人類学における真実と嘘
『サモアの思春期』とその作者マーガレット・ミード
解説:池田光穂
まず私は読者である君たちに質問したい。ある「事
実」について書かれた情報が正確ではないということが分かった際に、君たちはいったいその「嘘」にどのように対応するだろうか。
我々は、その情報が我々の生活に対してもたらすインパクトに応じて、いろいろな対応をするだろう。もし仮に嘘が確かなものであっても日常生活にさほど困
らない場合、放っておかれる。しかし無害な嘘でも、その情報源に対する私たちの信頼は失われるかもしれない。嘘によりスキャンダルに巻き込まれたりプライ
バシーが侵害されるような最悪の事態になれば、情報を提供した個人や集団を訴え、謝罪や訂正を求めるだろう。
もしここでその嘘が民族誌の中に現われたとしたら、我々はどのようにすればよいのだろうか。もちろん、人類学者が意図的に嘘をつくことは、極めて稀であ
り、実態はむしろデータ解釈における「誤り」がほとんどだ。つまり真偽問題というよりも妥当性に関する論争に展開する性格のものが多い。
一九二八年に初版が出版されるアメリカの人類学者マーガレット・ミード(Margaret
Mead,
1901-78)の若干二〇歳代半ばの処女作『サモアの思春期』は、北アメリカ
の英語圏の大学でもっともよく読まれている民族誌の一つだ。この本は、南太
平のサモアの少女たちがその思春期になんら性的束縛を受けずに自由に性を謳歌している「事実」を報告し、アメリカの青少年たちの思春期の葛藤と非行の問題
を抱えていたアメリカの知識人たちに多大なインパクト与えた。これが本章でとりあげる疑惑の民族誌である。疑問を投げかけたのはニュージーランド出身の人
類学者デレク・フリーマン。ミードは生涯に三〇冊の著作、千本以上の論文を著し人類学に対し多大な知的貢献をおこなった。そしてアメリカ社会が抱える諸問
題に対して常に雄弁に意見表明をしたことで晩年には「世界に向けてのお祖母さん」というニックネームをメディアから戴いていた著名人である。すでに神格化
されていた彼女のフィールドワークとその結論に対するフリーマンの偶像破壊的行為がもたらした論争とその帰結について考えることが、ここでの私の役割であ
る。この論争について考えることは、民族誌における真実と嘘がいったいどのようなものであり、人類学者は「事実」をどのように把握するのかについて考える
ことに他ならない。民族誌調査において、誰の言葉を信じ、何について、どのように書くべきかという、文化人類学者の基本的スタイルにかかわる問題を私は検
討してみようと思う。
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