グアテマラの独立記念日
El Día de Independencia para todos los Chapínes
Un día especial del Altiplano de Cuchumatán
1998年9月15日のグアテマラ共和国の独立記念日を、この国の西部にあるクチュマタン高原の峡谷にある先住民族の町で迎えたことは、私に とってはとても感慨ふかいものであった。
1821年の中央アメリカ連邦の独立後(その後5つの共和国に分裂)、グアテマラ共和国の政治経済活動の中心的な役割を握ってきたのはメス ティソ(混血)の人たちであり、先住民族の人たちは、従属的な地位に甘んじてきた。つまり植民地時代から独立後に至っても、先住民族は常に過酷な搾取の対 象となっており、その状況が現在にいたるまで著しく変化したことはなかった。今日では国内的な搾取のみならず、海外出稼ぎのような国家間を越えた搾取構造 の片鱗をグアテマラ高地でみることも難しくない。
1981-82年のゲリラと政府軍によってこの町が破壊される以前は、町の人たちが楽しみにする祭日とは、町の守護聖人の祝日であった。現在 でもその重要性は変わらない。だが、70年代より台頭してきた福音主義派のプロテスタントの信者たちは、守護聖人の祝日をカトリック教徒のものだとして、 非難して普段と変わらない生活をおこなう。そのような中で宗教信条に左右されない祝祭の日として浮上してきたのが9月15日の独立記念日である。国家儀礼 が町の中の宗教的対立を調停し、より上位の国民的統合の中に節合してゆく過程がここから始まる。
そして現在、ゲリラと政府との和平合意のもとで先住民族は新しいアイデンティティを模索している。その中のひとつが国民国家に組しながらも、 先住民族の独自性を失わないための文化・言語政策を積極的に国家に提言をしていることである。こと国民国家内に異質なアイデンティティを確立させようとし ている先住民族の試みとその提案に国家が耳を傾けようとしている状況を見るかぎり、ことグアテマラは我々よりもはるかに先進的なのである。もっともその先 進性とは、30年にわたる内戦の中で、さまざま宗教的対立、政治的謀略、暴力や拷問など、異常で残酷な歴史的経験の末の結果なのである。それは現在もなお 進行中なのだ。
表紙の写真の説明:
(1)右下は、独立記念日の記念式典の行われた町はずれのサッカー場で演説する町長。彼は「植民地から独立した77年間の解放を我々はここで 祝おうではないか!」と雄弁に主張する。
(2)左上は、国旗を先頭に町を練り歩く小学生たちの行列。先頭をゆく左の男性はアメリカ合衆国の平和部隊の隊員。この日は、メスティソを含 めて多数派を占める先住民族の衣装に身を固めることが「グアテマラ共和国」の一員であること強調する。
(3)右下は、行列する小学校の生徒たち。彼/彼女らの服は、ほとんどがこの日のために新調されたものである。
(4)左上は、最近の人類学者が好んで取り上げるフォト・ジェニックな(写真の格好の的になる)イメージであるが、「自己の文化表象」をビデ オ機材で記録する現地の人たちである。
・さらに詳しく知りたい方のために以下のURLで私の論文が読めます。
池田光穂