日本人にみられる「禁忌の健康観」
Health as limited good in Japanese medical ethos
薬師如来坐像, 平安時代 9世紀, 国宝、奈良国立博物館(文化財オンライン)
【初出】教育と医学,1990年10月号(38巻10号),pp.13-19(pp.907-913),1990年10月
およそ人の身は、よはくもろくし て、あだなる事、風前の燈火のきえやすしが如し。あやうきかな。つねにつゝしみて身をたもつべし ―― 貝原益軒『養生訓』
「健康というものは、それを所有す るだれにとってであれ(すくなくとも消極的に、すなわち身体的苦痛のすべてを遠ざけることとして) 直接に快適である。だが、健康を善いものとよぶためには、それをさらに理性によって目的に方向づけなければならない。つまり健康とは、私たちをじぶんのあ らゆる仕事へと向かわせる状態であるということになるだろう」――カント『判断力批判』[1790]熊野純彦訳(p.124)
1. 健康観の多様性
「健康」と「病気」は常に対比して考えるのが、現在のわれわれの習いである。
病いや病気の概念については、その用語は多様であるにもかかわらず、古くから存在していた。しかしながら、「健康」という用語そのものは 明治時代以降に登場し(1)、今日的な意味での健康の概念の浸透はたかだか半世紀にしか過ぎないと見てよい。
では、全く健康に相当する言葉が無かったかというと、そうではない。それは健康ではなくて、「安泰」であったり、「無病」や「息災」で あった。だが、それはやはり今日における「獲得すべきもの」としての健康ではなく、否定的な病気や災いから逃れるという性格が強い。
学校教育において一番なじみ深い、世界保健機関(WHO)世界保健憲章にみられる健康の「定義」も、過去二十年間の間にさまざまな解釈や 論争の対象になってきた(2)。そこでは、健康のとらえ方は、次第に個人的なものから社会的、環境的なものへと拡張しつつあること。人間の健康は、それぞ れの時代や社会の人びとが理想と考える「健全さ」というものと深い関係にあること、などが明かにされている。近代医学の歴史において、健康概念の登場は病 気のそれよりもずっと遅く、同時に健康の概念は、時代と共に少しづつ変化していると見てよいであろう。
そして、巷間では多様な「健康」法が、繰り返し生成・流布・消滅しているのも今日の特色である。教育、あるいはマスメディアを通して、わ れわれはさまざまな健康について、なんらかの情報を入手しているに違いない。個人が経験的に獲得した健康法、知人や友人によって薦められた健康法、あるい は出版物になりテレビや雑誌に取り上げられる奇異な健康法。これらも、知らないうちに、われわれが持つ「健康」にまつわるイメージの形成に影響を与え ているかも知れない。
また、健康は市場経済におけるひとつの「商品」でもある。「われわれの生を、より健康に、より美しく、より快適にするような『からだ』を めぐる(あるいは『からだ』に直接関与する)人間の営為を対象とする産業」を「からだ産業」として位置づけた調査報告(3)によると、その市場規模(一九 八三年)は十六兆円近くにおよび、GNPの約五・七パーセント、国民医療費をはるかに上回ると言われている。そして、健康食品、健康器具に関しては八十三 年に遡る八年間に五倍の市場規模にまで成長したと言う。ここでは、「健康」は商品として流通し、具体的に売買できる実体にまで押し上げられているのであ る。
さて、このような多様な健康観を眺めてみて、まず疑問を持つのは、日本人の健康観は古くから綿々と現在まで続いているのか?、あるいは都 市化された現代社会のなかで変貌しつつあるのか?、ということであろう。本稿はそのような問題意識をもって議論を展開してみたい。
2. 禁忌の健康観
健康観と銘打たれると必ずあげられるのが、貝原益軒の『養生訓』(一七一三)(4)である。
だが、近代的な文脈の中で健康を論じる人たちの間では、この養生訓は極めて評判が悪い。曰く、富裕な階級を対象にした教訓書である。親か ら「戴いた」身体を守れという儒教の<孝>の思想が強調され、なぜ自己の健康を守るのかという理念が欠落している(5)、などと批判されている。
