北海道旧土人保護法
Hokkaido Former
Aborigines Protection Act, 1899-1997
'Aynurmosir', the traditional land of the Ainu people アイヌ民族の伝統的な土地「アイヌルモシリ」
☆【英語ウィキペディアからの翻訳】『北海道旧土人保護法』[The Hokkaido Former Aborigines Protection Act] は、明治天皇の治世下、1899年に帝国議会で制定された日本の法律である。[1] この法律は、北海道の先住民であるアイヌの人々の地位に関するものであり、帝国政府は彼らを強制的に同化させようとしていた。[2] 同法は1997年に廃止され、アイヌ文化振興法 [ja](CPA)に置き換えられた。[3][4] アイヌ民族を保護するという名目で制定されたが、北海道アイヌ協会などの団体は、この法律がアイヌの土地を没収し、彼らの伝統文化を破壊する役割を果たし たと主張している。[5] 『ジョージタウン・ジャーナル・オブ・アジアン・アフェアーズ』に掲載された論文によれば、「[同法の]目的は、アイヌを『野蛮人』から『原始的な日本 人』へと『文明化』し、『日本化』することにあった」とされる。[6]
★【日本語ウィキペディアからのインポート】北海道旧土人保護法(ほっ かいどうきゅうどじんほごほう、明治32年3月2日法律第27号)は、北海道アイヌの「保護」に関する日本の法律である。明治維新後に政府はアイヌ保護政 策をとり、授産と教化を進めてきたが、アイヌが貨幣経済に馴染めなかったこともあり、充分な成果は上げられなかった。1891年(明治24年)に北海道庁 が授産指導を廃止すると、耕地を捨て放浪する者が現れ、政府が与えた生活基盤の多くが失われてしまった。こうしたアイヌの窮状を救う目的で、1893年 (明治26年)に加藤政之助によって第5回帝国議会へ北海道土人保護法案が提出、アイヌ自身も代表を送り法案成立を目指して国会に陳情し、1899年(明 治32年)に制定。本法附則12条の規定によって、同年4月1日から施行された。
☆なお、「旧土人」の名称は保護法施行(1899)以前に出版された1884年『函館縣舊土人 . 根室縣舊土人』にあるように、語彙としては使われていた可能性がある。その前年1883(明治16)年には、根室県「旧土人救済方法」に より歓農政策が実施されており、旧土人の名称が使用されている。なおこの時点では大日本帝国憲法はまだ公布(1889)されていない。
| The Hokkaido Former
Aborigines Protection Act (Japanese: 北海道旧土人保護法公布) was a Japanese law
enacted by the Imperial Diet in 1899 during the reign of Emperor
Meiji.[1] The law concerned the status of the indigenous Ainu people of
Hokkaido, a population the Imperial government sought to forcibly
assimilate.[2] The law was repealed in 1997 and replaced by the Ainu
Cultural Promotion Act [ja] (CPA).[3][4] Created under the pretense of protecting the Ainu people, organizations such as the Ainu Association of Hokkaido argue that the law served to confiscate Ainu land and destroy their traditional culture.[5] According to a paper published in the Georgetown Journal of Asian Affairs, "The aim of [the law] was to 'civilize' and 'Japanize' the Ainu from 'barbarians' to 'primitive Japanese'.”[6] |
『北海道旧土人保護法』[The Hokkaido Former
Aborigines Protection Act]は、明治天皇の治世下、1899年に帝国議会で
制定された日本の法律である。[1]
この法律は、北海道の先住民であるアイヌの人々の地位に関するものであり、帝国政府は彼らを強制的に同化させようとしていた。[2]
