〈ばい菌〉のメタファー
On Methaphor of Evil Germ
——テロリズムの連鎖という病原菌を追いかけて死ん でいったジャーナリストという表象の細菌 学者たちに捧げる
——「『ユダヤ菌』の発見は世界の一大革命だ。こん
にちわれわれが戦っている戦争は、じつは前世紀のパスツールやコッホの戦いと同種のものなのだ。いったいどれほどの病気がユダヤ菌によってひき起こされて
いることやら。……ユダヤ人を廃墟すればわれわれは健康を取り戻せる」『ヒトラーのテーブル・トーク』1942年2月22
日.
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我々は隠喩という想像力を抜きにしては生きてはいけ ない。つまり感染症にまつわる様々な社会 的現象においても隠喩の力が作用している。隠喩の呪縛から解放されるためには、(1)隠喩から自由になる、(2)自らも隠喩を駆使しながらも隠喩の作用に つねに自覚的になる、という2つの処方箋が考えられる。筆者の立場は、隠喩から自由になれるという幻想をもつことを放棄しながらも、希望を捨てずに後者の 立場をとるものである。感染症の爆発は社会的意味の爆発にほかならない。したがって感染症を征圧管理する制御システムは、意味を制御する社会システムの発 達を不可欠とする。
〈ばい菌〉駆除法
今や懐メロどころか記憶に残る人も少なくなったかも 知れないが、地中海の軍事政権の小国が舞 台の名画に『Z』(1969年)がある(1)。
フランスの俳優イヴ・モンタン扮する民主運動のリー ダーZ氏が危険を冒して政治集会に臨み、 右翼の暴漢に殴打され死亡する。物語の後半は、民族楽器を使った音楽をバックにテンポのよい映像が続いてゆく。未来を約束された法律エリートである予審判 事が、カメラマンの助けを借りながら当局の隠蔽工作に屈することなく事件の真相究明をおこない、ついには軍事政権の上層部の逮捕までにいたるのだ! ヒー ローの予審判事が迎える結末はまだ観賞されていない読者の楽しみのために沈黙しておこう。
さて、この映画の冒頭は、軍事政権の農務次官が、農 作物のぶどうの病害ベト病(糸状菌の寄生 による)の猛威について語り、〈病害=ばい菌〉の防御について疫学に基づくボルドー薬剤液の散布のキャンペーンの説明から始まる。続いて憲兵隊司令官がそ れを受けて今度は〈思想の病害〉の駆除も同じ論理でおこなうべきだと熱弁を振るう。このシーンは抑圧的権力のまがまがしさを伝えて、見事な映像だと感じる 瞬間である。〈思想の病害〉は冷戦期における共産主義をさしている。権力の側からみる思想弾圧を表現するには、作物にはびこる〈ばい菌〉制圧の喩えがぴっ たりなのだ。
パスカルの時代だったら人間の条件は〈考える〉だけ で十分だったかもしれない。しかし現代の 我々なら「人間は考え、かつ行動する葦である」と定義するはずだ。全体主義や軍国主義は人びとに「深く考えるな」と教える。しかしこれらの制度にとっては 考えること自体はそれほど問題ではなく、考えたものが結果として行動を生みだしてしまうことのほうを憂慮する。思想犯の頭の中が実際に赤く染まっているわ けではないからだ。社会変革のスローガンはたわいがないかもしれない。しかし、その扇動によって引き起こされる民衆の行動は、政権打倒の危険性と直結す る。このような恐怖が前倒しに思想犯を検挙するという行動に駆り立てる。社会運動家は軍事政権にとって邪魔な〈ばい菌〉となる。行動を生むための種 (germ)となるもの、それが社会運動のイデオロギーであり〈ばい菌=germ〉なのだ。
メタファーの使い方
文化記号論では前節の例を次のように解説する。〈ば い菌〉はその政権にとっての危険思想(あ るいはその主張者)のメタファー(隠喩)であると(2)。事物としてはお互いに相互に 関係がなくても、それらがある意味の体系の中における意味づけが類似 している時、それらを隠喩関係にあるという。例えば、王様の隠喩表現としてライオンが使われる時、それは人間の王と動物の王の類似性を指し示しているわけ だ。王とライオンは同じものではない。他方、王の権威の象徴たる王冠や杖のように身体の部分であったり延長上に位置づけられるものはメトニミー(換喩)と いう。
