W.H.R.リヴァーズの独自性
Uniqueness of W.H.R. Rivers
イギリスの社会人類学者W・H・R・リヴァース(1864-1922)は、 社会人類学における系譜的方法を確立したことで著名であるが、人 類学者になる前はケンブリッジで実験心理学を専攻する研究者だった。リヴァースは自らも医師であり、1898年に始まるケンブリッジ・トーレス海峡調査隊 に参加し、医療研究の分野に人類学的なアイディアを持ち込んだ最初の一人である。
彼は1915年と16年にロンドンの医学 校で未開医療に関する講演をおこなった。死後その講演は『医学、魔術、宗教』というタイトルで出版 されたが、今日の医療人類学者の見解と共有する重要な指摘をおこなっている。私は、リヴァースの主張の今日的意義をここで三点にわけて紹介したい。
1. 「野蛮人」は非合理的ではない
まず最初にリヴァースは、「野蛮人」—— 当時の人類学では異文化の他者である未開人をこう呼んでいたのだが——は非合理的ではない、と主張 した(Rivers 1924:51)。今日では、一見非合理的な観念や行動の背景には何かの理由がある、という見方は多くの人に受け入れられるようになっている。しかしなが ら最も初期の組織的なフィールドワークに参加した医者であり人類学者である彼がそのような主張をしたことはまさに画期的であり、記憶されてよい。彼は人類 学に転向してからは進化主義的な見方をとりつづけていたが、医学校での講演をおこなう頃には文化の伝播説を支持するようになる。このことが、進化主義に見 られるような、未開から文明への知識と認識の進歩という一種の知的発達の図式を放棄させたのではないかと私には思える。彼は、現地の人たちの病因論と治療 には論理的な関係があることを発見して、環境に対する人間の反応の均質性を説き、同時に、違った地域にこの事実が分布していることを伝播の証としたのであ る。
この指摘の延長上にさらに彼は、人びとが おこなう病気の分類はきわめて体系的におこなわれるということも指摘した。これは後に、文化という ものが人間に対して、たんなる「役にたつ・役に立たない」というレベル以上の認識能力を付与することは、認識人類学やその研究成果を踏まえて発展させた C・レヴィ=ストロース『野生の思考』などで人びとに知られることになる。ミンダナオ島のスバヌンの人たちの皮膚病に関する細かな観察と描写について報告 したC・フレイクの論文では、今日ではその病気の分類体系を提示したものと読まれることもあるが、彼の論文の本来の目的はスバヌンの人たちの認知のプロセ スを明らかにすることにあった。素人の病気の知識は専門家に比べて無知蒙昧であるとは言えない、という指摘をおこなったとも理解できるのだ。
2. ふつうの病気の大半はマイナーなも のであり、ほとんどは家庭内で処理さ れる
リヴァースの第二の主張は、メラネシアと ニューギニアで観察された大半の病気というものはマイナーなものであり、ほとんどは家庭内で処理さ れるというものである(Rives 1924:41,81)。これは後に登場する医療人類学者の間の合意というよりも、むしろ今日において強調されるべき指摘である。というのは、医療人類学 者おいてすら、あるいは医療人類学だからこそ、その研究の対象を制度的な医療や人間の生き方に大きな影響をあたえる重い病気に求めがちだからである。ま た、近代社会においては医療制度が人びとの生活の中に深く浸透するようになって以降、「医療」をひたすら深刻で重要なものとみなし、医療にかかる前の自己 治療や家庭内での処方を軽視する傾向があったからである。しかし、医療を人間の病気に対する対処行動の全体系であるとみたときに、リヴァースのこの第二の 主張が意外な盲点であると同時に、マイナーな病気やそれに対処する個人や社会の様態に着目することの重要性を再確認せざるを得ない。そして、これは彼自身 が指摘した人びとの病気の分類は体系的におこなわれるという事実について、それを裏付ける根拠にもなる。
3. 病気と治療の関係は権力関係である
彼の三番目の重要な指摘とは、その社会に おける諸関係——とくに権力関係——が、病気と治療の形態と深い関わりをもっているということであ る(Rivers 1924:94)。彼は、宗教性の強いポリネシアでは、病気の原因は神々や他の霊的存在に帰され、治療もまたそれらの超自然的な存在の力を必要とする。そ れに対して、メラネシアでは病気は人間あるいは人間によって導かれたりコントロールされている霊的存在によって引き起こされるので、治療においても、その 霊的な知識や操作に長けている人間が介入する、とリヴァースは指摘する。とくに後者のような呪術を主とするような土着的医療においては、呪医と病人の関係 は権力関係にもとづくという指摘もおこなっている。