はじめにかならずよんでね

日本の軍隊

Anthropological Studies on Japanese Military Organization

池田光穂

飯塚浩二によって1950年末に東大協同組合出版部 から出版された『日本の軍隊』は、二部形式から構成されている。第1部は「討議の形式による共同研究の記録」と第2部「概括的な粗描」である。第1部は、 当時にしてはめずらしい、飯塚を含めて、日本の軍隊経験がある参加者たちによる総合討論の記録である。

さて、日本帝国の軍人で、前線で精神病を発症し、戦 後長く精神病院に入院していた人たちの多くにインタビューをとると、軍隊経験は「いつもなぐられていた」という(吉永 1987)。ECF(極端な事例による構成)であるかもしれないが、その発症と被害経験とは無縁ではないだろう。とりわけ彼らは「つねに殴られていた経 験」が、その心の中に消え去りがたく刻印されているわけだから……そう考えると、どのような軍隊にも陰湿ないじめは事欠かなかったにせよ、日本の軍隊にお けるいじめや虐待は日常茶飯事であったようで、この問題に切り込まない限り、日本の防衛力云々を単に「兵力」のみで誇ることは、ほとんど無意味どころか有 害ですらある。

●敗戦後に捕虜収容所の中で日本兵たちが、戦争中にうけていた階級や民族を理由に受けていた「暴力」に対して、叛逆抵抗(リンチ)にするという病理も日本兵ならではものである。

「屋嘉捕虜収容所は、沖縄戦で米軍の捕虜にされた日本軍将兵の収容所で、収容所内では沖縄出身 兵と朝鮮人、本土出身兵がそれぞれ別々に収容されていて、将校と下士官、一般兵士の幕舎も別々 に分かれていた。/ 夜になると、強制連行されて沖縄戦でありとあらゆる苦難に会わされた朝鮮人たちが日本軍将兵 を自らのテントに引き入れ、リンチしたほか、戦時中に将校にいじめられた下士官や兵士たちが、 米軍憲兵の隙をうかがって上司の将校たちを自らの幕舎に連れ込んで殴るけるの暴力を加えるなど した。一方、下級兵士たちは、下士官を呼び出し、戦時中にいじめられた仕返しをする始末であっ た。こうして、捕虜収容所では、戦時中のもろもろの怨恨、憎悪がむき出しに表面化して一段と敗 戦をみじめなものたらしめた 」(大田 2016:151)

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文献

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