アメリカの批評家スーザン・ソンタグの名著『隠喩と しての病い』は、主として欧米社会におい ては、その時代を規定した典型的な病いというものがあり、それらは隠喩として機能する固有の意味があったということを主張している(3)。病気の隠喩と は、病気がどのような経過をたどるのかという観察的事実が、その時代の治療法などとの関連の中で、人びとの社会的想像力による変換の結果、ステレオタイプ として固定化してしまう。しかし、それは時代や社会によって変化する。ソンタグによると隠喩はなによりも治療法の確立により、その意味を大きく変質させて ゆくという。王様がおとぎ話か過去の遺物になり、ライオンはその獰猛性の象徴よりも動物保護の対象になった現在、王とライオンの隠喩関係の説明を子どもに する際に苦労してしまうのは、隠喩が時代や社会によって変化するという事実の証であるように思われる。
隠喩に関する学問はもともと修辞学から発達してき た。洋の東西を問わずメタファーを操作する 技芸に精通することは知識人にとって重要であった。修辞(レトリック)と言うと何か人を言いくるめる悪知恵のように思われるが、感動も扇動も言葉の使い方 により人びとを行動に駆り立てる技芸であることを教え、言葉によって〈動かされる対象〉になるのではなく、言葉を使い人を動かす〈主人〉になることを教え るのが本来の修辞学(レトリック)である(4)。しかしながらソンタグは、レトリックが産出する政治的なるものに辟易している。〈本物の病気〉に直面し、 隠喩がらみではない病気の客観的理解へと我々を向けさせる。従って、彼女の議論は病気の隠喩を解きほぐし、時代や社会によって、異なった隠喩に絡み取られ る病気像を〈反証〉として提示することで、病気の隠喩がもたらす政治性から自由になろうとする、啓蒙主義的アプローチをとるのだ。
意味連関の体液システム
〈隠喩としての病い〉ではなく〈隠喩の病い〉から自 由になろうとするソンタグの処方箋は、し かしながらいまだ対症療法にとどまっている。なぜなら、もし病気の隠喩を全体論的に問題化するのであれば、病気の住処たる身体や病気の原因(=病因)の隠 喩のありようも射程にいれて、それとの相互連関を治療の範囲にしなければならない。つまり隠喩の公衆衛生や、〈隠喩の病い〉を予防する生活習慣全体の改善 を試みなければ、病気と病気にまつわる隠喩を根絶したとは言えないからだ。だがそんなことは本当に可能なのだろうか。
病気に直面する身体に関する隠喩の文化人類学的研究 がある。エミリー・マーチンは『フレキシ ビリティ──ポリオの日々からエイズの時代までのアメリカ文化における免疫性の役割』(1994年)という興味深い著作において、1950年代以降のアメ リカ合衆国における免疫概念が、どのような大衆化を遂げたかについて、専門家ならびに非専門家へのインタビュー調査、科学的読み物の分析等を駆使して明ら かにしている(5)。著作のタイトルにあるように、フレキシブル=柔軟な身体は、現代の北アメリカにおける身体のあり方を表現するものである。それは、外 部から要請された身体のあり方についての隠喩的表現であると同時に、人々が受容しつつある身体の表象でもある。例えば、免疫学における身体の防御機構の説 明のように、身体はさまざまな外部からの個々の侵襲から身を守るために柔軟に対応することを要求される。それは身体の外部へも伸展してゆく隠喩である。 ちょうど会社組織が雇用者調整をして、不確実な経済環境を生き残ったり、解雇された労働者が次の雇用機会を生かしたりしていけるように。柔軟な身体=世界 観は、我々に可能性を付与するが、同時に我々をかえって弱い存在に陥れる可能性も持つ。そして、柔軟な身体のあり方は、別の局面では柔軟ではない古典的 な、それまでの疾病観や健康観への挑戦となる。健康の本質主義に代表されるような柔軟ではない他者表象への挑戦でもあるからだ。