同法は1997年に廃止され、アイヌ文化振興法 [ja](CPA)に置き換えられた。[3][4] アイヌ民族を保護するという名目で制定されたが、北海道アイヌ協会などの団体は、この法律がアイヌの土地を没収し、彼らの伝統文化を破壊する役割を果たし たと主張している。[5] 『ジョージタウン・ジャーナル・オブ・アジアン・アフェアーズ』に掲載された論文によれば、「[同法の]目的は、アイヌを『野蛮人』から『原始的な日本 人』へと『文明化』し、『日本化』することにあった」とされる。[6] |
| Background Main article: History of the Ainu people |
背景 本記事:アイヌ民族の歴史 |
| Provisions and consequences Land ownership and poverty Under the pretense of alleviating Ainu poverty, the legislation created individual land grants and promoted the adoption of Japanese agricultural practices over hunting.[7] The legislation has been criticized as a means by which the Imperial government forcibly confiscated Ainu lands and impeded traditional Ainu culture.[8] The land allotted to Ainu farmers was generally of poorer quality than that received by Japanese settlers in Hokkaido.[9] Cultural impact The law prohibited the Ainu from speaking their native language or practicing their traditional animistic religion.[10] Through the legislation, Ainu children received "a rudimentary education in the Japanese language that focused on “national” ethics".[6] |
規定と結果 土地所有と貧困 アイヌの貧困を緩和するという名目のもと、この法律は個人への土地の割当を定め、狩猟よりも日本の農業手法の採用を推進した。[7] この法律は、帝国政府がアイヌの土地を強制的に没収し、伝統的なアイヌ文化を阻害する手段であったとして批判されてきた。[8] アイヌの農民に割り当てられた土地は、一般的に北海道の日本人入植者が受け取った土地よりも質が悪かった。[9] 文化的影響 この法律は、アイヌ人が母語を話したり、伝統的なアニミズム的宗教を実践したりすることを禁じた。[10] この法律により、アイヌの子供たちは「『国民的』倫理に重点を置いた、日本語による初歩的な教育」を受けた。[6] |
| Legacy A 1993 survey found that the law was only mentioned in a minority of Japanese textbooks.[11] Ainu activists consider the legislation to have helped facilitate the destruction of Ainu traditional customs to the benefit of Japanese settlers.[5] |
歴史的経緯 1993年の調査によると、この法律について言及している日本の教科書はごく一部に過ぎなかった。[11] アイヌの活動家たちは、この法律が、日本人入植者の利益のために、アイヌの伝統的な慣習の破壊を助長したと考えている。[5] |
| Hokkaidō Development Commission Natives Land Act, 1913 (South Africa) |
北海道開発委員会 1913年先住民土地法(南アフリカ) |
| References 1. Komai, Eléonore (July 7, 2021). "The Ainu and Indigenous politics in Japan: negotiating agency, institutional stability, and change". Journal of Race, Ethnicity, and Politics. 7 (1). Cambridge University Press. This status de facto materialized into the Hokkaido Former Natives Protection Act (FNPA) of 1899, which aimed at "protecting the dying race" (Siddle 2002), mandating the replacement of hunting and gathering practices with agriculture (Howell, 1994; Lewallen 2016). 