大阪砲兵工廠
The Osaka Great War Plant, 1870-1945
Paul Klee, 1879-1940, Über den Begriff der Geschichte (On the Concept of History / Theses on the Philosophy of History), 1940
あらゆる言語は自己じしんのなかで自己を伝達する。それはもっとも純粋な意味で伝達の「メディア」である。メディアであること、これはあら ゆる精神的伝達の直接性であり、言語理論の根本問題である。……言葉は何を伝達するのか? 言語は言語に対応する精神的本質を伝達する。この精神的本質 は、言語のなかで自己を伝達するのであって言語を通して伝達されるのではない、ということを知っておくことがまず肝要だ――ワルター・ベンヤミン(Walter Benjamin, 1892-1940)
Historicism contents itself with establishing a causal nexus of
various moments of history. But no state of affairs is, as a cause,
already a historical one. It becomes this, posthumously, through
eventualities which may be separated from it by millenia. The historian
who starts from this, ceases to permit the consequences of
eventualities to run through the fingers like the beads of a rosary. He
records [erfasst] the constellation in which his own epoch comes into
contact with that of an earlier one. He thereby establishes a concept
of the present as that of the here-and-now, in which splinters of
messianic time are shot through.- Walter Benjamin, On the Concept of History,
XVIII Addendum-A, ca.1940
――もうツインビルができてて、お店の店長がミーティングでいうんですよね。「この仕事がいやで死にたくなったら、あそこから飛び降りて自 殺しろ」って。みょうに……みょうにね、大きなふたつのビルが、わたしを見下ろしてんですよね(p.267)。
――あ、戦争してたんだなあ、と。それから死んだ人はみんな、ここをこんな街にしたかったんかな……あ。わたし。こんなことやってる場合 じゃないだろう、って。なんか。まさかね、死んでった人はここで、射精産業がこんなになってるって思わなかっただろうな、って。それは本音で思いましたけ ど。でもそれでお金を儲けてるってわたしって、なんか、汚く思えちゃったりして(pp.270-1:改行は省略しました――引用者)。
――よくね、「おまえ、ばかじゃないか」っていわれるんですけど。「同期の桜」とかあるじゃないですか。あれを聞きますとね。飛行機乗っ て、死んでいくんでしょう。いやだろうな、と思うんです。風俗嬢ってなみの神経じゃできないことあるけど、飛行機でね、突っ込んでいくって、もっと、なみ の神経じゃないできないです(p.273:改行は省略しました――引用者)。
京橋の風俗店で働いていたリサさん の話
僕は、リサさんという仮名の存在の女性は、京橋=大阪砲兵工廠というゲニウス・ロキ(genius loci)としての守護 精霊の巫女だったのではないかと、時々、想うことがある。
出典:河村直哉『地中の廃墟から:《大阪砲兵工廠》に見る日本人の20世紀』東京:作品社、1999年
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大阪砲兵工廠周辺への空襲の写真がネットにあった(A B-29 over Osaka on 1 June 1945)ただし45年8月14日のものではないらしい。下の中央に大阪城が見える。北が上方に修正してある。爆撃されている場所は、地下鉄都島駅あたり か。 画面をじっとみていると、ベトナムの北爆のことを思い起こす https://goo.gl/zqtA55
「大 阪砲兵工廠には終戦時、従事者の2%にあたる1,319人の朝鮮人徴用工がいたとされる。実態を調べる市民団体「大阪府朝鮮人強制連行真相調査団」の空野 佳弘弁護士らが韓国の公文書で動員された人を突き止め、昨年、生存者3人に初めて聴き取りをした。その1人が先月、記者の取材に応じ、右足の傷痕をさすり ながら71年前の体験を語った。故郷の韓国南西部・井邑(ジョンウプ)市に住む洪東周(ホンドンジュ)さん(88)。朝鮮半島が日本の植民地下にあった 16歳の春。官憲が突然、家に来て「ちょっと用がある」。数十人が集められ、汽車やトラックで釜山(プサン)へ向かい、船で山口・下関へ。たどり着いたの が大阪砲兵工廠だった。配属先は高射砲の部品などを造る工場。日本人の工員から「おい、半島人」と呼ばれるのが嫌だった。訳も分からず殴られることもあっ た。学徒動員の女学生が差別的な言動をたしなめるのに救われたという。1945年。砲兵工廠は空襲にさらされ、広い敷地を逃げ惑った。右足のふくらはぎを 爆弾とみられる金属片でえぐられ、両足にやけども負った。バラバラの遺体が電線にぶらさがる「地獄の光景」。今も脳裏から消えない」朝日新聞 2016.04.14 https://www.asahi.com/articles/ASJ8B5G1HJ8BPLZU007.html
●三宅宏司『大阪砲兵工廠の 研究』思文閣書店、1993年
「明 治3年から昭和20年にいたる大阪砲兵工廠はわが国の産業近代化の中で特異な役割を果たしてきた。本書では、同工廠を支えた鉄鋼・材機・冶金・金属加工・ 化学などの技術的諸分野の内容と生産体制、職工の就業実態及びそれらの変遷過程を明かす。関係図表120余点。/明治3年(1870)に大阪城内に設立さ れた陸軍直轄の官営の兵器製造所。軍需の自給・自立を目指し主に火砲生産を担い、海外からの技術導入や素材生産の設備拡張のもとに火砲・砲架・弾丸・火 具・砲具の各製造所を設置して四斤野砲・三八式野砲をはじめとする各種の野・山砲、速射砲、高射砲を生産。のち大阪陸軍造兵廠と改組され太平洋戦争末まで 存続。同工廠から派生した技術の伝播は多岐にわたり、そのかかえてきた課題とあわせ近代日本工業の最先端の位置にあった。」
Map
of The Osaka Arsenal, 1906
第1章 草創期の大阪砲兵工廠
第2章 大阪砲兵工廠の製砲技術
第3章 日露戦争時における工廠の膨張
第4章 兵器生産技術開発の実態
第5章 工廠内外の実態と破局
むすび
史料(大阪砲兵工廠状況・造兵廠現有設備能力概見表など7点)
索引(人名・事項)
★クレジット:大阪砲兵工廠(おおさかほうへいこうしょう)
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