よい臨床コミュニケーション
What is the best practice of "human communication" in clinical settings?: A quest of the Alien, Jones.
担当: 池田光穂
臨床コミュニケーションの定義についてはすでに解説しましたので、不明確な人は 復習しておいてください。ここでは、よい臨床コミュニケーションとはなにかということについて考えます。その際に、皆さんが学んできた生命倫理や、医療倫 理という「よい」という実践内容がプロトコル化された実用学問のことについては、ひとまず忘れください。そのために認識論的異邦人(メルロ=ポンティの言 葉)になることをこの授業(ワーク)ではおこないます[課題文参照]。
『医療におけるコミュニケーション・スキル』(2000[1997])においてチャールズ・ハインドは、現代英国における臨床コミュニケーショ ン・スキルの基礎として、以下の9点(1.時間、2.準備、3.正直にかつ同情をこめて話す能力、4.他者の感情を見きわめる能力、5.耳を傾ける能力、 6.説明する能力、7.理解する能力、8.患者を気づかう能力、9.一貫性)をあげて解説している。
1.時間
時間的拘束性および準備と経験を積むための時間:第1に「スキルを身につける時間」、第2に「面談をおこない、患者や近親者のさまざまな関 心事に答えるための時間」、第3に「告知を受けた者が状況の重大さ、深刻さを認識するための時間」がある(pp.8-9)。
2.準備
情報の入手と管理」:第1に「あらゆる側面からその患者の状態を把握するために、十分な時間をとり、他の医療スタッフからの情報を得」、第 2に「面接は部外者のいない静かなところで行う」こと、そして第3に「彼ら(=患者や近親者など)が他の医師や医療スタッフからすでに知らされているこ と、そして彼らの関心が現在どこにあるのか把握」する必要があるという(p.9)。
3.正直にかつ同情をこめて話す能力
「医師には、悪い知らせを淡々と正直に、しかも、同じ人間としての同情をこめて伝える能力が求められる」(p.9)。
4.他者の感情を見きわめる能力
患者や近親者の反応は多様であるが、一般的にみられる反応もある。それゆえ前もってこのような反応のレパートリーを把握すべきという (p.10)。
5.耳を傾ける能力
医師が会話を仕切ることは「絶対にしてはならない」そして告知の後は「会話のペースや方向性が患者や近親者本位になるように心を砕く」よう に求めている(p.10)。
6.説明する能力
正直に、また、同等の知識をもたない人にも理解できる言葉で答えるべきである。
7.理解する能力
患者や近親者がなぜ、さまざまなかたちで質問してくるのか、尋ねそしてその受け答えから「質問の背後にある本当の理由を判断」する必要があ る(p.11 )。
8.患者を気づかう能力
「告知によって、天地がひっくり返るような衝撃を受けた患者や近親者にとっては、医師が姿を消した後こそが試練の時になる。それを気づかう ためには、彼らが決して放っておかれはしないこと、この状況を乗りきるための援助やもっと分かりやすい説明をするために、医療スタッフがすぐ近く、あるい は電話線の向こうに控えていることを、保証しなければならない」(p.11)。
9.一貫性
一貫性を保つために「面接の内容をすべて明確に書面で記録しておく重要性」。および他のスタッフを含めて「患者や近親者に話された内容」を 把握しているかどうかの確認もまた必要という。
以上が、ハインドが説く「よき医師」に求められる患者やその近親者に対する「よい」コミュニケーション・スキルのための基礎ないしは留意点であ るという。
【設問】
あなたは宇宙人の人類学者(ジョーンズ*)あるいは〈火星の人類学者**〉であり、まだ〈地球の患者〉を見たことがない。地球の患者に関す る情報はハインドが説く以上のような説明だけしか手に入っていない。この情報から、地球の患者とは、いかなるタイプの人間であるのか、その患者像をまとめ なさい。
議論はグループ討論形式でおこないますが、各人によって個人差が出てくるかも知れません。グループ全体の集合的なイメージの要素の集合(= 家族的類似性)を最終的にまとめることが求められますが、各人がそれぞれ抱く〈地球の患者〉の一体的な印象をきちんとグループのメンバーに披瀝することも グループでの討論作業の際には重要な課題になります。
*日本の飲料缶コーヒーメーカーによるテレビCMシリーズで、Tommy Lee Jones 扮する宇宙人調査員「ジョーンズ」が地球(彼の場合は現代日本)の「奇妙な慣行」に驚きつつ感慨を深めるものがある。
**自閉症者テンプル・グランディンは、自分たちの身の回りにいる健常人の知覚やメンタリティーに違和感を憶 え自分じしんを「火星の人類学者」であると感じる(サックス 1997:284)。
リンク
文献
ハンドアウト資料(この文面と同じものです)
Rincom080610.pdf(約192KB)[パスワードは授業で 紹介しています]
【応用問題】
