はじめに よんでください

しまっ ちゃうおじさんのこと

Animal metaphor as super-ego in our minds

池田光穂

図像
テキスト
分析・考察・コメント
《省略省略》
1. (表紙)(シリーズ名・クレジット・作者名・しまっちゃうおじさん像)
1. しまっちゃうおじさんは、ブチハイエナの風格をしている。おじさんは目をつむり腕組みしているポーズから「権威主義的パーソナリティ」(アドルノ)が想像 される

2. (内表紙)(シリーズ名・クレジット・左より:ぼのぼの、アライグマくん、シマリスくん・著者名)


3. 朝です。/起きる時間がとっくにすぎたのに、/ぼのぼのは寝坊してなかなか起きられません。/ずうーっとこのまま寝たいと思いながらウトウトします。

「うーん、眠いなぁ」

コンテクストの説明

4. するとどこからかしまっちゃうおじさんが現れました。/「さぁー、朝起きられない子はしまっちゃうよー。どんどんしまっちゃうからねー」/しまっちゃうお じさんはそう言うと、ぼのぼのをどんどんしまおうとします。
岩でできた小さな押し入れの中にしまわれてしまったぼのぼのは、悲しくて泣いてしまいました。/「ぼく、しまわれちゃったよー」

いきなり登場!

5. ぼのぼのが泣きながら起きると、しまっちゃうおじさんは、もうどこにもいません。しまっちゃうおじさんは、どこに行ったのでしょう。とてもふしぎでした。 ついさっきまで、ここにいたような気がしたのに。しまっちゃうおじさんは、ぼのぼのの頭の中にしかいないのでしょうか。ぼのぼのは、しまっちゃうおじさん がほんとうにいるのかどうか知りたくなりました。
しまっちゃうおじさんの「存在」の虚実

6. アライグマくんとシマリスくんに相談すると、アライグマくんは、「しまっちゃうおじさんなんて、いるわけないだろう!おまえの頭の中の空想にしか出てこな いんだよ!」と言います。/シマリスくんは、「いるかいないか確かめたいんなら、しまっちゃうおじさんに何かしまってもらったら?」と言いました。/ぼの ぼのは、「そうか。もししまってくれたら、しまっちゃうおじさんは、ほんとうにいることになるよね」/ぼのぼのは何をしまってもらうか考えます。
・友人(アライグマくんとシマリスくん)たちに相談
・おじさんの虚実についての議論
・弁証法的アイディア

7. ぼのぼのは、つまづき石をしまってもらうことにしました。つまづき石は、ぼのぼのが今まで何度もつまづいてころんだ石です。/そのつまづき石を、しまっ ちゃうおじさんに、しまってもらうようにお願いします。/「しまっちゃうおじさん、しまっちゃうおじさん。このつまづき石をしまってください。お願いしま す」
・おじさんの「功利主義」的利用法

8. でもつまづき石はなくなりませんでした。何日たってもそこにあります。/しまっちゃうおじさんは、どうして来てくれないのでしょうか。それともしまっちゃ うおじさんは、やっぱりぼのぼのの頭の中にしかいないのでしょうか。/ぼのぼのは、なんだかがっかりして元気がなくなってしまいました。
・おじさんが、効力を発揮しないと、それは「存在」しないのと同値。

9. するとどこからか、しまっちゃうおじさんが現れて、「さぁ、元気のない子はしまっちゃうよー。どんどんしまっちゃうからねー」と言いながら、またぼのぼの をしまおうとします。/ぼのぼのは、「待って、しまっちゃうおじさん。どうしてつまづき石をしまってくれないの?」と聞きました。
・しまっちゃうおじさん登場と、ぼのぼのの訴え

10. すると、しまっちゃうおじさんは、「私はそういうことはできないんだよ。キミが自分でやるしかないねー」/ぼのぼのは言います。「どうして?しまっちゃう おじさんはやっぱりほんとうはいないの?ボクの頭の中だけにしかいないの?」/ぼのぼのはなんだか悲しくなって泣きそうになりまた。/しまっちゃうおじさ んは黙ってぼのぼのを見ています。
・おじさんの代替案の提案
・ぼのぼの抗弁

11. 次の日の朝、シマリスくんとアライグマくんがやってくるのが遠くに見えました。/シマリスくんもアライグマくんもつまづき石のところに行きます。いったい なにをするのでしょう。
・不思議な共体験01

12. シマリスくんが言います。「しまっちゃうおじさんがシマリスの夢の中に出てきたのよ。つまづき石をしまってくれないかって」/アライグマくんも言います。 「寝ている時になんか出てきたんだけど、あれがしまっちゃうおじさんか?オレもつまづき石をしまってくれって頼まれたんだよ」
・しまっちゃうおじさんの「仕掛け」に気づく

13. そして森のみんなもつまづき石をしまいにやってきました。
・情景の描写

14. グズリくんも、フェネックギツネくんも、ヒグマの大将も、スナドリネコさんも、おとうさんも。/みんなしまっちゃうおじさんの夢をみたのでした。
・不思議な共体験02

