グアテマラの独立記念日 (非公式ヴァージョン)

 Dia de Independencia en el Altiplano de Cuchumatan en Guatemala

クチュマタン高原の子供たち


今年の夏、2年ぶりに中央アメリカ・グ アテマラにある先住民族(インディヘナ)の共同体にフィールドワークをするために「戻った」。今回の調査 は、30年にわたる内戦が終結したグアテマラ共和国において、先住民族であるという意識が、どのような形で国民国家の形成に関与するかということに関心を おいて、聞き取りや参与観察をおこなった。

人類学者の仕事は不断の聞き取りと観察 による事実関係の確認という繰り返しをともなう作業である。最近はフィールドでもビデオやパソコンが比較的 簡便に使えるようになったので、ハイテク化したフィールドワークを実践する若手研究者も多いが、対人的コミュニケーションの重要性は今も昔も変わらない。 たぶん、現地の人たちに写る私の姿とは、ノートを取りながらおしゃべりしているか、あるいは机に座ってパソコンやノートを整理しているかの、どちらかに違 いない。

そのような「退屈」なフィールドワーク に、楽しみを与えてくれるのが参与観察というものである。1998年9月15日のグアテマラ共和国の独立記 念日は、そのような私にとって退屈なフィールドワークから解放してくれる楽しい日となるはずであった。ところが・・・・

1821年の中央アメリカ連邦の独立後 (その後5つの共和国に分裂)、この国の政治経済活動の中心的な役割を握ってきたのはメスティソ(混血)の 人たちであり、先住民族の人たちは、従属的な地位に甘んじてきた。つまり植民地時代から独立後に至っても、先住民族は常に過酷な搾取の対象となっており、 その状況が現在にいたるまで著しく変化したことはなかった。今日では国内的な搾取のみならず、海外出稼ぎのような国家間を越えた搾取構造の片鱗をグアテマ ラ高地でみることも難しくない。

そのような人たちが、下層民階層の解放 を唱えたゲリラ・グループに共鳴し、長いあいだ闘ってきたこともうなづける[ただし、ゲリラの闘争における 階級認識の誤謬については拙稿「暴力の内旋」で批判してあるので、私は単に<頷く>だけであ る]。にもかかわらず、今年の記念日は何週間も前から「9月 15日は、お前はどこにいる? そうかこの町にいるか! それは良かった!」と様々な人たちから異口同音に聞かされて私は、いささかうんざりしていたの だった。まるで「もう幾つ寝るとお正月・・」の世界である。

おまけに日本での「同様な記念日」につ いて質問されて、私は「えーと、日本の建国記念日は2月11日なんだが、何せ二千数百年も以上も前のこと で、誰もその日付を本当だと信じる人はいないね。おまけに、過去のアジアへの帝国主義的侵略の歴史を憎むリベラルと、逆にそれを懐かしむナショナリストが 別々の集会をして・・同じ日本人でも独立のイメージが180度違うのですよ。そしてその両極の間には無数の無関心層があって・・。民主国家になるまでは占 領期が続いたから占領=征服?が解かれたサンフランシスコ講和条約が批准された日を独立記念日として見なすことができるかも知れないな。でも日付はいつ だったかな?」と、俄に日本の国民国家論をグアテマラ高地で講釈するはめになる。そのようなわけだから、先住民族の人たちにとっての独立記念日と私にとっ ての建国記念日の心象風景が、どうも二重写しになってしまい、素直に喜ぶ気持ちが理解できないのだ。

さて、1981-82年のゲリラと政府 軍によってこの町が破壊される以前は、町で独立記念日のような「来るのが楽しみ」な日とは、町の守護聖人の 祝日であった。現在でもその重要性は変わらない。だが、70年代より台頭してきた福音主義派のプロテスタントの信者たちは、守護聖人の祝日をカトリック教 徒のものだとして、非難して普段と変わらない生活をおこなう。そのような中で宗教信条に左右されない祝祭の日として浮上してきたのが9月15日の独立記念 日である。国家儀礼が町の中の宗教的対立を調停し、より上位の国民的統合の中に節合してゆく過程がここから始まる。

そして現在、ゲリラと政府との和平合意 のもとで先住民族は新しいアイデンティティを模索している。その中のひとつが国民国家に組しながらも、先住 民族の独自性を失わないための文化・言語政策を積極的に国家に提言をしていることである。こと国民国家内に異質なアイデンティティを確立させようとしてい る先住民族の試みとその提案に国家が耳を傾けようとしている状況を見るかぎり、ことグアテマラは我々よりもはるかに先進的なのである。もっともその先進性 とは、30年にわたる内戦の中で、さまざま宗教的対立、政治的謀略、暴力や拷問など、異常で残酷な歴史的経験の末の結果なのである。それは現在もなお進行 中なのだ。


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summa ethnographica

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