健康の本質主義とは次のようなことを意味する。人び とが病気の脅威におののいていた時、健康 とは〈病気のない状態〉という消極的な意味に留まっていた。やがて、病気発症のメカニズムが解明されるにつれて、〈病気のない状態〉を維持することができ るようになった時、健康の意味はより積極的な意味を持ち始め、病気のない状態つまりゼロ状態から、〈より強度のある健康=ポジティブヘルス〉という概念へ と進化したのだ。病気のゼロ状態を健康と理解する論理から見れば、強度のある健康という概念は虚構である。このような健康を強度で測定できると考える研究 者は、健康という真実が実在するという意味で健康の本質主義者と呼ぶことができる。
長々と感染症と関係のない話をしているようだが、実 はそうとも言えない。言うまでもないが感 染症の流行にまつわる様々な人びとの反応は社会現象である。科学的認識から政治的現象にいたるまで、およそ社会に関わるものには、さまざまな隠喩が存在 し、我々はそのような隠喩の操作を通して事物の正確な把握を試みようとしている。そして、それらの結果をもとに〈適切な行動〉を起こそうと画策しているの が現在の我々であると、言いたかったのだ。たとえそれが未来の人たちに〈必ずしも適切ではなかった〉と判断されようとも。
感染の政治学/政治の感染学
もし仮に、今日のさまざまな感染症の流行が、悪の枢 軸や国際的陰謀組織の仕業つまり生物兵器 によるものであったとしたら、世界保健機関(WHO)は国連の安全保障理事会に対して、原因と思しき組織の研究所への武力行使を要請するだろうか。そのよ うなことは二重の意味であり得まい。まず国際保健に関わることは(人間の安全保障という新奇な概念はさておき)武力による安全保障とは無関係である。次に 世界保健機関の〈武器〉はさまざまな医学的手段であるからだ。従って、地球レベルでの流行や、未知の危険な感染症の登場の際には武力という手段ではなく、 寄生虫学、微生物学、ウイルス学、分子生物学などの基礎生物医学、臨床医学、そして公衆衛生学や疫学などの社会医学によるさまざまな科学的手段を講じるの である(6)。
科学者たちがおこなうことは、流行病の因果関係を時 系列に沿って遡及しながら、病気が誰に よってどのような形で広がっていったのかということを多角的に究明することである。これは、ソフトウェアのプログラムを再現するために逆アセンブラ解析を おこなう作業に似ている。再現されたプログラムが〈不自然な振る舞い〉をしていることを発見した時に、それが偶然ではなく人為的な拡散であることを公表す ることがあるだろう。だがその時もまた医学者たちは火器を手にするのではなく、情報機器という武器を使って戦争する。それは政府広報やインターネットによ るさまざまな事実の開示とそれぞれのレベルにおける防疫法の助言が含まれる。人びとの不安は、今日では感染症に伴う危険な合併症である。冷静で正確な情報 が、そのような不必要な不安を軽減する。バイオテロの可能性も含めて医学研究者の情報公開の優先は不可欠である。
【A】【病気の流行を予測しながら、適切に社会に対 して警告を発しないものは、一種の不作為 による病気の蔓延に荷担することになる。もちろん、病気流行の現実は理論が教える以上に不確実であり、ほとんど何も対策しない助言から、簡単に流行病制御 以外の社会統制と見まごうばかりの管理規制までさまざまなものがある。そこでは研究者は、単に学問の良心に従うだけでは不十分で、社会不安を起こさないよ うに慎重にかつ誠実に情報公開することが求められる。】今日では正義は情報を公平に開示する者にある。
学問としての公衆衛生学は〈新しく登場した感染症〉 により再び活力を取り戻している。あるい は新たな活力を得つつある。感染症と闘うことは、人びとの福利と世界の平和に貢献するからである。生物医学的〈聖戦〉の概念が我々の日常生活に少しずつ定 着してゆく。もちろん、この聖戦は世界戦争のように国際的な協調を呼びかける社会効果を生んだ。と同時に、患者の自助グループの形成や政府の救済措置への 政治的な動きなど地域社会においても、さまざまな世界再編の機会をもたらしている。
