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レヴィ=ブリュル批判

Olivier Leroy and Levy-Bruhl

池田光穂

「レルア(Olivier Leroy, 1927か?)は「原始人には自然的、経験的次元と、超自然的あるいは神秘的次元の二つの異なった次元がある。これは原始人の生活とまったく同じ程度に彼 の知力と関係する。この2つの次元の混同が生じるかもしれないが、レヴィ=ブリュルのような両者の混同と融合は正しくない」と述べている。呪術師の意義を 過小評価してはならないが、この学者はもう一方で、呪術師を過大評価してはならないのであって、肝心なのは呪術師を彼の次元にたって検討しなければならな いことだと述べている。「換言すると、原始人の知力は呪術の威力と技術力を常に混同しているのだと考えてはならない」。たとえば、指導者は呪術師なのでは なく、年長で、経験豊富で、勇敢で、話すことに才にもた/けているのである」(ヴィゴツキーとルリヤ1987[1930]: 118-119)。


「レヴィ=ブリュルの主要な誤りは、原始人の技術的 活動、実践的知能の過小評価である。実践的知能は原始人をチンパンジーの諸操作より上へ限りなく引き上げるものであり、それは発生学的にはチンパンジーの 操作と道具の使用とを結びつけるものであり、その起源において呪術とはまったく無関係である。レヴィ=ブリュルは原始人の思考を本能的、無意識的な活動と 同一視する誤りを侵しているのである」(ヴィゴツキーとルリヤ1987[1930]: 119)。

「レルアはこのことについて、次のように述べてい る。「レヴィ=ブリュルが行ったような、原始人の技術的活動をビリヤードの巧妙さと比較してはならない。これと原始人が泳いだり、木に登ったりすることと を比較することは出来るが、弓や斧を作ることは本能的操作には帰せしめられないのである。これには材料を選び、材質ーを知り、乾燥し、やわらかくし、切断 しなければならない。これらすべてにわたる巧妙さは運動に正確さを与えるが、運動を意味づけたり組合わせたりはできないのである。多分、ビリヤードをする 人は決して数学者ではあるまいが、しかしビリヤードをつくった人は本能的な巧妙さよりも何かより重要なものをもっているのである。果たして抽象的理論の欠 落が論理の欠落を意味するのだろうか?どうして原始人はブーメランが自分の方へ戻ってくるのを見て、この動きを霊魂の仕業とみなさなかったのだろうか?原 始人がこの動きを形態上の結果として見てとるために、そしてそれらを再現するためにその形態を必要な部分部分に分けることが必要だったはずである」(ヴィ ゴツキーとルリヤ1987[1930]: 119)。

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