はじめによんでください

出コペンハーゲン記

Exodus from the Copenhagen interpretation

"エジプト第七の災い"、ジョン・マーティン、1824年

池田光穂



コペンハーゲン解釈 v.s.  多世界解釈




「コペンハーゲン解釈という言葉は、 1955年にハイゼンベルクによって初めて使われた。ハイゼンベルクは、量子力学には1927年から統一さ れた解釈があると論じ、そのような認識が拡散したが。しかし、実際にはコペンハーゲンでボーアに影響を受けた者たちの間でも解釈にはかなり不一致がある。この言葉 が広まった後に、様々な論者が様々な観点をコペンハーゲン解釈に結び付けた。アッシャー・ペレスは2002年に、コペン ハーゲン解釈の意味は論者ごとに異なり、ときには正反対の定義が提示されると記した。コペンハーゲン解釈はまた、量子力学を数学的に整理したフォン・ノイ マンの考え方、およびその計算手法に従うという意味で用いられる場合もある。これには単に計算できればいいという道具主義的な立場を含む。デヴィッド・ マーミン(英語版)は1989年に以下のように記した。「コペンハーゲン解釈を一文で要約するように言われたらこうなるだろう。『黙って計算しろ!』」。 ボーアやハイゼンベルクらの解釈を「コペンハーゲン解釈」、ノイマン流の考えを根幹とした解釈を「標準解釈」と呼び分ける場合もある。ノイマンが1932 年に行った定式化は、1)量子系と観測者(観測装置)を分離する。2つの境界はどこに引いてもいい。2)量子系の状態は、観測していないときはシュレディ ンガー方程式に従う、3)観測により波動関数が収縮して、1つの測定値が得られる4)どの測定値が得られるかは確率的であり、ボルンの規則に従う、という ものである」日本語版ウィキペディア;「量子論クロニクル」)

紀元前400年 デモクリトスによる原子 概念の提示。エピクロスがこの概念を進展させた。そして詩人ルクレチウスが未完の詩 De Perum Natura(ラテン語訳?)で不滅なものとした。

1690 ホイヘンス、光をエーテルの中 を伝播する波とした

1704 ニュートン、光を粒子とみなす

1853 オングストローム、水素スペク トルを観測

1869 メンデレーエフ周期表を導入

1871 アーネスト・ラザフォード生ま れる

1879 アルバート・アインシュタイン 生まれる

1881 JJ・トムソンが電荷は質量を もつと提言

1883 イェニ・ボーアうまれる

1885 パルマーが水素スペクトルにつ いて公式を導入。ニールス・ボーア生まれる。

1887 ハラル・ボーア生まれる。

1897 JJ・トムソン電子を発見

1900 ヴォルフガング・パウリ生まれ る。プランクによる黒体輻 射の法則(→量子革命の始動)

1901 ヴェルナー・ハイゼンベルグ生 まれる

1903 ニールス・ボーア、コペンハー ゲン大学に入学

1905 アインシュタイン、光子仮説を 提唱。特殊相対論の第1論文を書く。第2論文でe=mcの2乗を導入。

1906 アーネスト・ラザフォードがア ルファ粒子の散乱実験

1911 ラザフォードが原子の核モデル を提唱

1913 ボーア、水素の量子論に論文を 完成。ベーター崩壊が核反応であることを示し、相補性の原理を準備。

1914 フランクとヘルツの実験によ り、ニールスの量子跳躍の仮説が検証される。

1916 シュタルク効果の理論(エプ シュタインとシュヴァルツルト)

