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人の身体は物質によって定義できぬ

The human body cannot be defined by matter


池田光穂

「ヒトの身体は洗濯機や自動車とは異なり、また、こ の瞬間に存在する物質によって定義されるものでもない。ヒトとは、さまざまな物質を一時的に使用して多様な活動を行なう複雑なシステムだが、その物質が身 体なのではない。ヒトも含めべての生物は、物質が連続して流入してくるシステムで、入ってきた物質は役割を果たして外にでていく。これは洗濯機よりも、ロ ウソクの炎や水の渦巻きに似ている。ヒトの身体は老朽化を免れることはできないが、進化による適応でそのプロセスに対抗すことができ、たとえば皮膚などの 組織の細胞はつねに入れかわる」(ウィリアムズ 1998:197)

「老化とは、われわれの身体が依存している物質の流 れを正確にコントロールする能力がしだいに低下することを指す」(ウィリアムズ 1998:198)

「年をとること自体が死の原因になることは決してな い。人はみな、進化的適応を壊すような致命的な問題によって死ぬのである。老化は、このような問題によって死にいたる確率をどんどん高めているが、はっき りとした死のプロセスというものはない」(ウィリアムズ 1998:200)

「老化は、完全に成熟するとともに始まる適応力の確 固とした低下であり、すなわち、人間性の避けられない一面である。老化によって死の確率は確実に高まるが、それは、死ぬ年齢に標準があるという意味ではな い。あらかじめプログラムされた「自然の死」、あるいは種に固有の寿命というものはない。死亡率の年齢分布は、進化によって獲得された老化の率と生活環境 の厳しさの相互作用の結果である。人間を含めたすべての種の最高寿命は、この相互作用と観察されるサンプルの数によって決まる」(ウィリアムズ 1998:208-209)。

「老化についての研究は、あまりにも長いあいだ、死 のことしか頭にない生命保険会社の数理担当者たちに牛耳られてきた。老化の正しい研究方法は、個々の大人の生命機能の計測可能な要素について、何年にもわ たって継続的に調べることである。集めるべきデータは死ではなく、死は、データ収集の最後の出来事にすぎない。死亡率は、老化の測定としては、最高に間違った測定値である。それは、個人で測定することはできないし、特定のグループ でさえ測定できない。もし私が、八十歳の人からなる1000人の集団の死亡率を測定したとしても、その同じ集団の九十歳のときの死亡率を測定することはで きない。すでに、そのうちの大勢の人が死んでいるはずだからだ。九十歳まで生きのびた集団で測定した死亡率は、もとの集団がその年齢になったときの正しい 期待値ではないだろう。現在九十歳の人びとは、八十歳になってからさらに10年間生きている。現在八十歳になったばかりの人にも、同じように九十歳まで生 きられるという保証はない。もっとも生存力の弱い人が絶えず除外されていくのであるから、老化を測定するのに保険会社の闘鶏を用いると、重大かつ予測でき ない歪みが生じかねない。死亡率は、たしかに老化という現象を進化させる原因としては重要なものだ。死亡率はまた、進化によって生じてきた老化の速度の影 響も示している。しかし、死亡率は老化そのものの度合いを測るには適切ではない」(ウィリアムズ 1998:209-210)。

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