確かに養生訓には、経験主義的な健康維持の考え方と、「五思」――食事の際にはそれを与えてくれた人びとや状況のことに思いをはすべきであ るという信条――に代表される健康維持のための道徳主義がないまぜになっている。また中国や朝鮮との比較を通して、日本の風土や人びとの体質の独自性につ いてもことさら強調している。
益軒が嫌われるもうひとつの理由は、それ自体の思想性もさることながら、戦前において国家主義イデオロギーの宣伝に利用されたという「暗 い経験」に対する反発にもあるようだ。
しかしながら、彼の多数の著作からうかがわれる啓蒙――時にはほとんどお仕着せがましい――精神や、「大和本草」に見られる博物的な知識な どは、たんに彼の思想的独自性の賜物であるのみならず、当時の知識体系の反映でもあるはずである。実際、養生訓を、当時の人びとの健康観――そこには身体 観や病気観、風土論なども含まれる――について書かれた資料として読んでみると、現在のわれわれの健康観と共通したり、相違することが明かになって興味深 い。
健康について語るこの著作には、一貫した原理がみられる。それは「病気にならないためには~しない事」という表現が多くみられ、健康を妨 げる特定の行為、食物や療法を制限することによって、健康を維持しようというものである。従来、養生訓の要点といわれてきた、<孝>の教えや<忍>の信条 についての記述が抽象的なのに対して、この「~しない事」の内容は、極めて数多くの具体的な指示から構成されているのも特色である。
~するな、という、ある行為を避けることを通して、災厄から免れようとすることは、世界のさまざまな民族において広くみられる。このよう な考え方に基づいた健康観を、ここでは「禁忌(タブー)の健康観」と名づけてみよう。
禁忌を守ることが、健康を維持するのだという健康観は、禁忌を破ることに対する恐怖と表裏一体である。そこからは健康の意味が積極的に評 価されない。すなわち、養生とは、いま持ち得る「生」をいかに、損失することなく保ち得るかという技術論に他ならない(7)。そして、何かによって介入さ れないならば、健康は所与のものとして獲得されていると見るのもこの健康観の特色なのである。
3. 健康維持について
禁忌の健康観からみると、健康の維持のためには、害のあることをさけることが肝要となる。貝原益軒は、それをひたすら辛抱することを通し て実現すべきだと説いている。過度の飲食、セックス、菓子や嗜好品、感情の起伏など、これらは、欲望の対象であり、放っておけば自然に発露するものであ る。しかしながら、これらのことは、身体における<気の充実>を妨げ、ひいては病気を生み出すことにつながる。だから辛抱するのである。
この辛抱することに対するプラスの価値観は、基本的にわれわれの道徳観に直結させられて考えられている。利己的にならず、他者のことを思 い、自分はひたすら辛抱する。このような人が家庭や職場において理想像とされることは、われわれの現実でもあるのだ。
しかし、辛抱が高じても、自分の健康までも損なってはならない。なぜなら、それは「ほかの人」に迷惑がかかるからである。『健康づくりに 関する意識調査』(6)において、健康をそこなうことに人びとが心配するおおきな理由は、「家族に心配をかける」、「家庭生活が維持できない」ということ であり、そう答える人が全体の六割以上を占めるという。このように健康維持の第一の目的は、個人の福利にあるのではなく集団――より正確には家族――のた めであると考えられている。
これらのことは、総じて現代の集団検診において象徴的に表われる。すなわち、施行する側が、検診に応じない「辛抱する人びと」に対して 「早期発見、早期治療」(=これを受けている限り、健康は保証される)という半ば脅迫的な態度で迫る一方、受診する側が、半ば従属的に対応する(=受けな いと、後で困ったことになるので、今は辛抱しよう)という事態が起るのである。
したがって、禁忌の健康法からは、積極的な健康増進の発想が生まれにくい。先の『意識調査』の別の項目では、健康のために何か気をつけて いることがあるか?と、聞いているが、それに対して「過労に注意し睡眠・休養をとるように心がけている」、「食事・栄養に気を配っている」のがそれぞれ六 割前後の回答がある一方で、「運動やスポーツをするようにしている」ものは二割半ばにすぎない。あくまでも、健康維持に重きをおく養生訓の伝統は現在まで も続いているといえよう。
