かならず 読んでください

なめとこ山の熊(宮沢賢治)

Bear at Mt. Nametoko

池田光穂

このページは、西成彦さんの、宮澤文学は、クレオール文学であるという主張をうけて、私の大好きな宮澤賢治「なめとこ山の熊」を読者とともに、まったりと読むプロジェクトのために制作された。OSO18に捧げる。

なめとこ山の熊(宮澤賢治) 東北文学論(西成彦、平凡社版 2004:24-26)『新編森のゲリラ』より

 なめとこ山の熊のことならおもしろい。なめとこ山は大きな山だ。淵沢川はなめとこ山から出て来る。なめとこ山は一年のうち大ていの日はつめたい霧か雲か を吸ったり吐いたりしている。まわりもみんな青黒いなまこや海坊主のような山だ。山のなかごろに大きな洞穴ががらんとあいている。そこから淵沢川がいきな り三百尺ぐらいの滝になってひのきやいたやのしげみの中をごうと落ちて来る。

 中山街道はこのごろは誰も歩かないから蕗やいたどりがいっぱいに生えたり牛が遁げて登らないように柵をみちにたてたりしているけれどもそこをがさがさ三 里ばかり行くと向うの方で風が山の頂を通っているような音がする。気をつけてそっちを見ると何だかわけのわからない白い細長いものが山をうごいて落ちてけ むりを立てているのがわかる。それがなめとこ山の大空滝だ。そして昔はそのへんには熊がごちゃごちゃ居たそうだ。ほんとうはなめとこ山も熊の胆も私は自分 で見たのではない。人から聞いたり考えたりしたことばかりだ。間ちがっているかもしれないけれども私はそう思うのだ。とにかくなめとこ山の熊の胆は名高い ものになっている。

 腹の痛いのにもきけば傷もなおる。鉛の湯の入口になめとこ山の熊の胆ありという昔からの看板もかかっている。だからもう熊はなめとこ山で赤い舌をべろべ ろ吐いて谷をわたったり熊の子供らがすもうをとっておしまいぽかぽか撲りあったりしていることはたしかだ。熊捕りの名人の淵沢小十郎がそれを片っぱしから 捕ったのだ。

 淵沢小十郎はすがめの赭黒いごりごりしたおやじで胴は小さな臼ぐらいはあったし掌は北島の毘沙門さんの病気をなおすための手形ぐらい大きく厚かった。小 十郎は夏なら菩提樹の皮でこさえたけらを着てはむばきをはき生蕃の使うような山刀とポルトガル伝来というような大きな重い鉄砲をもってたくましい黄いろな 犬をつれてなめとこ山からしどけ沢から三つ又からサッカイの山からマミ穴森から白沢からまるで縦横にあるいた。木がいっぱい生えているから谷を溯っている とまるで青黒いトンネルの中を行くようで時にはぱっと緑と黄金いろに明るくなることもあればそこら中が花が咲いたように日光が落ちていることもある。そこ を小十郎が、まるで自分の座敷の中を歩いているというふうでゆっくりのっしのっしとやって行く。犬はさきに立って崖を横這いに走ったりざぶんと水にかけ込 んだり淵ののろのろした気味の悪いとこをもう一生けん命に泳いでやっと向うの岩にのぼるとからだをぶるぶるっとして毛をたてて水をふるい落しそれから鼻を しかめて主人の来るのを待っている。小十郎は膝から上にまるで屏風のような白い波をたてながらコンパスのように足を抜き差しして口を少し曲げながらやって 来る。そこであんまり一ぺんに言ってしまって悪いけれどもなめとこ山あたりの熊は小十郎をすきなのだ。その証拠には熊どもは小十郎がぼちゃぼちゃ谷をこい だり谷の岸の細い平らないっぱいにあざみなどの生えているとこを通るときはだまって高いとこから見送っているのだ。木の上から両手で枝にとりついたり崖の 上で膝をかかえて座ったりしておもしろそうに小十郎を見送っているのだ。まったく熊どもは小十郎の犬さえすきなようだった。けれどもいくら熊どもだって すっかり小十郎とぶっつかって犬がまるで火のついたまりのようになって飛びつき小十郎が眼をまるで変に光らして鉄砲をこっちへ構えることはあんまりすきで はなかった。そのときは大ていの熊は迷惑そうに手をふってそんなことをされるのを断わった。けれども熊もいろいろだから気の烈しいやつならごうごう咆えて 立ちあがって、犬などはまるで踏みつぶしそうにしながら小十郎の方へ両手を出してかかって行く。小十郎はぴったり落ち着いて樹をたてにして立ちながら熊の 月の輪をめがけてズドンとやるのだった。すると森までががあっと叫んで熊はどたっと倒れ赤黒い血をどくどく吐き鼻をくんくん鳴らして死んでしまうのだっ た。小十郎は鉄砲を木へたてかけて注意深くそばへ寄って来てこう言うのだった。

 「熊。おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ。おれも商売ならてめえも射たなけぁならねえ。ほかの罪のねえ仕事していんだが畑はなし木はお上のもの にきまったし里へ出ても誰も相手にしねえ。仕方なしに猟師なんぞしるんだ。てめえも熊に生れたが因果ならおれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊な んぞに生れなよ

 そのときは犬もすっかりしょげかえって眼を細くして座っていた。

 何せこの犬ばかりは小十郎が四十の夏うち中みんな赤痢にかかってとうとう小十郎の息子とその妻も死んだ中にぴんぴんして生きていたのだ。

 それから小十郎はふところからとぎすまされた小刀を出して熊の顎のとこから胸から腹へかけて皮をすうっと裂いていくのだった。それからあとの景色は僕は 大きらいだ。けれどもとにかくおしまい小十郎がまっ赤な熊の胆をせなかの木のひつに入れて血で毛がぼとぼと房になった毛皮を谷であらってくるくるまるめせ なかにしょって自分もぐんなりした風で谷を下って行くことだけはたしかなのだ。

 小十郎はもう熊のことばだってわかるような気がした。ある年の春はやく山の木がまだ一本も青くならないころ小十郎は犬を連れて白沢をずうっとのぼった。 夕方になって小十郎はばっかぃ沢へこえる峯になった処へ去年の夏こさえた笹小屋へ泊ろうと思ってそこへのぼって行った。そしたらどういう加減か小十郎の柄 にもなく登り口をまちがってしまった。

 なんべんも谷へ降りてまた登り直して犬もへとへとにつかれ小十郎も口を横にまげて息をしながら半分くずれかかった去年の小屋を見つけた。小十郎がすぐ下 に湧水のあったのを思い出して少し山を降りかけたら愕いたことは母親とやっと一歳になるかならないような子熊と二疋ちょうど人が額に手をあてて遠くを眺め るといったふうに淡い六日の月光の中を向うの谷をしげしげ見つめているのにあった。小十郎はまるでその二疋の熊のからだから後光が射すように思えてまるで 釘付けになったように立ちどまってそっちを見つめていた。すると小熊が甘えるように言ったのだ。