1917 ボーア、理論物理研究所の設置 を大学に要求

1918 ボーア、相補性の原理を構築

1919 ラザフォードが元素の人工的な 転移を観測

1921 コペンハーゲン大学に理論物理 学研究所(現、ニールス・ボーア研究所:Niels Bohr Institute)ができる。

1922 ニールス、ゲッチンゲンでハイ ゼンベルグとパウリに会う。ニールス「原子の構造と原子からの放射に関する研究」でノーベル物理学賞を 受ける。

1923 アインシュタインがコペンハー ゲンを訪問。ルイ・ド・ブロイが物質の波動と粒子の二重性を記述。

1925 パウリが排他原理を提唱。ハイ ゼンベルグが量子力学についての第1論文

1926 シュレディンガー、波動力学に ついて第1論文。ディラックがコペンハーゲンでQED(量子電磁力学)について第1論文を書く。

1927 ハイゼンベルグ、不確定性原理 の論文を発表(→イタリアのコモでのボーアの発表:相補性の概念と 「コペンハーゲン解釈」の)。アインシュタイン は、量子力学に対する反論を表明。ボーア「相補性(complementarity) 論」

1929 ボーアの研究所が初めて国際会 議を主催。

1933 ナチスドイツ公務員法、人種や 政治的理由で職員を解雇できることが可能になる。

1934 人工放射能が発見

1935 アインシュタイン、ポドルス キー、ローゼン、EPRパラドクスの 論文を書く。ニールスはそれに反論。

1936 ニールス、複合原子核の理論を 創始する。

1937 ラザフォード死亡

1938 理論物理研究所、加速器部門を 発足。ニールス、相補性の原理と人類の文明についてのエッセー

1939 中性子線をウランに照射すると バリウムができることを発表(ハーンとシュトラスマン)

1940 フリッシュとパイエルスが核兵 器の実現可能性を報告。ドイツがデンマークを占領。

1941 フランクリン・ルーズベルトが マンハッタン計画を許可。

1945 ドイツ降伏、広島と長崎に原爆 が投下、日本降伏

1952 ニールス、CERN(セルン) 理論グループの初代リーダーになる

1955 アインシュタイン死亡。コペンハーゲン解釈(ハ イゼンベルグ)——ひとつの解釈をのぞいて、他の解釈(=世界存在)を無理やり捨ててしまうこと。

1957 ヒュー・エヴェレット3世が、 「量子力学の相対状態定式化」を提唱(→多世界解釈)(→量子宇宙論)

「量 子力学において波動関数はシュレディンガー方程式に従い、決定論的な時間発展をする。標準解釈であるコペンハーゲン解釈では、観測により波動関数が収縮することで、確率的な結果が現れる波動関数の収縮はシュレディンガー方程式には従わない。 一方で多世界解釈では、波動関数の収縮は起こらず、常にシュレディンガー方程式が成 り立つと考える。シュレディンガー方程式の時間発展により多様な重ね合わせ状態が生じるが、多粒子の相互作用によって各状態は干渉性を喪失 し(デコヒーレンス)、複数の世界に分岐していくと考える。 多世界解釈では波動関数を実在するものと捉え、したがって波動関数が示す重ね合わせ状態も異なる世界として実在すると考える。このように多世界解釈は実在 主義の立場である一方で、コペンハーゲン解釈は観測されない背後の存在については語らず、観測結果を予測できればいいという実証主義である[1]。 シュレディンガー方程式の時間発展を俯瞰する立場からすると、分岐する全ての世界の重ね合わせに相当する量子状態は初期状態から一意に決定されるので、多 世界解釈は決定論である[2]。一方で、重ね合わせ状態に対して測定を行うと、異なる測定結果が得られる世界に分岐するので、各世界の観測者にとっては非 決定論的である[3]。多世界解釈でのボルンの確率則の考え方にはいくつかの流儀がある[4]。 多世界解釈は、宇宙全体が瞬時に分岐するというように非局所的に記述することもできるし、あるいは世界の分岐を光円錐の内部だけで進行する局所的な過程と して記述することもできる[5][6]。後者の考えに立てば、EPR思考実験で生じるような非局所性を排除できる[5]。」