外的な働きかけを通して健康を獲得する方法には、食事や投薬がある。養生訓には、益軒の薬に対する不信感が表現されてはいるものの、積極 的な食養生の考え方はみられず、食合せの回避や、〝してはいけない調理法〟など、ひたすら「忌避」的な叙述に徹している。その意味では今日の自然食品、機 能性食品、滋養強壮薬の幅広い利用は、益軒の発想にはない。
だが、そうとは言えない面もある。わが国には一般保健薬への「信仰」があるという指摘もあるにもかかわらず、食生活において自然食や健康 食品を取り入れようとしている人は、米国、英国、フランス、西ドイツ(→現在のドイツです)の先進各国との比較の中でも日本は半数程度であるという報告 (3)もあり、益軒流の 「忌避の健康観」が表われていると言えないこともない。
5. 健康増進について
では、養生訓には健康増進の発想がまったく無いのであろうか? 中国の伝統的医学に影響を受けた<気>や<元気>の概念――同様にわれわ れも共有する概念である――をもって、それを身体に充実させ、そのことを通して壮健であろうと読み取れない箇所もないことはない。ただ、総じて身体は外界 からの影響を受け易く、<気>や<元気>も身体に充実するよりも、先に消失するほうが著しい――冒頭にあげた一節はこの身体観を的確に表現している。そし て、積極的な活動を伴う運動を通して健康を達成しようする態度は、「導引」という穏やかな身体運動を除くと、養生訓に見られない。過度の運動は、むしろ養 生にはマイナスに作用すると見なされている。
「忌避の健康観」とは正反対に、積極的な努力を通してプラスの価値を高めようとするような健康観を、ここでは「獲得の健康観」と名づけて もよいだろう。このような健康観が人口に膾炙するようになるのは第二次大戦後の先進諸国においてであった。
現代社会において健康増進の手段として重要視されているのは、レクリエーションや身体運動であり、またスポーツである。体力づくり、健康 増進におけるそれらの効用は、六十年代後半のノルウェーに始まるトリム運動が特に著名である。七十年代以降の西欧における健康とスポーツの関係を決定づけ たトリム――現在では英語のフィトネスのほうがより親しみやすいかもしれない――において、枢要なことは<健康を目指した身体運動>を、快活さや親しみや すさという価値観の中に位置づけたことであろう。西ドイツは、トリム運動について国家的なキャンペーンを組み、国民の大多数をそれに参加させたことでよく 知られている。
むろんトリム運動には、労働時間の短縮やその経済的効果についての政治経済的な配慮や政策面での努力があったからこそ達成されたのであ り、またそのような努力が不可欠なのである。
わが国において、東京オリンピックが開催され、比較的早い時期にトリム運動が紹介され、さらには厚生省による「国民健康づくり計画」が推 進されてきた。しかし、それにもかかわらず、先の調査報告のように健康のためにスポーツを行なう人口が少ないのは、総労働時間の短縮という、トリム運動を 支援する具体的政策が実現されていないからであろうと考えられる。健康のための運動ができない理由として、「時間がない」と多くの人びとが答えている (6)こともうなづけよう。
別の調査においても(3)、「気に入ったスポーツ施設が近隣にあれば通いたいと思っている」わが国の人びとの割合は、米国、英国などと比 べて変わりはないにもかかわらず、実際にスポーツ施設を利用している人の割合は、それらの国々の半分にしかすぎないという結果がでている。
6. スポーツに対する古典的イメージ
今日、人びとのスポーツに対する関心は高まっていると言われる。テレビ番組におけるスポーツ番組の取り扱われ方、スポーツのファッション 化、娯楽としての多様化といった、社会的な現象としても、このことは、よく理解できるところである。今や、日本のスポーツは単なる根性論では語れなくなっ てきたことは事実である。
トレーニング法においても同様である。運動生理学や動機づけの理論など、「科学的な」方法を駆使して選手管理することなどは今や常識化し ている。
にもかかわらず、日本人がもっている身体運動に対する古典的なイメージが完全に払拭されたかというと、疑問な点も多い。身体運動について の考え方という面ではどうであろうか?
