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データの[恣意的]選別(原著:10)
The Selection of Data
データの[恣意的]選別(原著:10)
大学院3年目の香織とポスドクの彩加(さやか)は、国立研究所で、高価な中性子分析装置を使って新しい実験用半導体の一連の測定を行っていた。 彼女たちは自身の研究室に戻ってデータを検討しているとき、新たに提案された半導体の挙動についての数学的理論から一つの曲線を導くような結果が予言され ていることを知った。
国立研究所で測定を行っている間、香織と彩加は制御も予測もできない電気出力のゆらぎが検出器に影響を与えていることを観測した。彼女たちは、 ゆらぎが測定結果のある部分に影響を与えているのではないかと疑ったが、どのデータ点がそうであるかわからなかった。
論文の出版を準備する最初のステップとなる研究室会議で報告するために結果をまとめる際、彩加は用意するグラフの横軸近くの二つの異常なデータ 点を落とそうとした。彼女は、理論曲線からのズレを考えると、低いデータ点は明らかに出力ゆらぎが原因だという。実際、そのズレは残るデータ点から計算し て予期される誤差範囲を超えていたのである。
香織は、二つのデータ点を落とすことはデータの操作と見られないかと心配になった。彼女と彩加は、出力ゆらぎに影響されているにしても、どの データ点が影響されているのか確信をもつことができなかった。また、かの女らは理論的予言が有効に成立しているかどうかもわからなかった。香織は、異常なデー タ点も含めた別の解析を行い、研究室会議で問題点を議論してもらおうと考えた。しかし彩加は、もし発表でそのデータ点を含めると、ほかのメンバーがその問 題が重要だから予稿論文で議論すべきと考えるかもしれず、そうなると論文を出版することが困難になってしまうと主張した。そこで、彩加と香織は、この際 そのデータ点を落とすことにした。
1.彩加と香織は、実験から得られたデータの公表のしかたを決定する際、どのような要素を考慮すべきだろうか?
2.結果を予言する新しい説明はかれらの考察に影響を与えるべきなのだろうか?
3.この時点で予稿論文を準備すべきだろうか?
4.香織と彩加がデータをどのように公表するかについてー致できないなら、かれらの一人は論文の著者になるべきではないのだろうか?
The Selection of Data
Kaori, a third-year graduate student, and Sayaka, a postdoctoral fellow, have made a series of measurements on a new experimental semiconductor material using an expensive neutron test at a national laboratory. When they return to their own laboratory and examine the data, a newly proposed mathematical explanation of the semiconductor’s behavior predicts results indicated by a curve.
During the measurements at the national laboratory, Kaori and Sayaka observed electrical power fluctuations that they could not control or predict were affecting their detector. They suspect the fluctuations affected some of their measurements, but they don’t know which ones.
When Kaori and Sayaka begin to write up their results to present at a lab meeting, which they know will be the first step in preparing a publication, Sayaka suggests dropping two anomalous data points near the horizontal axis from the graph they are preparing. She says that due to their deviation from the theoretical curve, the low data points were obviously caused by the power fluctuations. Furthermore, the deviations were outside the expected error bars calculated for the remaining data points.
Kaori is concerned that dropping the two points could be seen as manipulating the data. She and Sayaka could not be sure that any of their data points, if any, were affected by the power fluctuations. They also did not know if the theoretical prediction was valid. She wants to do a separate analysis that includes the points and discuss the issue in the lab meeting. But Sayaka says that if they include the data points in their talk, others will think the issue important enough to discuss in a draft paper, which will make it harder to get the paper published. Instead, she and Kaori should use their professional judgment to drop the points now.
1. What factors should Sayaka and Kaori take into account in deciding how to present the data from their experiment?
2. Should the new explanation predicting the results affect their deliberations?
3. Should a draft paper be prepared at this point?
4. If Kaori and Sayaka can’t agree on how the data should be presented, should one of them consider not being an author of the paper?
● この議論ポイント
1. 香織と彩加の関係がどんなものが想像しておく必要があります。香織は博士課程の院生で すが、まだPh.Dの候補者ではなさそうです。彩加はポスドクで、論文投稿においては先達で、香織の学問的助言者である可能性があります。
2. データの公表や処理の透明性においては、彩加の香織に対する社会的地位の相対的高さに より、彩加はデータの処理や扱い方に対して、もうすこし誠実であるべきです。
3. 著者である米国科学アカデミーによると、著名なJournal of Cell Biology で投稿された論文の1/4(25%!!!)に、なんと、作図に不適切な操作をしている可能性があると指摘しています(2002年)大きな情報の操作は、そ れ自体でヤバイことなので、誰しもが不正行為をするわけではありませんが、軽微な操作ならよいと考えるのは、研究者の3つの公理の「研究者間の信頼」を裏 切る行為になるということです。
4. 結果を予言する新しい理論(質問課題の3.で示唆されています)は、それが指し示すも の学問的評価次第ですが、大変魅力的ですが、その傍証のためには、沢山の時間的および経済的コストが必要になると思われます。「まあ、いいか!」というこ とが一番危険な発想です。
5. 授業の中で指摘しましたが、ラボノート(Laboratory notebook)というのが、このような軽微な不正行為を防ぐ可能性があり、彼女たちの研究上の先取権なども保証してくれる可能性があります。実験系の 研究者で、もしご存じない方は、自分の研究成果に科学的信頼性を与え、かつ、特許などの利益の保全のためにも、ただしく、よいラボノートを記述する方法と 習慣を身につけておくことが重要です。
6. 最後に論文の共著になることと、今般のような「データの扱いに関する意見の不一致」の 解消法は、それぞれの手続きに、法的な問題がクリアしているのであれば、共同研究をどのように考え、どのように進展させていくのかについての、研究者の属 する分野や文化によって多様な解釈が生じる可能性があります。チームワークを重んじる日本では、なるべくそれぞれの相違を乗り越えて共著が勧められるで しょう。他方、論理の組み方の独自性やオリジナリティをまず優先する西欧とりわけ米国の文化的土壌では、意見の相違を議論と論理によって統一するほうが優 先されるでしょう。
7. 授業のなかでは、このような議論のほかに、論文の先取権の問題(日本や多くの国では先 願主義[first to file and first to invent]ですが、米国では先発明主義[first to invent system]がとられることに、ラボノートの有用性など)や、特許にまつわる利益の配分や、日本とアメリカの違いなどについて興味深い議論が展開しまし た。
●出典:(教科書)
米国科学アカデミー編『科学者をめざす君たちへ』池内了訳、東京:化学同人、2010年(訳文は若干手を入れています)
On Being a Scientist: A Guide to Responsible Conduct in Research: Third Edition Committee on Science, Engineering, and Public Policy, National Academy of Sciences, National Academy of Engineering, and Institute of Medicine ISBN: 0-309-11971-5, 82 pages, 6 x 9, (2009) This free PDF was downloaded from:
http://www.nap.edu/catalog/12192.html
● 参考文献
岡崎康司・隅蔵康一編『ラボノートの書き方』羊土社、2007年
ラボノートの実例:出典:Scientific integrity : text and cases in responsible conduct of research / Francis L. Macrina, ASM , 2014.
レクチャー
教科書
米国科学アカデミー編『科学者をめざす君たちへ』池内了訳、化学同人、2010年(原著はインターネットで講読できます:下記のリンク参 照)
On Being a Scientist: A Guide to Responsible Conduct in Research: Third Edition
Copyleft, CC. Mitzub'ixi Quq Chi'j, 2010-2018