 「どうしても雪だよ、おっかさん谷のこっち側だけ白くなっているんだもの。どうしても雪だよ。おっかさん」

 すると母親の熊はまだしげしげ見つめていたがやっと言った。

 「雪でないよ、あすこへだけ降るはずがないんだもの」

 子熊はまた言った。

 「だから溶けないで残ったのでしょう」

 「いいえ、おっかさんはあざみの芽を見に昨日あすこを通ったばかりです」

 小十郎もじっとそっちを見た。

 月の光が青じろく山の斜面を滑っていた。そこがちょうど銀の鎧のように光っているのだった。しばらくたって子熊が言った。「雪でなけぁ霜だねえ。きっと そうだ」

 ほんとうに今夜は霜が降るぞ、お月さまの近くで胃もあんなに青くふるえているし第一お月さまのいろだってまるで氷のようだ、小十郎がひとりで思った。

 「おかあさまはわかったよ、あれねえ、ひきざくらの花」

 「なぁんだ、ひきざくらの花だい。僕知ってるよ」

 「いいえ、お前まだ見たことありません」

 「知ってるよ、僕この前とって来たもの」

 「いいえ、あれひきざくらでありません、お前とって来たのきささげの花でしょう」

 「そうだろうか」子熊はとぼけたように答えました。小十郎はなぜかもう胸がいっぱいになってもう一ぺん向うの谷の白い雪のような花と余念なく月光をあび て立っている母子の熊をちらっと見てそれから音をたてないようにこっそりこっそり戻りはじめた。風があっちへ行くな行くなと思いながらそろそろと小十郎は 後退りした。くろもじの木の匂が月のあかりといっしょにすうっとさした。

 ところがこの豪儀な小十郎がまちへ熊の皮と胆を売りに行くときのみじめさといったら全く気の毒だった。

 町の中ほどに大きな荒物屋があって笊だの砂糖だの砥石だの金天狗やカメレオン印の煙草だのそれから硝子の蠅とりまでならべていたのだ。小十郎が山のよう に毛皮をしょってそこのしきいを一足またぐと店では又来たかというようにうすわらっているのだった。店の次の間に大きな唐金の火鉢を出して主人がどっかり 座っていた。

 「旦那さん、先ころはどうもありがどうごあんした」

 あの山では主のような小十郎は毛皮の荷物を横におろして叮ねいに敷板に手をついて言うのだった。

 「はあ、どうも、今日は何のご用です」

 「熊の皮また少し持って来たます」

 「熊の皮か。この前のもまだあのまましまってあるし今日ぁまんついいます」

 「旦那さん、そう言わなぃでどうか買って呉んなさぃ。安くてもいいます」

 「なんぼ安くても要らなぃます」主人は落ち着きはらってきせるをたんたんとてのひらへたたくのだ、あの豪気な山の中の主の小十郎はこう言われるたびにも うまるで心配そうに顔をしかめた。何せ小十郎のとこでは山には栗があったしうしろのまるで少しの畑からは稗がとれるのではあったが米などは少しもできず味 噌もなかったから九十になるとしよりと子供ばかりの七人家内にもって行く米はごくわずかずつでも要ったのだ。

 里の方のものなら麻もつくったけれども、小十郎のとこではわずか藤つるで編む入れ物の外に布にするようなものはなんにも出来なかったのだ。小十郎はしば らくたってからまるでしわがれたような声で言ったもんだ。

 「旦那さん、お願だます。どうが何ぼでもいいはんて買って呉なぃ」小十郎はそう言いながら改めておじぎさえしたもんだ。

 主人はだまってしばらくけむりを吐いてから顔の少しでにかにか笑うのをそっとかくして言ったもんだ。「いいます。置いでお出れ。じゃ、平助、小十郎さん さ二円あげろじゃ」

 店の平助が大きな銀貨を四枚小十郎の前へ座って出した。小十郎はそれを押しいただくようにしてにかにかしながら受け取った。それから主人はこんどはだん だん機嫌がよくなる。

 「じゃ、おきの、小十郎さんさ一杯あげろ」

 小十郎はこのころはもううれしくてわくわくしている。主人はゆっくりいろいろ談す。小十郎はかしこまって山のもようや何か申しあげている。間もなく台所 の方からお膳できたと知らせる。小十郎は半分辞退するけれども結局台所のとこへ引っぱられてってまた叮寧な挨拶をしている。

 間もなく塩引の鮭の刺身やいかの切り込みなどと酒が一本黒い小さな膳にのって来る。

 小十郎はちゃんとかしこまってそこへ腰掛けていかの切り込みを手の甲にのせてべろりとなめたりうやうやしく黄いろな酒を小さな猪口についだりしている。 いくら物価の安いときだって熊の毛皮二枚で二円はあんまり安いと誰でも思う。実に安いしあんまり安いことは小十郎でも知っている。けれどもどうして小十郎 はそんな町の荒物屋なんかへでなしにほかの人へどしどし売れないか。それはなぜか大ていの人にはわからない。けれども日本では狐けんというものもあって狐 は猟師に負け猟師は旦那に負けるときまっている。ここでは熊は小十郎にやられ小十郎が旦那にやられる。旦那は町のみんなの中にいるからなかなか熊に食われ ない。けれどもこんないやなずるいやつらは世界がだんだん進歩するとひとりで消えてなくなっていく。僕はしばらくの間でもあんな立派な小十郎が二度とつら も見たくないようないやなやつにうまくやられることを書いたのが実にしゃくにさわってたまらない。

 こんなふうだったから小十郎は熊どもは殺してはいても決してそれを憎んではいなかったのだ。ところがある年の夏こんなようなおかしなことが起ったのだ。

 小十郎が谷をばちゃばちゃ渉って一つの岩にのぼったらいきなりすぐ前の木に大きな熊が猫のようにせなかを円くしてよじ登っているのを見た。小十郎はすぐ 鉄砲をつきつけた。犬はもう大悦びで木の下に行って木のまわりを烈しく馳せめぐった。

 すると樹の上の熊はしばらくの間おりて小十郎に飛びかかろうかそのまま射たれてやろうか思案しているらしかったがいきなり両手を樹からはなしてどたりと 落ちて来たのだ。小十郎は油断なく銃を構えて打つばかりにして近寄って行ったら熊は両手をあげて叫んだ。

 「おまえは何がほしくておれを殺すんだ

 「ああ、おれはお前の毛皮と、胆のほかにはなんにもいらない。それも町へ持って行ってひどく高く売れるというのではないしほんとうに気の毒だけれども やっぱり仕方ない。けれどもお前に今ごろそんなことを言われるともうおれなどは何か栗かしだのみでも食っていてそれで死ぬならおれも死んでもいいような気 がするよ」

 「もう二年ばかり待ってくれ、おれも死ぬのはもうかまわないようなもんだけれども少しし残した仕事もあるしただ二年だけ待ってくれ。二年目にはおれもお まえの家の前でちゃんと死んでいてやるから。毛皮も胃袋もやってしまうから」