病気の治療は、病理学的過程にもとづく生理的な変化と、免疫などの治癒力および身体の外部からもたらさ れる薬や施術などによって、きわめて自然科学的な過程であると認識されている。そのために治療の際には、施術者は患者に対してこのような自然科学的な過程 をほどこすことだと、我々は信じるようになった。事実、近代医療ではアメリカの社会学者T・パーソンズに代表されるきわめて合理的な「医者−患者」関係 が、その社会関係を分析するためのモデルとされてきた。しかし、医師も患者もその背景にある社会関係の編み目の中に取り込まれているために、その社会の権 力関係とも深く結びついている。それはたんに治療することができる能力にもとづく権威や社会的名誉だけにとどまらず、情報の管理や治療行為それじたいが医 師の権威を確認すると同時に権力を再生産する過程になっているのである。したがって、病気は科学的あるいは呪術的な根拠にもとづいて治療されようがされま いが、治療の空間は権力関係の場であることを忘れるわけにはいかない。
医療を権力という観点からみる立場は、医 学者としての彼の人生における次のようなエピソードと絡み合わせて考えると、より感慨深いものがあ る。今世紀初頭からメラネシア研究者として華々しい業績をあげた彼は、後にイギリスが第一次大戦に参戦したときに軍医として戦争神経症研究に携わる。イギ リスのネオ・フロイト学派の第一人者として、晩年は心理学研究にふたたび戻ってゆくのである。
以上、リヴァースの指摘した三つの独自 性について紹介した。医療人類学の神話的な始祖としての彼をこれ以上持ち上げる必要はないだろう。 しかし現代社会の文脈に即して、彼から受け継ぐものがあるとすれば、およそ次のようにまとめることができる。
1.人びとの病気理解は、不可知なもので なく外部から理解することが可能であること。これは近代になって以降、医学が「病気」そのものを 研究することになった傾向に対抗して、彼の学問が「病人」あるいは「病人を支える社会」の理解への指針を確立したことを意味する。
2.病気の発生とその処方の場とは「家庭 内」という身近な場所であること。これは「病人」を理解するためには、病気そのものよりも病人の 身の回りの日常の空間を把握することが重要であることを再確認させた。
3.病気とは治療と社会との深い関係を表 現するものであり、治療とは何らかの権力の行使であること。したがって医療は、日常の世俗権力か ら超越した独自の社会空間ではなく、政治や社会を分析するのと同じ方法で理解することができるという可能性を提示した。
リンク
その他の情報:戦争神経症(シェルショッ ク等)
Limbless British
Veterans after the First World War ( Roehampton
Military Hospital): THE
MEDICAL SERVICES ON THE HOME FRONT, 1914-1918, The Imperial War
Museums, IWM
文献
+Preface by G.
Elliot Smith, 1924
“the four Fitz Patrick Lectures at the Royal College
of Physicians of London(in 1915 and 1916)”p.v
・1910年代後半はWHRリヴァースは民族誌の文献研究に勤しむようになる。この講演は、その文献研究の成果に立ったものである。
・彼は晩年の8年間(1914-1922?)は、それまでの流行の教説(言及なし、たぶん進化主義)を捨てて、文化の伝播説を支持するようになる。実際
に、第IV章はその説明に割かれている。p.vi
・1915年の秋の3カ月はMaghull Military
Hospitalで戦争神経症の調査研究に従事することになるのだが、最初の2章はこの時代に執筆されている。
・兵士の神経症(psychical
disabilities)が、彼をしてメラネシアの社会的/宗教的研究に向かわせた。と同時に文明史における文化伝播に関する関心を喚起したという。
p.vi-vii。それが後に、The Aimes of Ethnology(1918)とMind and
Medicine(1919)[この本の第V章]へと結実する。
・原始宗教は彼らの生活を安全に保護する機能をもつが、それはしばしば誤った前提に立っているものの、合理的な推論によってなりたっている。原始医療も同
様で、宗教と医療は同じ教説の部分をなしており、それに対して呪術は独立してあった。p.vii
・リヴァース(第3章)は医療の呪術と宗教との結びつきは、異なる文化が混淆した結果だと考えていたが、これは1911年から18年までの見解であり、晩
年の4年間(1918-22)はその考えを少しづつ放棄していったという。p.viii.