2. Morris-Suzuki, Tessa (December 1999). "The Ainu: Beyond the Politics of Cultural Coexistence". Cultural Survival Quarterly Magazine. Retrieved 2022-06-29. 3. Roche, Hailey (March 3, 2020). "Matika Wilbur – Ainu Sovereignty – Indigenous Leaders & Activists". University of Washington. Retrieved 2022-06-29. 4. "Law for the Promotion of the Ainu Culture and for the Dissemination and Advocacy for the Traditions of the Ainu and the Ainu Culture (Law No. 52, May 14, 1997 Amendment: Law No. 160, Dec. 22, 1999)". University of Minnesota. Retrieved 2022-06-29. The following acts will be abolished: 1. The Hokkaido Ex-Aborigines Protection Act (#27/1899) 2. The Asahikawa Ex-Aborigines Protection Land Disposition Act (#9/1934) 5. "Law, the Ainu, and changing perceptions". Hokkaido University. 2016-12-20. Retrieved 2022-06-30. 6. Siripala, Thisanka (2020). "Far-Right Politics and Indigenous Ainu Activism in Japan" (PDF). Georgetown Journal of Asian Affairs. 6: 2. 7. Komori, Yoichi; Lee, Helen J. S.; Mason, Michele (February 25, 2013). "Rule in the Name of Protection: The Japanese State, the Ainu and the Vocabulary of Colonialism". The Asia-Pacific Journal: Japan Focus. Retrieved June 30, 2022. 8. Zaman, Mashiyat (March 23, 2020). "The Ainu and Japan's Colonial Legacy". Tokyo Review. Retrieved June 30, 2022. 9. Boersma, Meindert (August 20, 2021). "It's time to drop the curtain on Japan's colonial legacy". Lausan. Retrieved June 30, 2022. 10. Wetherhold, Sherley (July 6, 2012). "Going, Going, Gone: Five of Asia's Most Endangered Languages". Asia Society. Retrieved June 30, 2022. 11. "Expression of Ainu Identity in the Present to the Future · Transition of Ainu Culture through Japanese History". Haverford College. Retrieved June 30, 2022. |