 小十郎は変な気がしてじっと考えて立ってしまいました。熊はそのひまに足うらを全体地面につけてごくゆっくりと歩き出した。小十郎はやっぱりぼんやり 立っていた。熊はもう小十郎がいきなりうしろから鉄砲を射ったり決してしないことがよくわかってるというふうでうしろも見ないでゆっくりゆっくり歩いて 行った。そしてその広い赤黒いせなかが木の枝の間から落ちた日光にちらっと光ったとき小十郎は、う、うとせつなそうにうなって谷をわたって帰りはじめた。 それからちょうど二年目だったがある朝小十郎があんまり風が烈しくて木もかきねも倒れたろうと思って外へ出たらひのきのかきねはいつものようにかわりなく その下のところに始終見たことのある赤黒いものが横になっているのでした。ちょうど二年目だしあの熊がやって来るかと少し心配するようにしていたときでし たから小十郎はどきっとしてしまいました。そばに寄って見ましたらちゃんとあのこの前の熊が口からいっぱいに血を吐いて倒れていた。小十郎は思わず拝むよ うにした。

 一月のある日のことだった。小十郎は朝うちを出るときいままで言ったことのないことを言った。

 「婆さま、おれも年老ったでばな、今朝まず生れで始めで水へ入るの嫌んたよな気するじゃ」

 すると縁側の日なたで糸を紡いでいた九十になる小十郎の母はその見えないような眼をあげてちょっと小十郎を見て何か笑うか泣くかするような顔つきをし た。小十郎はわらじを結えてうんとこさと立ちあがって出かけた。子供らはかわるがわる厩の前から顔を出して「爺さん、早ぐお出や」と言って笑った。小十郎 はまっ青なつるつるした空を見あげてそれから孫たちの方を向いて「行って来るじゃぃ」と言った。

 小十郎はまっ白な堅雪の上を白沢の方へのぼって行った。

 犬はもう息をはあはあし赤い舌を出しながら走ってはとまり走ってはとまりして行った。間もなく小十郎の影は丘の向うへ沈んで見えなくなってしまい子供ら は稗の藁でふじつきをして遊んだ。

 小十郎は白沢の岸を溯って行った。水はまっ青に淵になったり硝子板をしいたように凍ったりつららが何本も何本もじゅずのようになってかかったりそして両 岸からは赤と黄いろのまゆみの実が花が咲いたようにのぞいたりした。小十郎は自分と犬との影法師がちらちら光り樺の幹の影といっしょに雪にかっきり藍いろ の影になってうごくのを見ながら溯って行った。

 白沢から峯を一つ越えたとこに一疋の大きなやつが棲んでいたのを夏のうちにたずねておいたのだ。

 小十郎は谷に入って来る小さな支流を五つ越えて何べんも何べんも右から左左から右へ水をわたって溯って行った。そこに小さな滝があった。小十郎はその滝 のすぐ下から長根の方へかけてのぼりはじめた。雪はあんまりまばゆくて燃えているくらい。小十郎は眼がすっかり紫の眼鏡をかけたような気がして登って行っ た。犬はやっぱりそんな崖でも負けないというようにたびたび滑りそうになりながら雪にかじりついて登ったのだ。やっと崖を登りきったらそこはまばらに栗の 木の生えたごくゆるい斜面の平らで雪はまるで寒水石という風にギラギラ光っていたしまわりをずうっと高い雪のみねがにょきにょきつったっていた。小十郎が その頂上でやすんでいたときだ。いきなり犬が火のついたように咆え出した。小十郎がびっくりしてうしろを見たらあの夏に眼をつけておいた大きな熊が両足で 立ってこっちへかかって来たのだ。

 小十郎は落ちついて足をふんばって鉄砲を構えた。熊は棒のような両手をびっこにあげてまっすぐに走って来た。さすがの小十郎もちょっと顔いろを変えた。

 ぴしゃというように鉄砲の音が小十郎に聞えた。ところが熊は少しも倒れないで嵐のように黒くゆらいでやって来たようだった。犬がその足もとに噛み付い た。と思うと小十郎はがあんと頭が鳴ってまわりがいちめんまっ青になった。それから遠くでこう言うことばを聞いた。

 「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった」

 もうおれは死んだと小十郎は思った。そしてちらちらちらちら青い星のような光がそこらいちめんに見えた。

 「これが死んだしるしだ。死ぬとき見る火だ。熊ども、ゆるせよ」と小十郎は思った。それからあとの小十郎の心持はもう私にはわからない。

 とにかくそれから三日目の晩だった。まるで氷の玉のような月がそらにかかっていた。雪は青白く明るく水は燐光をあげた。すばるや参の星が緑や橙にちらち らして呼吸をするように見えた。

 その栗の木と白い雪の峯々にかこまれた山の上の平らに黒い大きなものがたくさん環になって集って各々黒い影を置き回々教徒の祈るときのようにじっと雪に ひれふしたままいつまでもいつまでも動かなかった。そしてその雪と月のあかりで見るといちばん高いとこに小十郎の死骸が半分座ったようになって置かれてい た。

 思いなしかその死んで凍えてしまった小十郎の顔はまるで生きてるときのように冴え冴えして何か笑っているようにさえ見えたのだ。ほんとうにそれらの大き な黒いものは参の星が天のまん中に来てももっと西へ傾いてもじっと化石したようにうごかなかった。


「「なめとこ山の熊」は柳田園男の『遠野物語」四三話に引かれた新聞記事の発展だともい えるし、その『山の人生』に対応すると考えることも可能だ。宮澤賢治は、ここでは東北 狩猟民(マタギ)の生態に焦点をあてているが、説話技法のたてかたとしては「鹿踊りのはじまり」の 形式を踏襲している。「鹿踊りのはじまり」や「サガレンと八月」の話者が「風」からの話を 聴いたフィールドワーカーであったように、この物語もまた「ほんたうはなめとこ山の熊の 胆も私は自分で見たのではない。人から聞いたり考へたりしたことばかりだ」と話者の立つ 位置は部外者の位置へと周到にずらしてある。「なめとこ山の熊のことならおもしろい」と いう書き出しはこうした前提の上になりたっているのである。/

 ただ、「鹿踊りのはじまり」から「なめとこ山の熊」への移行の中で、小さくはあるいが重 要な変更が生じている。「鹿踊りのはじまり」では「鹿のことばが東北弁に置き換えられ ているのに対して、「なめとこ山の熊」では熊の親子がまるで「平地人」のようなことばで 話しているかのような翻訳がなされている。つまり、現代人の話者が嘉十の聞いた「鹿のこ とば」を「嘉十のことば」に置き直して語ったのに対して、「なめとこ山の熊」の話者は、 小十郎をとびこして、話者自身のことばで再現しているのである。//

 一方、小十郎の日常語が東北語であることは家族と交わす会話が、東北語でなぞられてい ることからわかる。しかし、熊の胆とりを生業とする彼は否応なく商品経済のシステムの中 に組みこまれ、定期的に町に出ることを余儀なくされている。山人の小十郎が唯一関わる平 地人は商人であり、この商人は、平地入の中でも特異な存在である。商人は、東北の山中と 東北の外とをつなぐ媒介者だからだ。小十郎と商人との関係は、流通関係の一部であり、そ の関係をあらわす言語は東北語ではなく、奇妙に格式ばった丁寧語である。 「なめとこ山の熊」が、「よだかの星」等と同系列に属する食物連鎖の物語であることはは っきりしている。「日本では狐けんといふものもあって狐は猟師に負け猟師は日一那に負ける ときまってゐる。ここでは熊は小十郎にやられ小十郎が旦那にやられる。旦那は町のみんな の中にゐるからなかなか熊に食はれない」。宮澤賢治は、生態学的な主題を、社会経済的な 階級闘争の問題に置き換え、商人と山人と熊の食物連鎖の図式に重ねているのである。そし て、宮澤賢治は、三者三様の生活圏に合わせて、それぞれの方言を分配し、発話の重心を適 宜移動させながら、話者の立つ位置を中立化、あるいは分極化させる方法を試みている。/