[量 子]デコヒーレンス, Quantum decoherence】=修復不可能性「シュレーディンガーの猫の問題で、デコヒーレンスによる干渉の消失と同時に、波動関数の収縮が生じてどれか一つ の固有状態が選ばれる(射影仮説が適用される)という解釈がある。 デコヒーレンスは外部環境からの熱揺らぎなどが主な原因である。これによって、本質的には「シュレーディンガーの猫」パラドックスは解決できると考える研 究者は多い。つまり、猫のようなマクロな系は本質的に孤立系とはなり得ず、常に外界からの揺動を受けている。その揺動は猫の波動関数を収縮させ、その結果、箱の中において猫の生死は観測前に既に決定している、ということである。 注意すべき点は、デコヒーレンスは各状態の干渉性をなくすが、どれか一つの固有状態を選び出す訳はないので、デコヒーレンスだけで波動関数の収縮が説明できるわけではないことである[1]。波動関数の収縮には射影仮説が必要である。 一方で多世界解釈では、波動関数が収縮しないため、デコヒーレンスにより状態間の干渉性がなくなることさえ示せればいい[2]。 ただしデコヒーレンスによって系の干渉性は十分に小さくなるが、完全に0になって古典(混合)状態へと移行する訳ではないので、あらゆる物理的状況に適用できるほど、デコヒーレンスについての説明が成功している訳ではない。 この「外部環境」は必ずしも空間的に外側である必要すらないとされている。量子デコヒーレンスは現在では量子コンピューターの実現への障害としての関心が強い。」

1958 パウリ死亡

1964 ジョン・ベルは、量子力学の予 測と合致するような隠れた変数理論はすべて非局所的であると発見(ベルは翌年『量子力学の数学的基礎』 1932)の「隠れた変数理論」の可能性を排除する証明をおこなう)。

1965 コペンハーゲン理論物理研究所 が、ニールス・ボーア研究所に名称変更

1975 オーアが、原子核の集団運動模 型によりノーベル物理学賞を受賞

1976 ハイゼンベルグ死亡

2002 Quantum probabilities as Bayesian probabilities. Carlton M. Caves, Christopher A. Fuchs, Ruediger Schack Phys. Rev. A 65, 022305 (2002) [→量子ベイズ主義]

2022 ノーベル物理学賞「量子のもつれ」=複数の対象物(電子)を考える時には、個別にその状態を決めることはできない

「2 つの光の粒などの量子がお互いにどんなに遠く離れていても片方の量子の状態が変わると、もう片方の状態も瞬時に変化するという、「量子もつれ」=エンタン グルメントの現象が実際に起きることを実験を通して示」し「ツァイリンガー教授はこの「量子もつれ」という現象を利用すると、ある情報を量子に埋め込み、 それを離れた場所にあるもう一方の量子に瞬時に伝えることができる、「量子テレポーテーション」という現象が起きることを実験で示し」た。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/nobelprize/2022/physics/article_12.html

量 子もつれ(りょうしもつれ、英: quantum entanglement)は、一般的に「量子多体系において現れる、古典確率では説明できない相関やそれに関わる現象」を漠然と指す用語である。しか し、量子情報理論においては、より限定的に「LOCC(局所量子操作及び古典通信)で増加しない多体間の相関」を表す用語である。後者は前者のある側面を 緻密化したものであるが、捨象された部分も少なくない。例えば典型的な非局所効果であるベルの不等式の破れなどは後者の枠組みにはなじまない。どちらの意 味においても、複合系の状態がそれを構成する個々の部分系の量子状態の積として表せないときにのみ、量子もつれは存在する(逆は必ずしも真ではない)。こ の複合系の状態をエンタングル状態という。量子もつれは、量子絡み合い(りょうしからみあい)、量子エンタングルメントまたは単にエンタングルメントとも よばれる。

2023 

※この年譜の基本は、ジム・オッタヴィア ニの著作(Pp.308-313)に準拠し、その後様々な資料から追記しています。

用語解説

リンク

文献