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コンタクトゾーンとラディカル・オーラル・ヒストリー

Inbetween contact zone and radical oral history

池田光穂

「虚構の物語として語られた出来事を〈事実〉として 聴き取るということ。このいささか危うい姿勢を主張するとき、私は保刈実が『ラディカル・オーラル・ヒストリー』において掲げた挑戦を思い起こしている。 オーストラリア北部のグリンジ・カントリーに分け入って、アボリジニの人々が語る「歴史」に耳を傾ける保刈は、例えば、かつて「レインボウ・スネーク」と いう水を司る大蛇が大雨を降らせ、自人たちの農場に洪水を起こしたのだという語りを聴く。そして、西欧的な歴史学の枠組みの中では決して「事実」としては 受け取られないであろうこの物語を、彼は文字通り「歴史として聴き取るべきではないのかと問う。そこには、土地の人々が自らの歴史を実践する――保刈の言 葉では「歴史する(doing history)――営みがある。それは彼が学んできた科学としての歴史学が前提に置いている枠組みとは、別様の現実感覚に根ざすものである。しかし、そ れを「神話」や「迷信」の領域に排除していくことは、複数の視点が交錯するコンタクトゾーンのリアリティを一方の解釈図式によって整除し、「われわれ」の 世界観に回収してしまうことになるのだと、保刈は訴える。そして、その土地に分け入り、腰を落ち着けて長老たちの語りを聴き取ろうとするとき、レインボ ウ・スネークが洪水を起こしたという出来事が歴史的事実として位置づけられる時空間が確かに存在すると言い放つ」(鈴木 2013:20-21)。

言い方を換えると、コンタクトゾーンは、コロニアル 状況における植民者(支配者)と被植民者(被支配者)の文字通り接触領域であるが、権力的かつ知識的(情報論)に不均衡で非対称である両者が出会う文脈で あり、そのような強烈な文脈の中では、両者の言語行為はそのような文脈(=コンタクトゾーン)に特異的な依存の様相をしめす。つまり、民族誌事実と歴史的検証の間の関係 を不可欠なものとする

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"I should not like my writing to spare other people the trouble of thinking. But, if possible, to stimulate someone to thoughts of his own," - Ludwig Wittgenstein

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