 宮澤賢治の作品は、いわゆる標準日本語で書かれている。それは日本文学の一部であろう とする野心からできあがっている。ただ、そこでは東北語がそれなりの役割を演じている場 合も少なくない。「永訣の朝」の「あめゆじゅとてちてけんじゃ」にしろ、「鹿踊りのはじま ながたぎなり」の「ぎんがぎがの/すすぎの中さ立ぢあがる/はんの木のすねの/長んがい、かげぼう し」にしろ、『古事記』の中で、固有名詞や歌謡部分が万葉仮名で表記されたように、呪術 的なことばが方言としてことさらに誇示されている。ところが、「なめとこ山の熊」は、そ の中にさらに熊語という異言語の影をすべりこませ、さらに商人ことばを並置することで、 言語使用の問題そのものを政治的問題として主題化することに成功している。それぞれの言 語体系については、宮澤賢治よりも国語学者の方がはるかにくわしいだろうが、その社会言 語学的実像を浮かび上がらせるには、文学的実験を介するしかない。「なめとこ山の熊」は、 この意味において多言語主義的な実験小説である」(西成彦、平凡社版 2004:24-26)。

●遠野物語43
四三 一昨年の『遠野新聞』にもこの記事を載せたり。上郷村の熊という男、友人とともに雪の日に六角牛に狩に行き谷深く入りしに、熊の足跡を見出でたれ ば、手分してその跡をもとめ、自分は峯の方を行きしに、とある岩の陰より大なる熊此方を見る。矢頃あまりに近かりしかば、銃をすてて熊に抱えつき雪の上を 転びて、谷へ下る。連の男これを救わんと思えども力及ばず。やがて谷川に落ち入りて、人の熊下になり水に沈みたりしかば、その隙に獣の熊を打ち取りぬ。水 にも溺れず、爪の傷は数ヶ所受けたれども命に障ることはなかりき。

●柳田國男『山の人生

●『山人考(大正六年日本歴史地理学会大会講演手稿)』の結論部分

 そこで最終に自分の意見を申しますと、山人すなわち日本の先住民は、もはや絶滅したという通説には、私もたいていは同意してよいと思っておりますが、彼 らを我々のいう絶滅に導いた道筋についてのみ、若干の異なる見解を抱くのであります。私の想像する道筋は六筋、その一は帰順朝貢に伴なう編貫(へんかん) であります。最も堂々たる同化であります。その二は討死(うちじに)、その三は自然の子孫断絶であります。その四は信仰界を通って、かえって新来の百姓を 征服し、好条件をもってゆくゆく彼らと併合したもの、第五は永い歳月の間に、人知れず土着しかつ混淆(こんこう)したもの、数においてはこれが一番に多い かと思います。
 こういう風に列記してみると、以上の五つのいずれにも入らない差引残(さしひきざん)、すなわち第六種の旧状保持者、というよりも次第に退化して、今な お山中を漂泊しつつあった者が、少なくとも或る時代までは、必ずいたわけだということが、推定せられるのであります。ところがこの第六種の状態にある山人 の消息は、きわめて不確実であるとは申せ、つい最近になるまで各地独立して、ずいぶん数多く伝えられておりました。それは隠者か仙人かであろう。いや妖怪 か狒々(ひひ)かまたは駄法螺(だぼら)かであろうと、勝手な批評をしても済むかも知れぬが、事例は今少しく実着でかつ数多く、またそのようにまでして否 認をする必要もなかったのであります。

 山中ことに漂泊の生存が最も不可能に思われるのは火食の一点であります。一旦その便益を解していた者が、これを抛棄(ほうき)したということはありえぬ ように思われますがとにかくに孤独なる山人には火を利用した形跡なく、しかも山中には虫魚鳥小獣のほかに草木の実と若葉と根、または菌類(きのこるい)な どが多く、生(なま)で食っていたという話はたくさんに伝えられます。木挽(こびき)・炭焼(すみやき)の小屋に尋ねてきて、黙って火にあたっていたとい う話もあれば、川蟹(かわがに)を持ってきて焼いて食ったなどとも伝えます。塩はどうするかという疑いのごときは疑いにはなりませぬ。平地の人のごとく多 量に消費してはおられぬが、日本では山中に塩分を含む泉至(いた)って多く、また食物の中にも塩気の不足を補うべきものがある。また永年の習性でその需要 は著しく制限することができました。吉野の奥で山に遁げこんだ平地人が、山小屋に塩を乞いにきた。一握(ひとつか)みの塩を悦んで受けてこれだけあれば何 年とかは大丈夫といった話が、『覊旅漫録(きりょまんろく)』かに見えておりました。

 それから衣服でありますが、これも獣皮でも樹の皮でも、用は足りたろうと思うにかかわらず多くの山人は裸であったといわれております。恐らくは裸体であ るために人が注意することになったのでしょうが、わが国の温度には古今の変は少なかろうと思うのに、国民の衣服の近世甚だしく厚くるしくなったのを考えま すと、馴(な)らせば無しにも起臥(きが)しえられてこの点はあまり顧慮しなかったものと見えます。不思議なことには山人の草鞋(わらじ)と称して、非常 に大形のものを山中で見かけるという話がありますが、それは実用よりも何か第二の目的、すなわち南日本の或る海岸の村で、今でも大草履(おおぞうり)を魔 除(まよ)けとするごとく、彼ら独特の畏嚇法(いかくほう)をもってなるべく平地人を廻避した手段であったかも知れませぬ。

 交通の問題についても少々考えてみました。日本は山国で北は津軽の半島の果から南は長門の小串(こくし)の尖(さき)まで少しも平野に下り立たずして往 来することができるのでありますが、彼らは必要以上に遠くへ走るような余裕も空想もなかったと見えて、居るという地方にのみいつでもおりました。全国の山 地で山人の話の特に多いところが、近世では十数箇処あって、互いに隔絶してその間の聯絡(れんらく)は絶えていたかと思われ、気をつけてみると少しずつ、 気風習性のごときものが違っていました。今日知れている限りの山人生息地は、北では陸羽の境の山であります。ことに日本海へ近よった山群であります。それ から北上川左岸の連山、次には只見川(ただみがわ)の上流から越後秋山へかけての一帯、東海岸は大井川の奥、次は例の吉野から熊野の山、中国では大山山彙 (さんい)などが列挙しえられます。飛騨は山国でありながら、不思議に今日はこの話が少なく、青年の愛好する北アルプスから立山方面、黒部川の入(いり) なども今はもう安全地帯のようであります。これに反して小さな離島(はなれじま)でも、屋久島はいまなお痕跡があり、四国にも九州にももちろん住むと伝え られます。四国では剣山の周囲ことに土佐の側には無数の話があり、九州は東岸にやや偏して、九重山(くじゅうさん)以南霧島山以北一帯に、最も無邪気なる 山人が住むといわれております。海が彼らの交通を遮断(しゃだん)するのは当然ですが、なお少しは水を泳ぐこともできました。山中にはもとより東西の通路 があって、老功なる木樵・猟師は容易にこれを認めて遭遇を避けました。夜分(やぶん)には彼らもずいぶん里近くを通りました。その方が路(みち)が楽で あったことは、彼らとても変りはないはずです。鉄道の始めて通じた時はさぞ驚いたろうと思いますが、今では隧道(トンネル)なども利用しているかも知れま せぬ。火と物音にさえ警戒しておれば、平地人の方から気がつく虞(おそれ)はないからであります。

