楽しい研究倫理入門
Learning Research Ethics as jouissance
解説:池田光穂
概要:
私は、これまでにいくつかの大学や研 究科に呼 ばれて研究倫理の講演やFDのワークショップをしてきました。多くの講演依頼の背景には、これまで研究不正がおこなわれてきて、当局から指導を受けたた め、その「改善策」の一環であったり、新しく就職した若手教員に「絶対」に研究不正をおこなわない「指導的配慮」にもとづくものであったりしたようです。 研究不正の専門家の中には、これまでの不正の事例を紹介して、こんな悪い手口を使わないようにと注意喚起するものであったようです。私のアプローチは、こ のような不正や処罰の紹介を通して、決して手を染めないようにと「脅す」ものではありません。私の方法は、コミュニケーションが良好な楽しい研究現場で は、不正が起こり難いという至極当然な行為論から出発するものです。楽しい教育・研究環境のもとでは、ハラスメントや不正がなぜ起こり難いのかについて考 えます。下記の私のウェブページもご参照ください。
◎研究倫理入門(ファイル名でリンクします)
◎研究倫理ABC(ファイル名でリンクします)
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略歴:
1980年鹿児島大学理学部生物学科卒業、1982 年大阪大学大学院医学研究科医科学修士課程修了。1989年同大大学院同研究科博士課程社会医学専攻を単位取得済退学。1992-1994年北海道医療大 学教養部助教授、1994-2000年熊本大学文学部助教授、2002-2006年熊本大学大学院社会文化科学研究科教授・併任2000-2006年同教 授、2004-2005年同学部地域科学科長。2005年〜現在まで大阪大学コミュニケーションデザイン・センター(CSCD)・臨床部門・教授。出典:http://goo.gl/JZYutA
学習のポイントです
【研究倫理には顔がない】
「研究倫理はどんな表情をしているのか」ので しょうか?——この問いかけに当惑する人は多いでしょう。研究倫理は研究者が一律に守るべきルールであり、人間的な個性を持っていません。研究倫理は,研 究者を冷酷に見つめる眼なのです。ルールが個々の研究者の立場に応じて変幻自在ならルールと言えなくなるのでしょう?
【研究者には顔がある】
研究者も研究も顔と言う個性をもっています。研
究テーマに類似性があっても,スタイルが違えば千差万別です。しかし,研究倫理は研究の個性や研究者自身の内面的な倫理性を問うものではありません。研究
をどのように行なうのか,行なったのかという手続きや方法を問うものです。そのため,自分では良いと思ったことでも第三者に判断を仰げば不適切となる場合
があります。その時は,研究者は反省し,謝罪しなければなりません。つまり,顔のある研究はon-goingに顔のない研究倫理に照らし合わす必要がある
のです。
【形骸化しないために】
研究者自身が判断し不正を行なわないためには,
まずルールを学ばなければなりません。何が許され,何が許されないかという研究倫理です。しかし,十人十色の研究に対し一律に規則は網羅できないため,研
究者は第三者の判断を待つことなく,みずから己に規則を適応できるように規則の本質を理解しなければなりません。一方,管理側もマニュアル化による形骸化
を防ぐ努力が求められます。
【指導する学生には】
これまでの議論は,一人前の研究者に適応できま
すが,未成熟な学生には困難なことです。それゆえ、学生には2つの視点が必要になるでしょう。
(1)研究不正を犯すと不利益があることを理解し,不正の影響が学生自身だけでなく,指導教員をはじめとしたソサイエティ全体に及ぶことを知ります。
(2)不正に対する誘惑,葛藤に襲われたとき,弱い学生だけで解決しようとしない,相談や打ち明けることを躊躇しないことです。学生と教員のコミュニケー
ションが肝要です。
一方,教員はパワハラ,アカハラが研究不正のトリガーだと自戒し,学生とのよい環境作りを心がけます。端的に言うと,対話があれば,研究不正は防がれる可
能性大です。
この続きは、スライドもある「研究倫理の顔はどんな表情をしているのか?」でどうぞ!
● クレジット:タイトル:楽しい研究倫理入門:研究が楽しい現場でのコミュニケーションデザイン, 室蘭工業大学(Muroran IT)研究倫理FD 2015年3月12日
● フィールドワーク研究の倫理より、課題解決のワークをします!
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