はじめによんでください

戦争とアルツハイマー

On War and Mental illness of victims by war and conflict

池田光穂

私が関わっている研究で、津波などで大規模罹災してPTSDに罹患した高齢者は、将来、アルツハイマー等の認知症(=米国[DSM-V]では痴呆を意味する Dementiaは精神疾患の概念から外されている古い概念になっている)になる可能性があるのか?それとも無関係なのかという研究課題がある。御存知の ようにPTSD(Post-Traumatic Stress Disorder)とは「ショック、怖れあるいは危険な出来事を経験した人に時々おこる異常のひとつである」(NIH の解説):PTSD is a disorder that develops in some people who have experienced a shocking, scary, or dangerous event.

PTSDは、米国ではベトナム復員兵の間で広く「罹患」が認められ、かつ社会問題化した疾患であるが、医療人類学者のアラン・ヤングによると、 たんに当事者たちの心身疾患の「流行」のみならず、復員兵のケアに当たっていた医師や医療関係者ならびに、在郷軍人会の支援組織による「社会問題化」とそ の対処により、大きくその臨床判断の基準が洗練化、方法論化されていき、戦争以外での、大規模虐殺、交通事故、家庭内暴力など、さまざまに局面に面した人 たちの「罹患」が明らかになったものである。(→「トラウマを想起することに関するエッセー」)

アルツハイマー病は一般に(あるいはかつて)脳の代謝あるいは血流の障害によって発症するものだと言われており(現在ではアミロイド・カスケードが広く受容された仮説)、遺伝性の要因も考えられている(→ロック「アルツハイマーの謎」書評)。全く異なった要 因で発症するのかどうか定かではないが、PTSDは別の系列の心の病いである。しかし、PTSDを罹患した人が、加齢現象の一環として、アルツハイマー状 態に罹患することも考えられる。その際に、2つの事柄がどのように関係するのかは、専門の科学者でなくても興味のあるところであるし、この問題の解明は、 少子高齢化社会にいきる、多くの課題にも繋がるだろう。以前、水俣病問題を追求されていた水俣病患者でもある川本輝夫さん(1931-1999)が、以前 「水俣病の人が、他の病気にかかったら、いったいどんな症状がでるんだ」と原田正純さん(1934-2012)に質問した時に、医師の原田さんは、そのこ とについての医学的知見の蓄積がそれまで何もなされていないことに気づき、医学者として公害病患者に医学者として寄り添うことの不全感を感じられたと聞い たことがあります。

人は、高齢になるとさまざまな病気や疾患あるいは障害をもつことになります——「病気のデパート」という表現を高齢者から聞いた人も多いでしょ う。人の性格に多様さがあるように、単一の病気ですら多様な病み方があります(→「人は 多様に病み単純に治る」)。高齢者ならそれまでの人生の多様性も含めて、事情はもっと複雑になるはずです。そのように考えると、PTSDの人は将 来、認知症になる確率が高い/低いという単純な《医学的記号論的審問》にいったいどんな意味があるのでしょうか? このような問いの出し方は、原田さんが 水俣病の患者さんたちから受けた《当事者からみた自分の状態が知りたい切羽詰まった審問》とは真逆のような気もします。医療人類学者は、大いにこのことを 反省しなければなりません。

そして、シェルショック(Shell shock)——塹壕ショック、砲弾ショック,戦争神経症——は、兵士が戦闘行為を継続することができないという問題で、当人の「発狂」が不幸の みならず戦争を遂行する軍隊にとっても大きな問題です。 医療人類学者、W.H.R.リ ヴァーズはその研究でも有名な臨床研究をおこなっています。

さて、冒頭のアルツハイマーとは無関係なのだが……、シェルショックと交錯するのが、日帝時代に大陸で戦争行為遂行中に、精神病を発症すること です。前線から日本に戻された旧日本兵を(その全てではな いが)「未復員」と呼ぶそうです——長いあいだ 入院していました。先日物故したテレビ・プロデューサの吉永晴子さん(1931-2016)は、その患者を訪ねて番組を作っていたそうです(『さすら いの〈未復員〉』筑摩書房、1987)。記憶の問題は、なかなかな複雑ですね。

僕の義父も、認知症で亡くなりましたが、診断される随分前から、よく話す機 会がありましたが、北支あるいは満洲の経験——彼は衛生兵だった——の話ばっかりでした。でも当時僕は、731のことが気になっていたので、石井部隊のこ とを知っているかと話を振り向けても、そのことについては何も話さず、満洲の凍てつく冬の話ばかりしていました。

■未復員中の「傷病」に関する情報(平凡社『世界大百科事典』)

■未復員の言葉の正しい意味と、未復員者にしてその給与を療養医療費あてる隠喩的意味を区別すること

■しばし、脱線:「慰安婦に傷病福祉補償がないのは理不尽」

■資料:未復員者給与法:法律第百八十二号(昭二二・一二・一五)Mifukuinnkyuyohou-1947-Jap.pdf

出典:衆議院「未復員者給与法:法律第百八十二号」http: //www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/houritsu/00119471215182.htm

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