 山男・山姥が町の市日(いちび)に、買物に出るという話が方々にありました。果してそんな事があったら、衣服風体なども目に立たぬように、済ましてただ の田舎者の顔をするのだから、山人としては最も進んだ、すぐにも百姓に同化しうる部類で、いわば一種の土着見習生のごときものであります。それ以外には力 (つと)めて人を避けるのがむしろ通例で、自分の方から来るというはよくよくの場合、すなわち単なる見物や食物のためではなかったらしいのです。しかも人 類としては一番強い内からの衝動、すなわち配偶者の欲しいという情は、往々にして異常の勇敢を促したかと思う事実があります。

 もっとも山人の中にも女はあって、族内の縁組も絶対に不可能ではなかったが、人が少なく年が違い、久しい孤独を忍ばねばならぬ際に、堪えかねて里に降っ て若い男女を誘うたことも、稀ではなかったように考えます。神隠しと称する日本の社会の奇現象は、あまりにも数が多く、その中には明白に自身の気の狂いか ら、何となく山に飛び込んだ者も少なくないのですが、原因の明瞭(めいりょう)になったものはかつてないので、しかも多くは還って来ず、一方には年を隔て て山中で行逢うたという話が、決して珍しくはないから、こういう推測が成立つのであります。世中(よのなか)が開けてからは、かりに著しくその場合が減じ たにしても、物憑(ものつ)き物狂(ものぐる)いがいつも引寄せられるように、山へ山へと入って行く暗示には、千年以前からの潜んだ威圧が、なお働いてい るものとみることができます。

 それをまた他の方面から立証するものは、山人の言語であります。彼らが物を言った という例は、ほとんとないといってよいのであるが、平地人のいわゆる日本語は、たいていの場合には山人に理解せられます。ずいぶんと込み入った事柄でも、 呑込(のみこ)んでその通りにしたというのは、すなわち片親の方からその知識が、だんだんに注入せられている結果かと思います。それでなければ米の飯をひ どく欲しがりまた焚火(たきび)を悦び、しばしば常人に対して好意とまではなくとも、じっと目送したりするほどの、平和な態度をとったという話が解せられ ず、ことに頼まれて人を助け、市に出て物を交易するというだけの変化の原因が想像しえられませぬ。多分は前代にあっても最初は同じ事情から、耕作の趣味を 学んで一地に土着し、わずかずつ下流の人里と交通を試みているうちに、自他ともに差別の観念を忘失して、すなわち武陵桃源(ぶりょうとうげん)の発見とは なったのであろうと思います

 これを要するに山人の絶滅とは、主としては在来の生活の特色のなくなることでありました。そうして山人の特色とは何であったかというと、一つには肌膚の色の赤いこと、 二つには丈(たけ)高く、ことに手足の長いことなどが、昔話の中に今も伝説せられます。諸国に数多き大人(おおひと)の足跡の話は、話となって極端まで誇 張せられ、加賀ではあの国を三足であるいたという大足跡もありますが、もとは長髄彦(ながすねひこ)もしくは上州の八掬脛(やつかはぎ)ぐらいの、やや我 々より大きいという話ではなかったかと思われます。北ヨーロッパでは昔話の小人というのが、先住異民族の記憶の断片と解せられていますが、日本はちょうど その反対で、現に東部の弘い地域にわたり、今もって山人のことを大人と呼んでいる例があるのです。
 私は他日この問題がいますこし綿密に学界から注意せられて、単に人類学上の新資料を供与するに止らず、日本人の文明史において、まだいかにしても説明しえない多くの事蹟がこの方面から次第に分ってくることを切望いたします。ことに我々の血の中に、若干の荒い山人の血を混じているかも知れぬということは、我々にとってはじつに無限の興味であります。


OSO18 (ca. 2008-2012 - July 30, 2023) is the code name for one male brown bear that was attacking livestock (dairy cows) from 2019 to 2023 in the area of Shibecha-cho and Atsugishi-cho, Kawakami County, eastern Hokkaido.

Named for the place in Shibecha-cho Shimo-Osotsubetsu where the damage occurred in broad daylight with the only human sighting in July 2019, and for the width of its paws, which are 18 cm.

The total number of cattle believed to have been attacked by OSO18 in Shibecha and Atsugishi-cho from 2019 to the end of June 2023 is estimated to be 66 in total, 32 of which were killed based on DNA analysis of body hair left behind. Only three photos were taken automatically at night and one color photo taken in June 2023. The hunters estimated their route of action from the footprints and ambushed them in the morning and evening, but were unable to capture them. The hunters were described as cautious, as if they knew about the Bird Protection Law (which prohibits the firing of hunting rifles at night). They target grazing cattle, but since the beginning of 2022, their attack sites are getting closer to barns and homes.

In the case of the July 2022 attack, the bear ate the entrails of the killed cattle on the spot and dragged them to a stream about 100m away the next morning to eat the meat as well, showing the unique habit of brown bears that are obsessed with food[6].

On June 25, 2023, the first daytime color photo was successfully taken in a town-owned forest in Shibecha, and DNA typing of body hairs determined that the individual in the photo was OSO18. The body size analyzed from the photo is approximately 2.2 m in length and 1.2 m in height, which is almost consistent with the previously assumed body size. Hokkaido had aimed to capture the animal unattended using traps, as there was a high possibility that it would be detected and run away when shot by hunters, but it was exterminated by hunters (employees of the Agriculture, Forestry and Fisheries Division of the Kushiro Town Office) on July 30, 2023, at a farm in the town of Kushiro in the Kushiro District and widely reported on August 21, 2023. The Kushiro Regional Promotion Bureau also announced on August 22 of the same year that it had confirmed that it was the same individual as OSO18. The hunter who exterminated the animal tried to stuff the head as a souvenir, but was unable to do so because the skull had been dismembered by bullets. Part of the body was distributed as edible meat, and was served as charcoal-grilled meat at a gibier restaurant in Tokyo, processed by a meat processing company in Shiranuka-cho, Shiranuka-gun, Hokkaido, and served as miso stew at a gibier restaurant in Kushiro City on the evening of August 24, and as bear meat on some Internet shopping sites.

