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パノフスキー『ゴシック建築とスコラ学』研究

Study on Panovsky's "Gothic architecture and scholasticism"

シャルトル大聖堂(Chartres Cathedral

池田光穂

テクスト:パノフスキー、アーウィンErwin Panofsky)『ゴシック建築 とスコラ学』前川道郎訳、平凡社、1971年(ちくま学芸文庫版あり)(Gothic architecture and scholasticism / by Erwin Panofsky, New York : Meridian Books , 1957[Panofsky_Gothic_1957.pdf])

ゴシックと いう言葉は本来「ゴート人の、ゴート風の」という意味で、12世紀後半から15世紀にかけてのアルプス以北の建築様式であるゴシック建築から来ている。ル ネサンス期のイタリアの文化人が北方の教会建築様式を侮蔑的な意味合いを込めてそう呼んだのが始まりで、その後、中世風の様式を意味する言葉として使われ た。このようなゴシックの定義は初めから曖昧さをはらんだものであり、そのことが後世にゴシックが再解釈され意味が拡大していった要因になったとの指摘も ある」ゴシック

「建築は「すべての原理をみずからに従属せしめ、これにモニュメンタルな様式を課す」のである」(ランベール 1965:15).

「エミール・マール(Émile Mâle, 1862-1954)が象牙彫刻について語ったつぎの言葉は、程度の差こそあれ、ゴシック美術のあらゆる種類の作家たちについてあてはまるといえよう。「彼らの創造した様式は、彼らが生きていた時代の様式にほかならない。彼らは、大芸術(建築)のすべての技法、習慣を忠実に模倣していたにすぎないのだ」」(ランベール 1965:15-16).

● シュジェの言葉=opus modernum

西暦12世紀初頭にシュジェ(Suger, ca.1081-1151)修道院長が、サン・ドニ修道院の聖堂(Basilique de Saint-Denis)の建築様式(Gothic architecture)に与えた言葉が「オープス・モデルヌム(opus modernum)」。 サン=ドニ修道院長シュジェールは,1137 年から 1147 年頃まで行われたサン=ドニ修道院付属聖堂の改築作業を指揮した修道院長。シュジェは 「代官として修道院の荘園の経営に携わったシュジェは、1122年に41歳でサン=ドニ修道院の院長となると、修道院の腐敗の一掃に取り組むととも に、大規模な改修に着手した。1136年には最初のゴシック建築の聖堂であるとされるサン=ドニ大聖堂の建設を開始し、聖堂は1144年6月11日に献堂 された。……シュジェはまた、『ルイ6世伝』『ルイ7世伝』をはじめとする歴史書を著したが、これはフランスの王室による修史事業の発端であり、これ らは中世フランス史の第1級の史料であると評価」がある:ウィキペディア)。

■パノフキー(Erwin Panofsky, 1892-1968)略歴

1892 ドイツ・ハノーファーの wealthy Jewish Silesian mining familyに生まれる

1910  receiving his Abitur in 1910 at the Joachimsthalsches Gymnasium

1910-1914  he studied law, philosophy, philology, and art history in Freiburg, Munich, and Berlin, where he heard lectures by the art historian Margarete Bieber, who was filling in for Georg Loeschcke.

1914 フライブルグ大学より哲学博士号

While Panofsky was taking courses at Freiburg University, a slightly older student, Kurt Badt, took him to hear a lecture by the founder of the art history department, Wilhelm Vöge, under whom he wrote his dissertation in 1914. His topic, Dürer's artistic theory Dürers Kunsttheorie: vornehmlich in ihrem Verhaltnis zur Kunsttheorie der Italiener was published the following year in Berlin as Die Theoretische Kunstlehre Albrecht Dürers. Because of a horse-riding accident, Panofsky was exempted from military service during World War I, using the time to attend the seminars of the medievalist Adolph Goldschmidt in Berlin.

1919 息子、ヴォルフガング・クルト・ヘルマ ン・パノフスキー(Wolfgang Kurt Hermann Panofsky, 1919-2007)生まれる。

1923 『デューラーのメランコリア:起源と類型 の史的考察』(F・ザクスルとの共著)

1924 『イデア』——『イデア:美と芸術の理論 のために』 伊藤博明・富松保文訳、平凡社ライブラリー、2004年

1926 ハンブルク大学で美術史の正教授。エルン スト・カッシーラ(Ernst Cassirer, 1874-1945)やアビ・ワーブルグ[ヴァールブルク、他にウォーバーグなど](Aby Moritz Warburg, 1866-1929)との親交を深める。

1927 『〈象徴形式〉としての遠近法』 木田元監訳、哲学書房、1993年 新装版2003年/筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2009年