参考文献 1. Komai, Eléonore (2021年7月7日). 「日本のアイヌと先住民族政治:主体性、制度的安定性、そして変化の交渉」. 『Journal of Race, Ethnicity, and Politics』. 7 (1). ケンブリッジ大学出版局。この事実上の状況は、1899年の『北海道旧土着民保護法』(FNPA)として具体化した。同法は「絶滅寸前の人種を保護する」 (Siddle 2002)ことを目的とし、狩猟・採集の慣行を農業へと転換することを義務付けた(Howell, 1994; Lewallen 2016)。 2. モリス=スズキ、テッサ(1999年12月)。「アイヌ:文化的共存の政治を超えて」。『カルチュラル・サバイバル・クォータリー・マガジン』。2022年6月29日閲覧。 3. ロッシュ、ヘイリー(2020年3月3日)。「マティカ・ウィルバー – アイヌの主権 – 先住民族の指導者・活動家」。ワシントン大学。2022年6月29日閲覧。 4. 「アイヌ文化の振興及びアイヌの伝統とアイヌ文化の普及・啓発に関する法律(1997年5月14日法律第52号、改正:1999年12月22日法律第 160号)」。ミネソタ大学。2022年6月29日閲覧。以下の法律は廃止される:1. 北海道旧先住民保護法(1899年法律第27号) 2. 旭川旧先住民保護土地処分法(1934年法律第9号) 5. 「法律、アイヌ、そして変化する認識」。北海道大学。2016年12月20日。2022年6月30日閲覧。 6. シリパラ、ティサンカ(2020年)。「日本における極右政治と先住民族アイヌの活動」(PDF)。『ジョージタウン・ジャーナル・オブ・アジアン・アフェアーズ』。6: 2。 7. 小森洋一、リー・ヘレン・J・S.、 メイソン、ミシェル(2013年2月25日)。「保護の名の下での支配:日本国家、アイヌ、そして植民地主義の語彙」。『アジア・パシフィック・ジャーナル:ジャパン・フォーカス』。2022年6月30日閲覧。 8. ザマン、マシヤット(2020年3月23日)。「アイヌと日本の植民地遺産」。『東京レビュー』。2022年6月30日閲覧。 9. ボースマ、メインダート(2021年8月20日)。「日本の植民地時代の遺産に幕を下ろす時が来た」。ローザン。2022年6月30日閲覧。 10. ウェザーホールド、シャーリー(2012年7月6日)。「消えゆく言語:アジアで最も絶滅の危機に瀕している5つの言語」。アジア・ソサエティ。2022年6月30日閲覧。 11. 「現在から未来へのアイヌのアイデンティティの表現・日本の歴史におけるアイヌ文化の変遷」。ハバーフォード大学。2022年6月30日閲覧。 |
| https://en.wikipedia.org/wiki/Hokkaido_Former_Aborigines_Protection_Act |
★日本語ウィキペディア「北海道旧土人保護法」
| 北海道旧土人保護法(ほっかいどうきゅうどじんほごほう、明治32年3月2日法律第27号)は、北海道アイヌの「保護」に関する日本の法律である。 |
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| 制定 江戸時代より、江戸幕府は北海道を管轄する松前藩に対し、北海道アイヌの待遇改善を指示してきた。田沼意次の蝦夷地(北海道)開発を目的とした北方探索な どで、松前藩の北海道アイヌに対する差別的待遇は明らかであったが、当時の各藩の独立性に加え、遠隔地であるために政府の影響力が弱かったため、改善には 至らなかった。 明治維新後に政府はアイヌ保護政策をとり、授産と教化を進めてきたが、アイヌが貨幣経済に馴染めなかったこともあり、充分な成果は上げられなかった。 1891年(明治24年)に北海道庁が授産指導を廃止すると、耕地を捨て放浪する者が現れ、政府が与えた生活基盤の多くが失われてしまった。こうしたアイ ヌの窮状を救う目的で、1893年(明治26年)に加藤政之助によって第5回帝国議会へ北海道土人保護法案が提出、アイヌ自身も代表を送り法案成立を目指 して国会に陳情し、1899年(明治32年)に制定。本法附則12条の規定によって、同年4月1日から施行された。 |
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| 本法の内容は、大要、次のとおりである。 |
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| 大正8年改正 本法は、1919年(大正8年)、北海道旧土人保護法中改正法律(大正8年3月25日法律第6号)[1]によって、一部改正された。 本法5条においては、北海道旧土人であって疾病に罹り自費治療することができない者には薬価を給することができると規定されていたところ、本改正規定によって、要件に傷痍が追加されるとともに、効果に救療が追加された。 また、本法6条において救助の対象となっていた、疾病、不具、老衰又は幼少のほかに、本改正規定によって、傷痍が追加された。 本改正規定は、北海道旧土人保護法中改正法律附則の規定によって、1919年(大正8年)4月1日から施行された。 |