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OSO18(2008年から2012年ごろ - 2023年7月30日)は、北海道東部の川上郡標茶町・厚岸郡厚岸町一帯において、2019年から2023年にかけて家畜(乳牛)を襲撃していた雄ヒグマ1頭のコードネーム。

2019年7月に人間による唯一の目撃を伴って白昼に被害が発生した標茶町下オソツベツの地名と、前足の幅が18cmであることにより命名された。

2019年から2023年6月末までに標茶町と厚岸町でOSO18に襲われたとみられる牛は、残された体毛のDNA分析などから合計66頭と推定され、う ち32頭が殺された。写真は夜間に自動撮影されるなどした3枚と、2023年6月に撮影されたカラー写真1枚のみ。足跡から行動ルートを推定して、ハン ターが朝夕待ち伏せたが捕捉できておらず、ハンターは(夜間の猟銃発砲を禁じられている)鳥獣保護法を知っているような用心深さと評している。放牧牛を狙 うが、2022年に入り襲撃場所が牛舎や民家に近づいている。

2022年7月の襲撃例では、殺した牛の内臓をその場で食べ、翌朝に約100m離れた沢まで引きずって行って肉も食べるなど、餌に執着するヒグマならではの習性も見てとれる[6]一方、2023年では牛のロースのみを食べる偏食パターンも見せ、混乱を生んでいた。

2023年6月25日、標茶町内の町有林にて初めて昼間のカラー撮影に成功し、体毛のDNA型鑑定により写真に写る個体がOSO18であると断定された。 写真から分析された体格は体長約2.2m、体高約1.2mと、従来想定されていた体格とほぼ一致している。北海道はハンターによる銃猟では察知されて逃げ られる可能性が高いことから、罠による無人での捕獲を目指していたが、2023年7月30日に釧路管内釧路町の牧場でハンター(釧路町役場の農林水産課職 員)によって駆除され、同年8月21日に広く報道。釧路総合振興局もOSO18と同一個体であることを確認したと同月22日に発表した。駆除したハンター は記念として頭部を剥製にしようとしたが、銃弾で頭蓋骨がバラバラになっていたため、剥製にできなかった。遺体の一部は食用の肉として流通し、東京都内の ジビエ専門料理店で炭火焼として、北海道白糠郡白糠町にある精肉加工会社にて加工された後に8月24日夜に釧路市内のジビエ料理店にて味噌煮込みとして、 一部のインターネット通販サイトでも熊肉として、それぞれ提供された。

https://ja.wikipedia.org/wiki/OSO18

 なめとこ山の熊(宮沢賢治)

 なめとこ山の熊のことならおもしろい。なめとこ山 は大きな山だ。淵沢川はなめとこ山から出て来る。なめとこ山は一年のうち大ていの日はつめたい霧か雲かを吸ったり吐いたりしている。まわりもみんな青黒い なまこや海坊主のような山だ。山のなかごろに大きな洞穴ががらんとあいている。そこから淵沢川がいきなり三百尺ぐらいの滝になってひのきやいたやのしげみ の中をごうと落ちて来る。

 中山街道はこのごろは誰も歩かないから蕗やいたど りがいっぱいに生えたり牛が遁げて登らないように柵をみちにたてたりしているけれどもそこをがさがさ三里ばかり行くと向うの方で風が山の頂を通っているよ うな音がする。気をつけてそっちを見ると何だかわけのわからない白い細長いものが山をうごいて落ちてけむりを立てているのがわかる。それがなめとこ山の大 空滝だ。そして昔はそのへんには熊がごちゃごちゃ居たそうだ。ほんとうはなめとこ山も熊の胆も私は自分で見たのではない。人から聞いたり考えたりしたこと ばかりだ。間ちがっているかもしれないけれども私はそう思うのだ。とにかくなめとこ山の熊の胆は名高いものになっている。

 腹の痛いのにもきけば傷もなおる。鉛の湯の入口に なめとこ山の熊の胆ありという昔からの看板もかかっている。だからもう熊はなめとこ山で赤い舌をべろべろ吐いて谷をわたったり熊の子供らがすもうをとって おしまいぽかぽか撲りあったりしていることはたしかだ。熊捕りの名人の淵沢小十郎がそれを片っぱしから捕ったのだ。

 淵沢小十郎はすがめの赭黒いごりごりしたおやじで 胴は小さな臼ぐらいはあったし掌は北島の毘沙門さんの病気をなおすための手形ぐらい大きく厚かった。小十郎は夏なら菩提樹の皮でこさえたけらを着てはむば きをはき生蕃の使うような山刀とポルトガル伝来というような大きな重い鉄砲をもってたくましい黄いろな犬をつれてなめとこ山からしどけ沢から三つ又から サッカイの山からマミ穴森から白沢からまるで縦横にあるいた。木がいっぱい生えているから谷を溯っているとまるで青黒いトンネルの中を行くようで時には ぱっと緑と黄金いろに明るくなることもあればそこら中が花が咲いたように日光が落ちていることもある。そこを小十郎が、まるで自分の座敷の中を歩いている というふうでゆっくりのっしのっしとやって行く。犬はさきに立って崖を横這いに走ったりざぶんと水にかけ込んだり淵ののろのろした気味の悪いとこをもう一 生けん命に泳いでやっと向うの岩にのぼるとからだをぶるぶるっとして毛をたてて水をふるい落しそれから鼻をしかめて主人の来るのを待っている。小十郎は膝 から上にまるで屏風のような白い波をたてながらコンパスのように足を抜き差しして口を少し曲げながらやって来る。そこであんまり一ぺんに言ってしまって悪 いけれどもなめとこ山あたりの熊は小十郎をすきなのだ。その証拠には熊どもは小十郎がぼちゃぼちゃ谷をこいだり谷の岸の細い平らないっぱいにあざみなどの 生えているとこを通るときはだまって高いとこから見送っているのだ。木の上から両手で枝にとりついたり崖の上で膝をかかえて座ったりしておもしろそうに小 十郎を見送っているのだ。まったく熊どもは小十郎の犬さえすきなようだった。けれどもいくら熊どもだってすっかり小十郎とぶっつかって犬がまるで火のつい たまりのようになって飛びつき小十郎が眼をまるで変に光らして鉄砲をこっちへ構えることはあんまりすきではなかった。そのときは大ていの熊は迷惑そうに手 をふってそんなことをされるのを断わった。けれども熊もいろいろだから気の烈しいやつならごうごう咆えて立ちあがって、犬などはまるで踏みつぶしそうにし ながら小十郎の方へ両手を出してかかって行く。小十郎はぴったり落ち着いて樹をたてにして立ちながら熊の月の輪をめがけてズドンとやるのだった。すると森 までががあっと叫んで熊はどたっと倒れ赤黒い血をどくどく吐き鼻をくんくん鳴らして死んでしまうのだった。小十郎は鉄砲を木へたてかけて注意深くそばへ 寄って来てこう言うのだった。

 「熊。おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだ ぞ。おれも商売ならてめえも射たなけぁならねえ。ほかの罪のねえ仕事していんだが畑はなし木はお上のものにきまったし里へ出ても誰も相手にしねえ。仕方な しに猟師なんぞしるんだ。てめえも熊に生れたが因果ならおれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞに生れなよ」