以下の項目は、同書『医療におけるコミュニケーション・スキル』(チャールズ・ハインド編)のなかにあるスティーヴン・ライアン (Steven Ryan)「子供の先天異常を両親に告げる」(第2章)で報告されているチップス集をそのまま記載したものです(翻訳は邦訳に準拠)。ここから、(1)先 天異常の子供をもつにいたった両親がどのような気持ちの状態にあるのかを類推すると同時に、(地球人の)医療者による(2)「よい」コミュニケーション、 および「悪い」コミュニケーションをどのように捉えているのかまとめてみなさい。
2-1 コミュニケーションにおいて広くみられる医師側の問題点
・患者の話を途中でさえぎる。 ・患者にとって何が大切なのかということに対する配慮の欠如。 ・説明不足。 ・フィードバックを試みない。患者ないし介護者の理解を確かめない。 ・曖昧なあるいは難解な表現で情報を伝える。 ・専門用語を用いる |
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2-2 望ましいコミュニケーションのあり方:患者および親の主だった関心事を以下の方法で聞き出す
・積極的に耳を傾ける。 ・共感する。 ・要点をまとめる。 ・「はい」「いいえ」のみで答えさせる質問をしない。 ・はっきりと説明する。 ・理解を確認し、必要であれば説明を加える。 |
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2-3 両親を満足させる告知のあり方
・質問の機会を与える。 ・告知者と再び会う機会をもうける。 ・情報が理解しやすく、覚えやすく、適切な量である。 ・告知者が思いやりがあり、理解を示し、会話上手で、率直で、人当たりがよく、話しやすい人柄である。 |
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2-4 告知に際して「規範的なあり方」
・専門保健師をともなったコンサルタントによる面談 ・できだるだけ早く(ただし、母親の状態が悪い場合を除く) ・両親ともに。 ・個室で、邪魔が入らないようにする。 ・状態が悪い場合以外は、乳児も部屋に連れてくる。 ・質問のための十分な時間。 ・偏りのない視点。起こりうる問題を網羅したリストなどは用意しない。 ・両親からの要求に対応できる専門の保健師。 ・面談後も両親のプライバシーが保たれること。 ・24時間以内の次回の面談の確保。 |
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2-5 新たに奇形をともなう子供の親に生じうる感情的反応
・望みのないことを避ける。 ・子供の異常なことを嫌悪する。 ・再び子供をつくることについて偏った考え方をもっている。 ・正常な子供をもつという期待を奪われているために喪失感をもっている。 ・奇形児をもったことに対して、怒りや悲しみをもつと同時に、状況に適応している。 ・ショック、罪悪感、とまどい、救いようのない(絶望的な)気持ちをもつ。 |
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2-6 両親における感情的な現れ方
・抑うつ(自信喪失/子供の養育に一貫性を欠く) ・不信(さまざまな医療的見解を求め続ける/よい情報を求める) ・攻撃(他者に対する非難) ・拒否(冷たい、計算された行動をとる/義務的で大げさな養育をし、温かさに欠ける) ・社会とのつきあいを避ける |
この文献:Ryan, Steven. 「子供の先天異常を両親に告げる」『いかに“深刻な診断”を伝えるか』ハインド編、Pp.27-54., 東京:人間と歴史社。
以上の内容に関する講師(池田光穂)の解説
「我々は下図の点線で示された論理(思考)の流れを単に逆に進めているに過ぎない。そのような作業からは、(A)コミュニケーションの実態 はおろか、(B)コミュニケーション能力の本質というものに辿りつくことは、ほとんど奇跡にちかいことがわかる。我々の目の前にあることは、(C)やそれ に関連する断片化され、相互に関係の網目についての手がかりが失われたリストがあるはずにすぎない。我々はまったく違ったアプローチにおいて「よい臨床コ ミュニケーション」についての探求をはじめなければならない。下図の(C)コミュニケーション能力の総体の中に現れる「現場力」が何であるか、それについて探求を開始しなければならない」。
【教員によるコメント】
臨床コミュニケーションにおける反省行為により、改善すべきだとという結論が出たら、いつから、それをはじめるべきでしょうか? とい う質問をしばしば受けます。私の応答は「あなたが必要と思った時点が、ベストプラクティスを実践する時点です。臨床コミュニケーションの反省に、遅いも早 いもありません。仮に対話の相手が死ぬ1秒前であっても、改善できると思ったことを、やるべきであり、私はそれをいささかも手遅れと感じません」と言って います。
臨床コミュニケーションに反省的行為を導入することは、我々の時間概念にストレスを加えることではなく、我々のコミュニケーションに対する時間概念を延長することに繋がるのだと、私は 思っています。