はじめによんでください

デレク・フリーマンによる「検証」

『サモアの思春期』とその作者マーガレット・ミード

Examination of Derek Freeman on Margaret Mead's Coming of Age in Samoa: a psychological study of primitive youth for western civilisation, 1928.

Source: https://www.loc.gov/exhibits/mead/field-samoa.html

解説:池田光穂

しかしながら、当時のサモアもそれ以前のサモア も、思春期の女性は決して性的放逸におかれていたとはいえないという指摘がデレク・フリーマン(Derek Freeman, 1916-2001)によって1980年代になされた。フリーマン自身の回顧によると、す でに彼は1960年代の中頃から、ミードの記述の誤りに気づき、彼女との文通によってすでにその事実を指摘していたという。しかし、生前のミードは、それ が1925-1926年当時のマヌア諸島の特殊状況であるとして、フリーマンの指摘を決して受け入れることはなかった。

マーガレット・ミードは1978年に77歳の誕生日を1ヶ月残し生涯を閉じた。彼女の死か ら五年後にフリーマンは『マーガレット・ミードとサモア――ひとつの人類学上 の神話における成されたことと抹消されたこと――』という書物を出版し、ミードの調査方法の限界が彼女に誤った結論――サモアの少女たちは性的放逸の状況 にあった――を導いたと主張した。ミードは、すでに死んでこの世にいなかったので、ミードの立場を擁護する人たちがフリーマンの議論に反論をした。この ミード擁護派の主張とフリーマンの間で行われたやりとりは、今日では「ミード<対>フリーマン論争」と呼ばれている。

ここでの最大の問題は、サモアの思春期の少女たちの姿を性的に奔放であるとミードが過度に単純化して提示したことにあるが、なぜそのようなことがおこっ たのか、について考えることが、ここではもっと重要である。この問題に答えようとしたフリーマンの『サモアの思春期』批判は多岐にわたっているが、ここで は主要なつぎの三点の疑惑を確認しておこう。

(1)ミードの調査が、ボアズの影響を受けつつ、サモアの社会環境によって少女たちの気質は性的に奔放になるように決定されているという理論に整合する ように彼女が民族誌の記述を修正したのではないかという疑惑。つまり論点先取(begging the question)のミ ス

(2)ミード自身のデータ――思春期の女性25ケー ス中、異性愛の経験のあるのが12ケース(48%)にすぎない――によって、サモアの少女たちは性的 に奔放と断言できなかったにもかかわらず、ひとつの極端な社会の事例としてサモアの少女期を描写する必要があったのではないかという疑惑。つまり単純な資 料解釈のミス

(3)ミードの調査における重要なインフォーマント (=調査情報の提供者)であったミードと同世代のファアプアとフォフォアという少女たちが1926年3月に2つの島に調査旅行に出かけた際に、彼女たちが 「サモア特有の」性的冗談を言ってミードをからかったにもかかわらず、ミードはそれを真に受けてサモ アの性的放逸の確信を得てしまった。つまり騙されたために事実を誤解したという疑惑。これはミード自身が完全に責任を負うことができないミスである。

フリーマンは1983年からはじまった論争において当初、状況証拠にもとづくミードの誤解――つまり民族誌的には虚偽の情報――について多くの資料を提示 し て議論していた。ここでのフリーマンの批判は(1)と(2)の疑惑に焦点がおかれていた。しかし、1987年11月にファアプアはアメリカ領サモアの行政 関係者――彼はフォフォアの息子でもあった――に対して彼女がミードに「悪い冗談」を言ったことを証言した。翌1988年5月に彼女へのインタビューが映 像記録さ れ、1989年暮れに米国人類学会誌『アメリカン・アンソロポロジスト』にその発言の記事が収載にされるにいたった。

1902年撮影のサモアの少女たち(ファアプアとフォフォアに該当するかどうかは現在調査中です)

ミードがサモアの少女たちが夜に何をするかという質問をした時の状況を、フォフォアの息子がおこなったインタビューの中で87歳のファアプアは次のよう に答えている(丸括弧内は引用者=池田光穂による補足である)。

「彼女(=ミード)が『(サモアの少女は夜になると)どこにいくの?』と聞くので、私たちは 『夜は外出するのよ』と答え、彼女が『誰と?』と聞いたの。そ して、あなた(=インタビュアー)のお母さんのフォフォアと私はお互いにつねって示し合わせて言ったわ、『私たちは男の子と夜を過ごすのよ、そう、男の子 とね!』。彼女は真剣になったようだけど、私は冗談を言っただけよ。あなたも知っているようにサモアの少女は冗談を言うときは恐ろしく嘘つきになるのよ。 だけどマーガレットは私たちのでっちあげを本当として受け入れたようだったわ」。

その後フリーマンは(三)の疑惑をより具体的に明ら かにすべく、ミードのサモアにおける日記や未公開の原稿資料などを調べ、ほとんど一日ごとの行動を再 現した。そして、ミードの民族誌における「誤り」についての研究の決定版とも言える『マーガレット・ミードの致命的な悪ふざけ――彼女のサモア研究の歴史 的研究――』という本を一九九九年に刊行している。この「悪ふざけ」 (hoaxing)には、冗談で人をかつぐという意味が込められており、具体的には2 人のサモアの少女の性的な冗談をそこに居合わせた同年代のミードが、よく確かめもせずにそのまま鵜呑みにしたことを指している。フリーマンによる検証は微 に入り細を穿つものであるが、これほどまでにミードの最初のフィールドワークを念入りに検討したものはない。

もっとも、フリーマンの実証主義づくめのミードの「嘘」の暴露のやり方にまったく問題がないとはいえない。 ファアプアのインタビューがビデオカメラに収 録され、またサモア語のテキストも適切に英語に翻訳されたとしても、今度はファアプアがカメラを前に、私たちに冗談を言っていないという確証はどこにも得 られないからだ。ミードの話が伝聞による誤りであり、映像機械による記録が正確とい うのは、人間の真実について主張するにはあまりにもナイーブすぎる見解 だろう。人に話を聞き、事実を確かめ、さらに質問する人類学のフィールドワークと いう活動は、善意悪意に関係なく常にそのような現地の人たちの「嘘」に よって担がれる可能性を秘めている。それどころかフィールドワークにおいて現地の人に騙される経験を通して、人類学者は「真実」というものの不可思議で捕 らえどころのない経験の深みの中に入っていくことがしばしばある。人類学における真実と嘘というのは、単なる真偽問題に還元されるテーマではなく、十分に 「考えるに価する問題」なのである。

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