 そのときは犬もすっかりしょげかえって眼を細くし て座っていた。

 何せこの犬ばかりは小十郎が四十の夏うち中みんな 赤痢にかかってとうとう小十郎の息子とその妻も死んだ中にぴんぴんして生きていたのだ。

 それから小十郎はふところからとぎすまされた小刀 を出して熊の顎のとこから胸から腹へかけて皮をすうっと裂いていくのだった。それからあとの景色は僕は大きらいだ。けれどもとにかくおしまい小十郎がまっ 赤な熊の胆をせなかの木のひつに入れて血で毛がぼとぼと房になった毛皮を谷であらってくるくるまるめせなかにしょって自分もぐんなりした風で谷を下って行 くことだけはたしかなのだ。

 小十郎はもう熊のことばだってわかるような気がし た。ある年の春はやく山の木がまだ一本も青くならないころ小十郎は犬を連れて白沢をずうっとのぼった。夕方になって小十郎はばっかぃ沢へこえる峯になった 処へ去年の夏こさえた笹小屋へ泊ろうと思ってそこへのぼって行った。そしたらどういう加減か小十郎の柄にもなく登り口をまちがってしまった。

 なんべんも谷へ降りてまた登り直して犬もへとへと につかれ小十郎も口を横にまげて息をしながら半分くずれかかった去年の小屋を見つけた。小十郎がすぐ下に湧水のあったのを思い出して少し山を降りかけたら 愕いたことは母親とやっと一歳になるかならないような子熊と二疋ちょうど人が額に手をあてて遠くを眺めるといったふうに淡い六日の月光の中を向うの谷をし げしげ見つめているのにあった。小十郎はまるでその二疋の熊のからだから後光が射すように思えてまるで釘付けになったように立ちどまってそっちを見つめて いた。すると小熊が甘えるように言ったのだ。

 「どうしても雪だよ、おっかさん谷のこっち側だけ 白くなっているんだもの。どうしても雪だよ。おっかさん」

 すると母親の熊はまだしげしげ見つめていたがやっと言った。

 「雪でないよ、あすこへだけ降るはずがないんだもの」

 子熊はまた言った。

 「だから溶けないで残ったのでしょう」

 「いいえ、おっかさんはあざみの芽を見に昨日あすこを通ったばかりです」

 小十郎もじっとそっちを見た。

 月の光が青じろく山の斜面を滑っていた。そこが ちょうど銀の鎧のように光っているのだった。しばらくたって子熊が言った。 「雪でなけぁ霜だねえ。きっとそうだ」

 ほんとうに今夜は霜が降るぞ、お月さまの近くで胃もあんなに青くふるえているし第一お月さまのいろだってまるで氷のようだ、小十郎がひとりで思った。

 「おかあさまはわかったよ、あれねえ、ひきざくら の花」

 「なぁんだ、ひきざくらの花だい。僕知ってるよ」

 「いいえ、お前まだ見たことありません」

 「知ってるよ、僕この前とって来たもの」

 「いいえ、あれひきざくらでありません、お前とって来たのきささげの花でしょう」

 「そうだろうか」子熊はとぼけたように答えまし た。小十郎はなぜかもう胸がいっぱいになってもう一ぺん向うの谷の白い雪のような花と余念なく月光をあびて立っている母子の熊をちらっと見てそれから音を たてないようにこっそりこっそり戻りはじめた。風があっちへ行くな行くなと思いながらそろそろと小十郎は後退りした。くろもじの木の匂が月のあかりといっ しょにすうっとさした。

 ところがこの豪儀な小十郎がまちへ熊の皮と胆を売 りに行くときのみじめさといったら全く気の毒だった。

 町の中ほどに大きな荒物屋があって笊だの砂糖だの 砥石だの金天狗やカメレオン印の煙草だのそれから硝子の蠅とりまでならべていたのだ。小十郎が山のように毛皮をしょってそこのしきいを一足またぐと店では 又来たかというようにうすわらっているのだった。店の次の間に大きな唐金の火鉢を出して主人がどっかり座っていた。

 「旦那さん、先ころはどうもありがどうごあんし た」

 あの山では主のような小十郎は毛皮の荷物を横にお ろして叮ねいに敷板に手をついて言うのだった。

 「はあ、どうも、今日は何のご用です」

 「熊の皮また少し持って来たます」

 「熊の皮か。この前のもまだあのまましまってある し今日ぁまんついいます」

 「旦那さん、そう言わなぃでどうか買って呉んな さぃ。安くてもいいます」

 「なんぼ安くても要らなぃます」主人は落ち着きは らってきせるをたんたんとてのひらへたたくのだ、あの豪気な山の中の主の小十郎はこう言われるたびにもうまるで心配そうに顔をしかめた。何せ小十郎のとこ では山には栗があったしうしろのまるで少しの畑からは稗がとれるのではあったが米などは少しもできず味噌もなかったから九十になるとしよりと子供ばかりの 七人家内にもって行く米はごくわずかずつでも要ったのだ。

 里の方のものなら麻もつくったけれども、小十郎の とこではわずか藤つるで編む入れ物の外に布にするようなものはなんにも出来なかったのだ。小十郎はしばらくたってからまるでしわがれたような声で言ったも んだ。

 「旦那さん、お願だます。どうが何ぼでもいいはん て買って呉なぃ」小十郎はそう言いながら改めておじぎさえしたもんだ。

 主人はだまってしばらくけむりを吐いてから顔の少 しでにかにか笑うのをそっとかくして言ったもんだ。 「いいます。置いでお出れ。じゃ、平助、小十郎さんさ二円あげろじゃ」

 店の平助が大きな銀貨を四枚小十郎の前へ座って出 した。小十郎はそれを押しいただくようにしてにかにかしながら受け取った。それから主人はこんどはだんだん機嫌がよくなる。

 「じゃ、おきの、小十郎さんさ一杯あげろ」

 小十郎はこのころはもううれしくてわくわくしてい る。主人はゆっくりいろいろ談す。小十郎はかしこまって山のもようや何か申しあげている。間もなく台所の方からお膳できたと知らせる。小十郎は半分辞退す るけれども結局台所のとこへ引っぱられてってまた叮寧な挨拶をしている。

 間もなく塩引の鮭の刺身やいかの切り込みなどと酒 が一本黒い小さな膳にのって来る。

 小十郎はちゃんとかしこまってそこへ腰掛けていか の切り込みを手の甲にのせてべろりとなめたりうやうやしく黄いろな酒を小さな猪口についだりしている。いくら物価の安いときだって熊の毛皮二枚で二円はあ んまり安いと誰でも思う。実に安いしあんまり安いことは小十郎でも知っている。けれどもどうして小十郎はそんな町の荒物屋なんかへでなしにほかの人へどし どし売れないか。それはなぜか大ていの人にはわからない。けれども日本では狐けんというものもあって狐は猟師に負け猟師は旦那に負けるときまっている。こ こでは熊は小十郎にやられ小十郎が旦那にやられる。旦那は町のみんなの中にいるからなかなか熊に食われない。けれどもこんないやなずるいやつらは世界がだ んだん進歩するとひとりで消えてなくなっていく。僕はしばらくの間でもあんな立派な小十郎が二度とつらも見たくないようないやなやつにうまくやられること を書いたのが実にしゃくにさわってたまらない。

