社会における治療においても、それは当てはまる。
患者本人がずいぶん良くなったと主張しても、呪術師はまだまだ完全には治ってないと判断したり、病人がいまだ苦しんでいるのに、呪術 師や周囲の者が治ったと大騒ぎすることもある。このように「効く」という言葉を正確に理解するためには——誰が効いたと判定したのか?——ということにつ いて 明確でなければならない。「呪術師」の代わりに「医師」という言葉を置き換えてみると、それは、まさに現代人にとっての治療効果云々の議論になる。
したがって、日常生活において頻繁に行なわれている「効く/効かない」という判定は、判断する人間の尺度や基準が反映されることをあ らわしている。
近代医学では、このような偏りを除くような工夫がなされている。例えば、ある薬を与えることが、特定の病気に対して効果があるかない かを判定する手段として、二重盲検法が開発された。具体的には、効果を確かめたい薬でできた錠剤と、それと姿かたちはそっくりだが無害で薬効のない成分を 含む錠剤を、別々の患者たちのグループに与える。患者たちに対して効果があったか、なかったかを判定する者は、投与された内容について知らされていない医 療者がおこなう。要するに治療効果を判定する際に、人為的な偏りをなくし、より「客観性」を持たせようとしたものである。
しかしながら、この方法は、先に述べたように、効く/効かないという判断の大半は、社会的な脈絡のなかで行なわれ、きわめて自由気ま まに(すなわち恣意的に)判断される、という状況を考慮しない。むしろ、二重盲検法が、そのような恣意性を排除するために開発された科学的方法と見なされ ているからである。
毒にも薬にもならない物質を、「よく効く薬」として患者に与えると、生理学的な薬物作用(=薬効)がないにもかかわらず、しばしば「効果」があ らわれる。このような現象は、ラテン語の「喜ばせる」という動詞に由来して「プラシーボ効果」と言われ、そのような気休め薬を「プラシーボ」 と呼ぶ。
プラシーボは、薬物がどのような状況で用いられるかによって、薬物の——総合的な——効力が変わりうることを我々に教えたが、これは重要 なことである。にもかかわらず、近代医療における薬の「客観的」判定をおこなう二重盲検法では、害を及ぼさないニセ薬のことをプラシーボとよんで、プラ シーボ効果については一般的に顧慮しない。
厄介なことに近代医学では、「病人に対してある操作をおこなったときに、病人に一定の効果があらわれる」ということを証明するには、 煩雑な手続きが必要とされている。いっぱんに、近代医学では、人体に起こる現象を微少な物理化学的反応の積み重ねの結果として見なす傾向がある。
そのため、ある呪術的な治療が「効果をもつ」と近代医学の立場から評価される際に、その治療の要素は分解され、それらの断片に個別な 説明をもって臨むことになる。すなわち、ある薬草の主成分である××は、薬理学的には○○の作用がある、といった類の説明である。この種の説明は、伝統的 な医療の解説によく使われており、我々にお馴染みのものである。
例えば、呪術的治療の心理学的効果は、精神的に落ち込んでいる病人に活力を与えたり、病気の原因が心理的なものに由来する時には直接 に作用すると説明される。また、心身医学的効果は、——こころ——が身体的な状態に影響を与えている——事実——を前提にする。すなわちストレス性の疾患 に対し て、ストレスを解消させる呪術的治療は効果的であると、説明されるのである。最近では精神のはたらきが、身体の防御機構である免疫の能力に効果を及ぼすと いう観察結果——精神免疫学という——が報告されており、これも呪術的治療が効果をもつことの有望な仮説として注目されている。 どのような説明が試みられるにせよ、人びとの関心は医療のあり方そのものにあるのではなく、具体的にどの医療や療法が「よく効くか」というところにある ようだ。 近代医療が医療の中心となった現在においても、「よく効く」ということに対する人びとの関心があるかぎり、人びとの健康に対する固有の態度や信条——す なわち健康フォークロア——は、維持されてゆくのである。
【覚書】
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文献
病 気の認知概念
こどもの病気の認知概念にかんする実験的研究は、M・シーガル『子どもは誤解されている:「発達」の神話に隠された能力』鈴木敦子ほか 訳、新曜社、1993年、のpp.92-106にあります。
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099