1931 ニューヨーク大学の客員教授

1933 ユダヤ人公職追放を機にアメリカの市民権 獲得を決意

1934 プリンストン高等研究所

1939 『イコノロジー研究』(→"Iconology")

1943 『アルブレヒト・デューラー』/エリー・ランベール(エミール・ベルラの偽名にて)『ゴシック美術』ラルース発行

1951 『ゴシック建築とスコラ哲学』

1953 『初期ネーデルラント絵画』Early Netherlandish painting : its origins and character

1958 ジャン・ジェンペル『カテドラルを建てた人びと』Les batisseurs de cathédrales, per Jean Gimpel, 1958

1964 プリンストン高等研究所退所

1964 『墓の彫刻 古代エジプトからベルニーニに至る変遷』

1968 プリンストンで死去。

***(afterlife of his works)***

1971 『視覚芸術の意味』 中森義宗ほか訳、岩崎美術社〈美術名著選書〉、1971年、新版1981年/『イコノロジー研究 ルネサンス美術における人文主義の諸テーマ』 浅野徹・阿天坊耀ほか2名訳、美術出版社、1971年、新版1987年/筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉(上下)、2002年

1973 『ルネサンスの春』 中森義宗・清水忠訳、思索社、1973年、新版1984年、新思索社(新装版)、2006年

1975 『パンドラの箱 — 神話の一象徴の変貌』 ドラ・パノフスキーと共著、阿天坊耀ほか訳、美術出版社、1975年/『パンドラの函 − 変貌する一神話的象徴をめぐって』 尾崎彰宏ほか訳、法政大学出版局・叢書ウニベルシタス、2002年

1984 『アルブレヒト・デューラー 生涯と芸 術』 中森義宗ほか訳、日貿出版社、1984年

1987 『ゴシック建築とスコラ哲学』 前川道郎訳、平凡社〈ヴァールブルクコレクション〉、1987年/筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2001年

1991 『土星とメランコリー』 田中英道監訳、晶文社、1991年。フリッツ・ザクスル/レイモンド・クリバンスキーとの共著

1993 『〈象徴形式〉としての遠近法』 木田元監訳、哲学書房、1993年 新装版2003年/筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2009年

1994 『芸術学の根本問題』 細井雄介訳、中央公論美術出版、1994年

1996 『墓の彫刻 — 死にたち向かった精神の様態』 若桑みどり監訳、哲学書房、1996年

2001 『初期ネーデルラント絵画 — その起源と性格』 勝國興ほか訳、中央公論美術出版、2001年

2005 『ティツィアーノの諸問題 − 純粋絵画とイコノロジーへの眺望』 織田春樹訳、言叢社、2005年

【用語集】

章立て:パノフスキー、アーウィン『ゴシック建築 とスコラ学』——各章にはタイトルがなくローマ数字の番号のみ。

関連情報

クリフォード・ギアーツのコメント

「北フランスのシャルトルの聖堂は石とガラスででき ている。しかしたんなる石とガラスではなく、それはゴシック建築の大寺院である。しかもたんなる大寺院ではなく、特定の時代に特定の社会の特定の構成員に よって建てられた特定の大寺院である。その意味するところを理解し、それが何であるかを認識するためには、石やガラスの属性以上に、また大寺院に共通なも のより以上に知らねばならぬことがある。すなわち、私の意見では最も重要な点であるが、神・人間・建物の関係に関する特殊な概念もまた理解する必要があ る。それらの概念が寺院の建設を統御したのだから、その結果、寺院がそれらの概念を具体的に表現しているのである。人間についても同様であり、人間もまた 一人残らず文化的所産なのである」(文化の解釈学(I)86-87)。

"Chartres is made of stone and glass. But it is not just stone and glass; it is a cathedral, and not only a cathedral, but a particular cathedral built at a particular time by certain members of a particular society. To understand what it means, to perceive it for what it is, you need to know rather more than the generic properties of stone and glass and rather more than what is common to all cathedrals. You need to understand also --- and, in my opinion, most critically --- the specific concepts of the relations among God, man, and architecture hat, since they have governed its creation, it consequently embodies. It is no different with men: they, too, every last one of them, are cultural artifacts"(Geertz 1973:50-51).


ゴシック(ゴチック)建築で著名なミラノ大聖堂(Duomo di Milano)

リンク

文献


Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1997-2099

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アミアン大聖堂のプラン

CA:放射状祭室(訳語は辻佐保子による)(ランベール 1965:15)

D:周歩廊

MA:内陣

CH:側進側

TrN:翼

PS:南外陣

PN:北外陣

CT:交叉部

PR:西正面