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| 昭和12年改正 本法の施行によって給与された土地の農耕を忌避する文化[2][3]をもつアイヌはおおむね和人に賃貸し、自らは却って困窮するといった現象を生じた。 この実情に鑑み、本法は、1937年(昭和12年)、北海道旧土人保護法中改正法律(昭和12年3月31日法律第21号)[4]によって、一部改正され た。その結果、土地の無償給与(8,338町歩、一戸あたり2.2町歩)、進学者への学資、住宅改築8割補助金の給付等のアイヌ保護育成策が講じられた [5]。 本改正規定の具体的内容は、次のとおりである。 1条の規定によって無償下付された土地については、2条1項の規定によって譲渡及び物権の設定行為が制限されていた。これについては、2条2項及び3項の 規定を改正し、3条の規定によって没収を受けることなく至った土地については、北海道庁長官の許可を条件として、譲渡及び物権の設定行為の制限を撤廃する こととした(ただし、相続以外の原因による所有権の移転があった後においては、適用除外となっている。)。 2条の2を新設し、旧法2条2項と同様に、下付の年から起算して30年後でなければ、地租及び地方税を課さないことを規定した。ただし、相続以外の原因に よって所有権の移転があった土地、登記した質権の目的である土地又は登記した100年より長い存続期間を定めがある地上権の目的である土地については、適 用除外となっている。また、登録税については、下付を受けた者又はその相続人について、下付若しくは相続による所有権の取得又は遺産の分割に関する登録税 を課さないこととした。 4条の農具及び種子が、生業に要する器具、資料又は資金に改められた。 7条の授業料が、必要な学資に改められた。 7条の2を新設し、不良な住宅を改良しようとする者に対して、必要な資金を給することができることとされた。 7条の3を新設し、北海道旧土人の保護のため必要があるときは、これに関する施設をなし、又は施設をなす者に対して補助をすることができることとされた。 7条の2及び7条の3に要する費用は、北海道旧土人共有財産の収益をもってこれに充て、もし不足があるときは、国庫よりこれを支出することとされた。 8条の規定が削除された。 10条2項に規定された内務大臣の認可が不要とされた。 11条の規定が削除された。 本改正規定は、昭和十二年法律第二十一号(北海道旧土人保護法中改正)施行期日ノ件(昭和12年6月23日勅令第278号)官報1937年06月23日によって、(昭和12年)7月1日から施行された。 |
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| 昭和21年改正 本法は、1946年(昭和21年)、(旧)生活保護法(昭和21年9月9日法律第17号)の制定によって、同法附則46条の規定によって、一部改正された[6]。 その結果、本法4条から6条までの規定が削除された。 本改正規定は、生活保護法の施行期日を定める勅令(昭和21年9月20日勅令第437号)官報1946年09月20日によって、1946年(昭和21年)10月1日から施行された。 |
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| 昭和22年改正 本法は、1947年(昭和22年)、特別法人税法の一部を改正する等の法律(昭和22年3月31日法律第29号)26条の規定によって、一部改正された[7]。 その結果、本法2条の2の規定が削除された。 本改正規定は、特別法人税法の一部を改正する等の法律附則1条の規定によって、1947年(昭和22年)4月1日から施行された。 |
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| 農地改革 1948年(昭和23年)、マッカーサーが指令した農地改革法により不在地主地は無条件で解放されアイヌは土地を失ったが、和人との「混住によって自立自営の精神を涵養する機会[8]」とした者も多くいた。 |
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| 昭和43年改正 本法は、1968年(昭和43年)、許可、認可等の整理に関する法律(昭和43年6月10日法律第94号)1条の規定によって、一部改正された[9]。 その結果、本法7条及び7条の2の規定が削除された。 本改正規定は、許可、認可等の整理に関する法律附則1条の規定によって、公布の日(1968年(昭和43年)6月10日)から施行された。 |