・
Chapter I, pp.1-28
Method and Inquiry, p.1
Definition of the Social Processes, p.3
Concept of Disease by Various Peoples, p.5
Beliefs as to Causation of Disease, p.7
Disease or Injury ascribed to Magic, p.9
[1] Disease ascribed to Object of Influence
Projected into Victimユs Body, p.12
[2] Disease attributed to Abstraction of Part of
Body or Soul, p.15
[3] Magical Action on Separated part of Victimユs
Body or Touched Object, p.18
Treatment: Magical or Religious Nature of Rites, p.25
Concrete Nature of Belief Underlying the Rites, p.26
Chapter II, pp.29-53
Processes of Diagnosis and prognosis, p.29
Disease Attributed to Interaction of Taboo, p.32
The religious Element, p.35
Religious Character aquired by Magical Process, p.37
Independent Occurrence of Disease, p.40 ★
Variety in Leechcraft, p.42
Differentiation of Leech from Priest, p.43
Epidemic Disease, p.46
Relations of Economical and Juridical Nature, p.48
The Part Played by Suggestion, p.50
Rationality of the Leechcraft, p.51 ★
Chapter III, pp.55-85
Evolution of Social Customs and Institutions, p.55
Independent Evolution, p.56
Transmission as a Factor in Human Culture, p.58
Relations of Medicine, Magic, and Religion in
Various Countries, p.61
Australia, p.61
Polynesia, p.62
Indonesia, p.65
India, p.68
China and Japan, p.70
Africa, p.70
America, p.73
Similarity in View on Causation and Treatment of
Disease, p.76
Consideration of Rival Views, p.77
Two Widely Differing Beliefs in causation of
Disease, p.79
Remedies of the “Domestic” Order, p.81
Origine of Above Practices, p.84
Chapter IV, pp.87-117
(no title part)
Methods of Solving the Problems, p.88
The Importance Attached to Numbers, p.88
The Criterion of Common Distribution, p.90
Some Difficulties met with, p.91
Formulation of Guiding Principle, p,92
Factors Affecting Success of Failure of Transplanted
Elements of Culture, p.92 ★
Modification of Practices after Introduction, p.96
Examples Suggested as Modification of Transmitted
Practice, p.98
Blood-Letting, p.98
Massage, p.99
Sweat-Baths, p.102
Circumcision and Sub-Incision,
p.103
Some Points Raised in Relation to Distribution of
Customs, p.106
Scantiness of Available Evidence, p.108
History and Evolution, p.109
Complex Nature of the Process, p.110
The Influence of Cultural Mixture of Progress, p.112
The Effect on Medicine of Mixture of Cultures, p.114
The Relations between Medicine and Religion, p.115
Chapter V. Mind and Medicine. pp.119-144.
John Rylands Library in Manchester in 1919
@Bibliography:
W.H.R. Rivers. 1924. Medicine, Magic, and
Religion: The Fitz Patric Lectures deliverd before The Royal College of
Physicians of London in 1915 and 1916. London:Kegan Paul, Trench ,
Trubner.
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On W.H.R. Rivers' "Medicine, Magic, and Religion"(1924)
"Thought the war, when the demands on Rivers often
seemed relentless, he formed relaxation in working on research papers.
The Fitz Patric Lectures, given at the Royal Collage of Physicians of
London in 1915 and 1916, were among these wartime by products,
Posthumously published as MEDICINE, MAGIC, AND
RELIGION (1924), the lectures include a careful
account of empirical healing practices in non-literate society, or
rather, related congeries of societies in Melanesia. Despite weaknesses
in generalization, the work's perspective suggestions do not deserve
the oblivion into which they seem to have fallen"(Slobodin, 1978:57)
[bib.]Slobodin, Richard, 1978."W.H.R. Rivers", New York: Columbia
University Press.
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099