15. それからは、しまっちゃうおじさんのことを話すようになりました。/「あれは誰だろうね」「はじめた見たよ」「いや、オレは前にも頭の中に出てきたことが あるよ」「どうしてしまうちゃうのかな」「ふしぎだね」/それはまるで、しまっちゃうおじさんが、ほんとうにいるようでした。ぼのぼのはそうおもいまし た。
【おわり】

・しまっちゃう、おじさんとは、誰なのか?(審問)


《オリジナル資料にある注記》資料:ZZshimau-mikeda2015.pdf with password

この「臨床コミュニケーション」授業(2015年6 月30日実施)資料は、著作権法により著者の利益を不当に害さない範囲で複製作成されています。そのため、この授業資料の複写や閲覧は、授業目的以外のも のについて、それを行うことを禁じます——(著作権法[(昭和四十五年五月六日法律第四十八号)]第三十五条 学校その他の教育機関(営利を目的として設 置されているものを除く。)において教育を担任する者及び授業を受ける者は、その授業の過程における使用に供することを目的とする場合には、必要と認めら れる限度において、公表された著作物を複製することができる。ただし、当該著作物の種類及び用途並びにその複製の部数及び態様に照らし著作権者の利益を不 当に害することとなる場合は、この限りでない)。

 授業課題

(1)しまっちゃうおじさんとは誰のことか?

(2)「しまっちゃうおじさんのこと」という物語の 存在が、君にもたらす教訓とはなにか?——ここで言う教訓とは「この物語を読んだ/聞いた君が、この物語の後にこれから生きてゆく上で修正や変化をもたら すメッセージ」のことを意味します。

(3)みなさんの好きな/好きだった(あるいは嫌い な/嫌いだった)物語にまつわる個人的なエピソードを、グループのみなさんでシェアしてください。

作者:いがらし・みきお(1955-)

1955年1月13日、宮城県生まれ。漫画家。 1983年『あんたが悪いっ』で、第12回漫画家協会賞受賞。1988年『ぼのぼの』で、第12回講談社漫画賞受賞。『ぼのぼの』は大ヒット作品となり、 映画化、TVアニメ化される。1998年『忍ペンまん丸』で、第43回小学館漫画賞受賞。2010年平成21年度宮城県芸術選奨を受賞

出典:いがらしみきお『しまっちゃうおじさんのこ と』竹書房、2015年

参考資料

「欲動制限、すなわち道徳性という見地から言うな ら、エスはまったくの無道徳であり、自我は道徳的であろうと努めているのに対して、超自我は過度に道徳的であって、しかもその際、エスにしか見られないほ どの残酷性を発揮しうる。注目すべきは、人間は、外界に対する攻撃性を制限すればするほど、それだけいっそう自我理想において厳格になり、したがって攻撃 的になるという点である。通例の見方からすれば、これはあべこべであり、まず自我理想の要求があって、そこにはじめて、攻撃性を抑え込まねばならぬという 動機が出てくるはずである。しかし事実はあくまで今述べた通りであって、人聞が自らの攻撃性を制御すればするほど、それだけいっそう、自我に対する理想の 攻撃傾向は強まるのである。それはちょうど、遷移のようなもの、おのれの自我への向き直りのごときものと言えよう。ありふれた平均的道徳でさえ、離しく制 限し、無慈悲に禁止するという性格をそなえている。仮借ない罰を下す高次の存在という発想は、こうした自我への向き直りから生まれてくるのである」(フロ イト「自我とエス」道籏泰三訳、『フロイト全集(18)』p.56、岩波書店、2007年)。

「超自我は、父親という模範との同一化によって生ま れたものである。この種の同一化には例外なく、脱性化という性格、あるいは昇華という性格さえつきまとっている。とすると、この種の転化が生じる際には、 欲動分離なるものも同時に起こっているように思える。昇華がなされたあとでは、エロース的成分は、追加されたすべての破壊欲動を拘束する力をもはやもって おらず、破壊欲動は、攻撃傾向ないし破壊傾向として野放し状態になる。理想はそもそも、こうした分離の事態から、汝なすべしと命令する厳しく残酷な特徴を 取りこんでくるのかもしれない」(フロイト「自我とエス」道籏泰三訳、『フロイト全集(18)』pp.56-57、岩波書店、2007年)。

「自我はエスと現実を仲介する位置にあるため、余り にもしばしば、おべっか使い、日和見主義者、嘘つきになりたいという気持に駆られる。それはちょうど、すぐれた見識をもちながらも、世論に気に入られるこ とに汲々としている政治家に似ている」(同上, p.59)

■禁止というテーマ

トヨタマヒメは鰐のお姿

「その時夫の君に申されて言うには「すべて他國の者 は子を産む時になれば、その本國の形になつて産むのです。それでわたくしももとの身になつて産もうと思いますが、わたくしを御覽遊ばしますな」と申されま した。ところがその言葉を不思議に思われて、今盛んに子をお産みになる最中に覗いて御覽になると、八丈もある長い鰐になつて匐いのたくつておりました。そ こで畏れ驚いて遁げ退きなさいました」古事記——青空文庫)

● クレジット:しまっちゃうおじさんこと、超自我(S. Freud, 1923)とのコミュニケーションデザイン

資料

リンク

文献


Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099

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