今日では感染症について考えることは、現代社会でお こるほとんどすべての科学現象・社会現象 に関連づけて説明することができる。それはノーベル賞をめぐる科学者たちのレースという極めて微細な科学社会学のエピソードから、環境異変の人為的原因 や、地球の温暖化防止の国際協調の提唱や、防疫活動を阻止する国家の情報公開の未成熟さへの国際的糾弾というなまなましい国際政治の現場まで拡がってい る。グローバルレベルな感染症問題は、芋蔓式(今日ではリゾームという格好いい用語がある)に個別の微細な問題に繋がっている。感染症を論じることは現代 政治を論じることであり、またそこで議論されている政治原則は、〈地球サイズにおける防疫〉という国際政治の理念の世界的な流行そのものを意味する。ただ しこれは奇妙な言い回しでもある。本来防疫とは地球上に境界を区切り検疫により、その境界を管理することである。したがって境界のない地球サイズにおける 防疫という表現は形容詞と指し示される名詞の意味が矛盾する、いわゆる撞着語法なのだ。
感染症の文化的取り扱い方について:結論
今日における感染症の流行という社会的現象に着目し ている文化人類学者はすくなくとも4つの 以下のような項目について気づいているはずだ。
(1)「人類は感染症を征圧した」という神話の崩壊
新しい感染症の登場と、その征圧プロセスの初期にお ける初動ミスによる感染の拡大などのエピ ソードは、現代人に対して生物医学による勝利という神話への信頼感を低下させている。しかし現代人は、それに代わる有効な手段を手に入れるまでは、すでに 手法が確立し、その信用もいまだ失墜していない隔離や消毒というルーティンワークを継続しておこなうことを再認識している。
(2)科学的新知見に対する社会的要求度が向上しつ つある.
新しい感染症への対策は、個々の人間の認知や行動、 個人や集団の感染の条件、細胞生物学レベ ルでの様子、遺伝子レベルでの様子に関する知見を要求する。病気の征圧のためには、人びとは巨大なコストがかかることを覚悟している。
(3)国際的な協調体制への公的認知が登場した
国際世界に通用するための迅速な対応や情報公開は新 しい感染症対策には不可欠であるという認 識が急速に広がった。このトレンドは国際的な感染症対策への財源を確保したり、あるいは公正さの維持を前提にした各国の経済的負担の必要性をしぶしぶなが ら認めるという社会的傾向を増加させた。
(4)相互に関連する新しい統治の概念の理解が重要
社会的征圧という観点から見る人たちには、病気を征 圧する過程は確率論として理解している が、病気の危険性に晒されている人たちはゲーム論(リスク論)で病気に立ち向かう。※加筆【B】【当事者にとって病気になる時は何パーセント罹るのではな く、罹るか罹らないかであり、何パーセント死ぬのではなく、死ぬか死なないかである。つまり罹らず死なない運命が訪れるように対処行動がとられる。他方、 病気を社会的管理する人たちにとっては、一人でも犠牲者が少ないほうが〈よい対策〉であり、社会防衛では〈多くの命〉と〈死にゆくある一つの命〉が秤に懸 けられ、前者が優先される。つまり病気を理解し、病気に対して適切に対処する基準は、管理される当事者と管理する為政者(公衆衛生学者も含まれる)】とで は180度その方向性が異なる。
しかしながら、前節で述べたように流行病の管理対策 において市民に対して情報公開を優先する 考え方の登場は、もはや社会防衛の論理は万能のツールではなくなり、使い方次第では管理権力そのものに息を止めてしまうような事態を生む。このような現象 は、何をもって病気を征圧管理しているのかという意識の違いを明らかにするだけでなく、それらを調停するような病気征圧の論理すなわち社会に関する統治の 概念(7)を変更させる。
さて冒頭の映画『Z』のエピソードに戻ってみよう。 ぶどうの葉に寄生する糸状菌によるベト病 (葉がベトベトになるのがこの名の由来)は、硫酸銅液と生石灰を微妙にブレンドしたボルドー液の散布による殺菌作用で防ぐことができる。このボルドー液と は、ワインで有名なフランスの地名に由来する。1885年にボルドー大学で殺菌作用が確認されてやがて世界中にその使用法が流行するのだが、ボルドーの農 園主たちはこの液をベト病のために利用していたのではなかった。度重なるぶどうの盗難に業を煮やした彼らは、盗難防止のためにこの液をぶっかけていたの だった.