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| 廃止 条文の中には既に死文化した物も多く、また旧土人という名称へ抵抗を感じる人も居り、1970年(昭和45年)頃には旭川市が中心になって廃止運動も行わ れたが、北海道ウタリ協会の総会では「(アイヌを保護する法に)代わるべき法が無いのに、今すぐ廃止してしまえと言うのは無定見」と満場一致で廃止運動へ 反対する決議が採択され、見解の相違が存在した[10]。アイヌ民族からはじめての国会議員である萱野茂によって国会で廃止提案され、1997年(平成9 年)5月8日、アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律(1997年(平成9年)法律第52号、アイヌ文化振興法) は国会で全会一致で可決。7月1日、その施行に伴い廃止された(附則2条)。同時に、旭川市旧土人保護地処分法(1934年(昭和9年)法律第9号)も廃 止された。 この法律は貧困にあえぐ「北海道旧土人」(アイヌ)の保護を目的とし、土地[11]、医薬品[12]、埋葬料[13]、授業料の供与[14]、供与に要す る費用にはアイヌの共有財産からの収益を用い、不足時は国庫から出すこと[15]、アイヌの共有財産は北海道庁長官が管理すること[16]、供与地の換金 を防ぐ目的で相続以外の譲渡や永小作権設定の禁止[17]などが定められていた。 高野斗志美はこれを「アイヌの財産を収奪[18]し、文化帝国主義的同化政策を推進するための法的根拠として活用された」と主張した。 常本照樹によれば、具体的には 1. アイヌの土地の没収 2. 収入源である漁業・狩猟の禁止 3. アイヌ固有の習慣風習の禁止 4. 日本語使用の義務 5. 日本風氏名への改名による戸籍への編入 等々が実行に移されたとされる[19]。 |
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| 脚注 1.^ 官報1919年03月25日 2. ^ 深澤百合子「擦文からアイヌ-農耕の縮小- (PDF) 」『総合地球環境学研究所プロジェクト4-4「東アジアの新石器化と現代化:景観の形成史」』第1回北海道WGプログラム、2006年6月25日 3.^ 「アイヌが土地所有観念を持たないことに関連して」的場光昭『アイヌ先住民、その不都合な真実20』2014年、[要ページ番号] 4.^ 官報1937年03月31日 5.^ 喜多章明「旧土人保護法とともに五十年」『コタンの痕跡 - アイヌ人権史の一断面』旭川人権擁護委員連合会、1971年、pp.367-436 6.^ 官報1946年09月09日 7.^ 官報1947年03月31日 8.^ 「アイヌ女流詩人・バチェラー八重子」『コタンの痕跡-アイヌ人権史の一断面』旭川人権擁護委員連合会、1971年、[要ページ番号] 9.^ 衆議院Webサイト 10.^ “道ウタリ協会は反対/旧土人保護法の廃止/旭川の動きと相違”. 北海道新聞. (1970年7月8日) 11.^ 第一条 12.^ 第五条 13.^ 第三条 14.^ 第七条 15.^ 第八条 16.^ 第十条 17.^ 第二条 18.^ 高野斗志美「解説」『北海道文学全集第11巻 アイヌ民族の魂』立風書房、1980年、p.338。この文章で高野は北海道旧土人保護法理由書を引用した後「武力と奸計と懐柔のあらゆる手段をつかい、 松前藩=幕府時代をとおして収奪してきたアイヌ・モシリを、いまや統一となった日本帝国はみずからの領土に新しく編入していく」と記述している。 19.^ 常本照樹「アイヌ民族をめぐる法の変遷―旧土人保護法から「アイヌ文化振興法」へ」『自由学校「遊」ブックレット』2000年、 |
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| 北海道旧土人保護法(北海道舊土人保護法, ウィキソース) 旭川市旧土人保護地処分法 |
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| https://x.gd/NBM3i |
| 朕帝國議會ノ協贊ヲ經タル北海道舊土人保護法ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム 御名御璽 明治三十二年三月一日 內閣總理大臣侯爵山縣有朋 內 務 大 臣侯爵西鄕從道 法律第二十七號(官報 三月二日) 北海道舊土人保護法 第一條 北海道舊土人ニシテ農業ニ從事スル者又ハ從事セムト欲スル者ニハ一戶ニ付土地一萬五千坪以內ヲ限リ無償下付スルコトヲ得 第二條 前條ニ依リ下付シタル土地ノ所有權ハ左ノ制限ニ從フヘキモノトス 一 相續ニ依ルノ外讓渡スコトヲ得ス 二 質權抵當地上權又ハ永小作權ヲ設定スルコトヲ得ス 三 北海道廳長官ノ許可ヲ得ルニ非サレハ地役權ヲ設定スルコトヲ得ス 四 留置權先取特權ノ目的トナルコトナシ 前條ニ依リ下付シタル土地ハ下付ノ年ヨリ起算シテ三十箇年ノ後ニ非サレハ地租及地方稅ヲ課セス又登錄稅ヲ徵收セス 舊土人ニ於テ從前ヨリ所有シタル土地ハ北海道廳長官ノ許可ヲ得ルニ非サレハ相續ニ因ルノ外之ヲ讓渡シ又ハ第一項第二及第三ニ揭ケタル物權ヲ設定スルコトヲ得ス 第三條 第一條ニ依リ下付シタル土地ニシテ其ノ下付ノ年ヨリ起算シ十五箇年ヲ經ルモ尚開墾セサル部分ハ之ヲ沒收ス 第四條 北海道舊土人ニシテ貧困ナル者ニハ農具及種子ヲ給スルコトヲ得 第五條 北海道舊土人ニシテ疾病ニ罹リ自費治療スルコト能ハサル者ニハ藥價ヲ給スルコトヲ得 第六條 北海道舊土人ニシテ疾病、不具、老衰又ハ幼少ノ爲自活スルコト能ハサル者ハ從來ノ成規ニ依リ救助スルノ外仍之ヲ救助シ救助中死亡シタルトキハ埋葬料ヲ給スルコトヲ得 