スポーツを通しての健康法は、先にも触れた「獲得の健康観」に基づいている。しかしながら、養生訓流の「禁忌の健康観」を想起させるもの も残っている。
例えば、運動を苦行や修行としてみる見方である。それは久しく健康をめざす運動が、「鍛錬」や「教練」として意味づけられていたことと無 関係ではない。健康を達成するために、ある苦行を辛抱して行なうという理解は現在でも色濃く残っており、先のトリムの精神とは対照的である。
また、運動が個人指向のなかで行なわれるのではなく、集団指向をもって行なわれる。あるいは、そうであればこそ効果が十分に発揮されるの だという考え方もそうである。そのため、個々人がスポーツを通して健康を達成するために、どのようにやればよいのかという技術や方法に関する知識は十分に は普及しておらず、また人びとにそれらが教えられる機会も実際に少ない。そのため、「健康の秘訣」は人づてに伝授されるか、自分で捜すしか他はなくなる。 ○○健康法というタイトルの本がベストセラーになったり、それを信奉する人たちが家庭内において「秘かに」それを実践している現状が皮肉にも、運動をめぐ る状況をそのまま反映しているのである。
7. 健康観と身体観
大貫恵美子は、日本人の病気観と医療システムを論じた著作(8)のなかで、その衛生観念に表われる「清潔」と「不潔」の区分が、極めて文 化的な尺度によって決められおり、それらが、例えば家の「内」と「外」、「上」と「下」と言った分類の中で強固に守られていると述べている(→文化的ばい 菌説)。彼女による と、このような二元的対立は、身体をはじめ、社会や世界の認識(これらは総じて「宇宙観(コスモロジー)」と呼ばれている)にまで展開するという。
本稿で触れた「禁忌の健康観」は、この二元的対立の構図を保守的にかつ厳格に守ろうとして、その境界を越境しないように振舞うことである と解釈することができよう。
しかしながら、われわれの社会が経験しつつある「獲得の健康観」は、この二元的なあり方を解体しようとする、あるいはその境界の位置を変 えようする、状況の中で生じた新しい社会現象なのであろう。健康達成のためのスポーツという発想は、この「獲得の健康観」の最たるものであり、その動態を 把握することは、今後の「健康観の探究」のためにも必要なことである。
そのためにも健康の生物科学の研究同様、健康の文化的側面についての人文・社会科学的な探究が不可欠とされるのである。
追記
●季節に応じた食生活
「も う一つ日本人の常食に現われた特性と思われるのは、食物の季節性という点に関してであろう。俳諧歳時記(はいかいさいじき)を繰ってみ てもわかるように季節に応ずる食用の野菜魚貝の年週期的循環がそれだけでも日本人の日常生活を多彩にしている。年じゅう同じように貯蔵した馬鈴薯(ばれい しょ)や玉ねぎをかじり、干物塩物や、季節にかまわず豚や牛ばかり食っている西洋人やシナ人、あるいはほとんど年じゅう同じような果実を食っている熱帯の 住民と、「はしり」を喜び「しゅん」を貴(たっと)ぶ日本人とはこうした点でもかなりちがった日常生活の内容をもっている。このちがいは決してそれだけで は済まない種類のちがいである」 寺田寅彦(1948)「日本人の 自然観」
8. 参考文献
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