予期もしない事件と対策が、まったく期待とは関係の ない新しい効果を生んだというのは、どこ か今日の感染症対策の話と似ている。読者は「ははん、これも隠喩というのか?」と思われるかもしれないが、残念ながらこちらはアレゴリー(寓意)やミメー シス(模倣)という議論の系列に入るのだが、紙幅が尽きてしまった。感染症は文化的に分析するには素材が豊かすぎるからである。
[7]図版:なし
[8]資料文献
脚注
(1)C.コスタ=ガヴラス監督『Z』DVDビデ
オ、東北新社(1969)
(2)E.リーチ『文化とコミュニケーション』紀伊國屋書店(1981)
(3)S.ソンタグ『隠喩としての病い』みすず書房(1982)
(4)T.イーグルトン『文学とはなにか』岩波書店(1985)
(5)E.マーチン『免疫複合』青土社(1996)
(6)日経サイエンス編集部編『世界を脅かす感染症とどう闘うか』日経サイエンス社(2003)
(7)M.フーコー「統治術」『フーコー思考集成VII』pp.246-272、筑摩書房(2000)
●特別付録(渡辺栄一郎、角川文庫版『Z』あとが き、より)
1941-1944 1941年4月6日ナチスドイ ツはギリシア、ユーゴスラビアに侵攻、1944年10月まで続く
1942 10月12日レジスタンス、ゴルゴパトモ ス鉄道の鉄橋破壊。左派EAM=ELAS(ギリシア国民解放戦線)と右派EDES(民主国民同盟)の共同作戦。
1943 9月イタリア軍が連合軍に対して降伏。
1944 夏、EAM=ELAS(ギリシア国民解放 戦線)臨時政府樹立。
1944 10月ドイツ軍はギリシアより撤退。イオ リオス・パパンドロウ連合政権が樹立、アテネに凱旋。EAM=ELASが武装解除に応じなかったために、パパンドロウ連合政権は3週間後に崩壊。
1944 12月3日アネテ内戦。EAMは、アテネ とサロニカ以外での覇権を確立。
1945 1月11日EAMとイギリス軍=ギリシア 王党派の間に休戦協定
1945 2月バルキザ会談にて、EAMはゲリラ武 装解除に応じる。
1945 9月ジョージ2世復位。
1946 4月1日ジョージ2世死去、弟ポールが王 位継承。ソビエトの影響を受けた地下共産ゲリラの武闘闘争がはじまる。
1947 3月12日トルーマン・ドクトリンによ り、アメリカ合衆国、財政ならびに軍事援助の決定。
1947 年末、左翼政権北部山岳地帯に軍事政権樹 立
1949 ユーゴスラビアのソ連から離脱により、左 翼政権打撃をうける。
1949 10月16日左翼政権、中央政府に敵対行 動の中止を声明。
1951 5月アレクサンドロス・パパゴス将軍は軍 職を辞し、政党「ギリシア集会」(ドゴールのフランス国民連合をモデル)を結成、党首につく。
1952 11月政党「ギリシア集会」圧勝。首相就 任
1955 10月4日パパゴス首相死去。コンスタン ティノス・カラマリス首相に就任
1956 2月19日女性参政権のもとでの総選挙。 カラマリスEREを率いて勝利。165/300議席。
1958 3月新選挙法をめぐり政変、カマリス辞 職。5月総選挙、カラマリス復帰。172/300議席。キプロス領有問題浮上。
1959 2月カラマリスとトルコ首相アドナン・メ ンデレスがチューリッヒで会談。キブロス独立に合意。
1961 10月29日総選挙。176議席で勝利 (不正選挙と言われている)。
1962 中央連合党のパパンドレオは、前年の不正 選挙キャンペンを開始。あわせて、国王弾劾。
1963 5月ドゴール大統領訪問。5月22日グレゴリオス・ランバラキスがサロニカで暴漢により三輪トラックで轢き殺され る。グレゴリオス・ランバラキスが小説『Z』のモデルと言われる。
1963 6月11日カラマリス内閣の総辞職。パパ ンドレオ首相に就任。
1969 9月バシリス・バシリコス、小説『Z』を
バランタイン・ブックスより出版。
《クレジット:初出》
感染し爆発する〈意味〉:感染症の文化的取扱い方に ついて、『科学』Vol.74, No.8 (2004年8月号)、Pp.970-974、岩波書店、2004年8月、その後、加筆増補されて下記の書物に収載された。
『看護人類学入門』[単著]265pp.,
文化書房博文社、2010年4月
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