 こんなふうだったから小十郎は熊どもは殺してはい ても決してそれを憎んではいなかったのだ。ところがある年の夏こんなようなおかしなことが起ったのだ。

 小十郎が谷をばちゃばちゃ渉って一つの岩にのぼっ たらいきなりすぐ前の木に大きな熊が猫のようにせなかを円くしてよじ登っているのを見た。小十郎はすぐ鉄砲をつきつけた。犬はもう大悦びで木の下に行って 木のまわりを烈しく馳せめぐった。

 すると樹の上の熊はしばらくの間おりて小十郎に飛びかかろうかそのまま射たれてやろうか思案しているらしかったがいきなり両手を樹からはなしてどたりと 落ちて来たのだ。小十郎は油断なく銃を構えて打つばかりにして近寄って行ったら熊は両手をあげて叫んだ。

 「おまえは何がほしくておれを殺すんだ」

 「ああ、おれはお前の毛皮と、胆のほかにはなんに もいらない。それも町へ持って行ってひどく高く売れるというのではないしほんとうに気の毒だけれどもやっぱり仕方ない。けれどもお前に今ごろそんなことを 言われるともうおれなどは何か栗かしだのみでも食っていてそれで死ぬならおれも死んでもいいような気がするよ」

 「もう二年ばかり待ってくれ、おれも死ぬのはもう かまわないようなもんだけれども少しし残した仕事もあるしただ二年だけ待ってくれ。二年目にはおれもおまえの家の前でちゃんと死んでいてやるから。毛皮も 胃袋もやってしまうから」

 小十郎は変な気がしてじっと考えて立ってしまいま した。熊はそのひまに足うらを全体地面につけてごくゆっくりと歩き出した。小十郎はやっぱりぼんやり立っていた。熊はもう小十郎がいきなりうしろから鉄砲 を射ったり決してしないことがよくわかってるというふうでうしろも見ないでゆっくりゆっくり歩いて行った。そしてその広い赤黒いせなかが木の枝の間から落 ちた日光にちらっと光ったとき小十郎は、う、うとせつなそうにうなって谷をわたって帰りはじめた。それからちょうど二年目だったがある朝小十郎があんまり 風が烈しくて木もかきねも倒れたろうと思って外へ出たらひのきのかきねはいつものようにかわりなくその下のところに始終見たことのある赤黒いものが横に なっているのでした。ちょうど二年目だしあの熊がやって来るかと少し心配するようにしていたときでしたから小十郎はどきっとしてしまいました。そばに寄っ て見ましたらちゃんとあのこの前の熊が口からいっぱいに血を吐いて倒れていた。小十郎は思わず拝むようにした。

 一月のある日のことだった。小十郎は朝うちを出る ときいままで言ったことのないことを言った。

 「婆さま、おれも年老ったでばな、今朝まず生れで 始めで水へ入るの嫌んたよな気するじゃ」

 すると縁側の日なたで糸を紡いでいた九十になる小 十郎の母はその見えないような眼をあげてちょっと小十郎を見て何か笑うか泣くかするような顔つきをした。小十郎はわらじを結えてうんとこさと立ちあがって 出かけた。子供らはかわるがわる厩の前から顔を出して「爺さん、早ぐお出や」と言って笑った。小十郎はまっ青なつるつるした空を見あげてそれから孫たちの 方を向いて「行って来るじゃぃ」と言った。

 小十郎はまっ白な堅雪の上を白沢の方へのぼって 行った。

 犬はもう息をはあはあし赤い舌を出しながら走って はとまり走ってはとまりして行った。間もなく小十郎の影は丘の向うへ沈んで見えなくなってしまい子供らは稗の藁でふじつきをして遊んだ。

 小十郎は白沢の岸を溯って行った。水はまっ青に淵 になったり硝子板をしいたように凍ったりつららが何本も何本もじゅずのようになってかかったりそして両岸からは赤と黄いろのまゆみの実が花が咲いたように のぞいたりした。小十郎は自分と犬との影法師がちらちら光り樺の幹の影といっしょに雪にかっきり藍いろの影になってうごくのを見ながら溯って行った。

 白沢から峯を一つ越えたとこに一疋の大きなやつが 棲んでいたのを夏のうちにたずねておいたのだ。

 小十郎は谷に入って来る小さな支流を五つ越えて何 べんも何べんも右から左左から右へ水をわたって溯って行った。そこに小さな滝があった。小十郎はその滝のすぐ下から長根の方へかけてのぼりはじめた。雪は あんまりまばゆくて燃えているくらい。小十郎は眼がすっかり紫の眼鏡をかけたような気がして登って行った。犬はやっぱりそんな崖でも負けないというように たびたび滑りそうになりながら雪にかじりついて登ったのだ。やっと崖を登りきったらそこはまばらに栗の木の生えたごくゆるい斜面の平らで雪はまるで寒水石 という風にギラギラ光っていたしまわりをずうっと高い雪のみねがにょきにょきつったっていた。小十郎がその頂上でやすんでいたときだ。いきなり犬が火のつ いたように咆え出した。小十郎がびっくりしてうしろを見たらあの夏に眼をつけておいた大きな熊が両足で立ってこっちへかかって来たのだ。

 小十郎は落ちついて足をふんばって鉄砲を構えた。 熊は棒のような両手をびっこにあげてまっすぐに走って来た。さすがの小十郎もちょっと顔いろを変えた。

 ぴしゃというように鉄砲の音が小十郎に聞えた。と ころが熊は少しも倒れないで嵐のように黒くゆらいでやって来たようだった。犬がその足もとに噛み付いた。と思うと小十郎はがあんと頭が鳴ってまわりがいち めんまっ青になった。それから遠くでこう言うことばを聞いた。

 「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった」

 もうおれは死んだと小十郎は思った。そしてちらちらちらちら青い星のような光がそこらいちめんに見えた。

 「これが死んだしるしだ。死ぬとき見る火だ。熊ども、ゆるせよ」と小十郎は思った。それからあとの小十郎の心持はもう私にはわからない。

 とにかくそれから三日目の晩だった。まるで氷の玉 のような月がそらにかかっていた。雪は青白く明るく水は燐光をあげた。すばるや参の星が緑や橙にちらちらして呼吸をするように見えた。

 その栗の木と白い雪の峯々にかこまれた山の上の平 らに黒い大きなものがたくさん環になって集って各々黒い影を置き回々教徒の祈るときのようにじっと雪にひれふしたままいつまでもいつまでも動かなかった。 そしてその雪と月のあかりで見るといちばん高いとこに小十郎の死骸が半分座ったようになって置かれていた。

 思いなしかその死んで凍えてしまった小十郎の顔はまるで生きてるときのように冴え冴えして何か笑っているようにさえ見えたのだ。ほんとうにそれらの大き な黒いものは参の星が天のまん中に来てももっと西へ傾いてもじっと化石したようにうごかなかった。

底本:「風の又三郎」角川文庫、角川書店1988(昭和63)年12月10日初版発行 https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1939_18755.html

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他山の石(=ターザンの新石器)

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