第七條 北海道舊土人ノ貧困ナル者ノ子弟ニシテ就學スル者ニハ授業料ヲ給スルコトヲ得 第八條 第四條乃至第七條ニ要スル費用ハ北海道舊土人共有財產ノ收益ヲ以テ之ニ充ツ若シ不足アルトキハ國庫ヨリ之ヲ支出ス 第九條 北海道舊土人ノ部落ヲ爲シタル場所ニハ國庫ノ費用ヲ以テ小學校ヲ設クルコトヲ得 第十條 北海道廳長官ハ北海道舊土人共有財產ヲ管理スルコトヲ得 北海道廳長官ハ內務大臣ノ認可ヲ經テ共有者ノ利益ノ爲ニ共有財產ノ處分ヲ爲シ又必要ト認ムルトキハ其ノ分割ヲ拒ムコトヲ得 北海道廳長官ノ管理スル共有財產ハ北海道廳長官之ヲ指定ス 第十一條 北海道廳長官ハ北海道舊土人保護ニ關シテ警察令ヲ發シ之ニ二圓以上二十五圓以下ノ罰金若ハ十一日以上二十五日以下ノ禁錮ノ罰則ヲ附スルコトヲ得 附則 第十二條 此ノ法律ハ明治三十二年四月一日ヨリ施行ス 第十三條 此ノ法律ノ施行ニ關スル細則ハ內務大臣之ヲ定ム |
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| 常用漢字・現代仮名遣いによるひらがな |
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| 朕帝国議会の協賛を経たる北海道旧土人保護法を裁可し茲(これ)に之(これ)を公布せしむ 御名御璽 明治三十二年三月一日 内閣総理大臣侯爵山縣有朋 内 務 大 臣侯爵西郷従道 法律第二十七号(官報 三月二日) 北海道旧土人保護法 第一条 北海道旧土人にして農業に従事する者又は従事せんと欲する者には一戸に付土地一万五千坪以内を限り無償下付することを得 第二条 前條に依り下付したる土地の所有権は左の制限に従うべきものとす 一 相続に依るの外譲渡すことを得ず 二 質権抵当地上権又は永小作権を設定することを得ず 三 北海道庁長官の許可を得るに非ざれば地役権を設定することを得ず 四 留置権先取特権の目的となることなし 前条に依り下付したる土地は下付の年より起算して三十箇年の後に非ざれば地租及地方税を課せず又登録税を徴収せず 旧土人に於て従前より所有したる土地は北海道庁長官の許可を得るに非ざれば相続に因るの外之を譲渡し又は第一項第二及第三に掲げたる物権を設定することを得ず 第三条 第一条に依り下付したる土地にして其の下付の年より起算し十五箇年を経るも尚開墾せざる部分は之を没収す 第四条 北海道旧土人にして貧困なる者には農具及種子を給することを得 第五条 北海道旧土人にして疾病に罹(かか)り自費治療すること能わざる者には薬価を給することを得 第六条 北海道旧土人にして疾病、不具、老衰又は幼少の為自活すること能わざる者は従来の成規に依り救助するの外仍之を救助し救助中死亡したるときは埋葬料を給することを得 第七条 北海道旧土人の貧困なる者の子弟にして就学する者には授業料を給することを得 第八条 第四条乃至第七条に要する費用は北海道旧土人共有財産の収益を以て之に充つ若(も)し不足あるときは国庫より之を支出す 第九条 北海道旧土人の部落を為したる場所には国庫の費用を以て小学校を設くることを得 第十条 北海道庁長官は北海道旧土人共有財産を管理することを得 北海道庁長官は内務大臣の認可を経て共有者の利益の為に共有財産の処分を為し又必要を認むるときは其の分割を拒むことを得 北海道庁長官の管理する共有財産は北海道庁長官之を指定す 第十一条 北海道庁長官は北海道旧土人保護に関して警察令を発し之に二円以上二十五円以下の罰金若は十一日以上二十五日以下の禁錮の罰則を附することを得 附則 第十二条 此の法律は明治三十二年四月一日より施行す 第十三条 此の法律の施行に関する細則は内務大臣之を定む |
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| 旭川市旧土人保護地処分法 | |
| 旭川市旧土人保護地処分法(昭和9年法律第9号) 公布 昭和9年3月24日 廃止 平成9年7月1日 第一条 北海道庁長官は旧土人保護の目的を以て旭川市に貸付したる同市所在の土地を内務大臣及大蔵大臣の認可を経て特別の縁故ある旧土人に単独所有財産又は共有財産として無償下付することを得 第二条 北海道旧土人保護法第二条第一項の規定は前条の規定に依り下付したる土地に付之を準用す 第三条 第一条の規定に依る土地所有権の取得に関しては登録税を課せず又地方税を課することを得ず 附 則 本法施行ノの期日は勅令を以て之を定む |
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| https://userweb.alles.or.jp/tariq/kampisosi/asahikawa.html |
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リ ンク
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