かならずよんで ね!

後編:コロナの時代の愛

Eros in times of pandemic

池田光穂

太初に言理(λόγος)あり、言理は愛(αγάπη)と偕にあり、言理は愛(Ἔρως)なりき- 改造ヨハネ福音(1:1)

承前)コロナ時代の愛?!なんじゃ?!と人は驚く ことだろう。人騒がせなことにコレラとコロナの地口(駄洒落)のタイトルは、ある金融系の財団の2025年の大阪万博を見据えた健康問題を考えるセミナー 講演のものとして僕が意図的に選んだものだった。ガルシア=マルケスの小説のコレラの時代は老いらくの恋の奇矯さ——性愛表現もあるが高齢未亡人がその恋 人の入れ歯を洗ってあげたりボタンつけをする情景描写が秀逸に思える——を謳ったが、コロナの時代の愛もその奇矯さおいてはひけをとられない。三密に代表 されるように、一番大切な人と最も距離をとらなければならないからだ。

 BBC英国国営放送局が、コロナ流行期の性行為は 後背位がいいとか、ベッドの中でもマスクは着用したほうがいいと真面目に報道する始末だ。つまり最愛の人には感染リスクに曝してはならないということだ。 妊娠や去勢されるという難局を乗り越えて聖職の道に復帰してエロスなのかアガペーなのか分からない歴史に残る恋愛を成し遂げたアベラール(1079- 1142)とエロイーズ(1100?-1164)の至上の愛よろしく相手を思う気持ちこそが何よりも大切になったのである。使徒パウロのコリント信徒への 第一の手紙(13:13)「最も大いなるものは愛である」こそ、コロナの時代にふさわしい文言である。

 講演では海外のノーベル賞の向こうを張って日本の 歴代二番目の受賞者である川端康成の短編小説「眠れる美女」に登場する江口老人を取りあげる。解説をした三島由紀夫は「形式的完成美を保ちつつ熟れすぎた 果実の腐臭に似た芳香を放つデカダンス文学の逸品」とまで絶賛する。三島も言うように、これは若い女性とただ添い寝をするだけという江口老人が、その刺激 を受けて自分の過去の性愛経験(ヰタ・セクスアリス)を夢に見るという経験を描写する屈折した純文学である。

 コロンビアの老人たちの恋愛と、日本の社会的地位 のある老人の妄想愛(まさにイメクラ)にそれぞれあるものとないものがある。前者には性交を含めた情交があり、後者にはそれがない。また前者は男女の具体 的な恋愛だが、後者は無意識にまで分け入る抽象的な性愛の世界である。そこから、敷衍して会社の役員や経営者などが多い金融系の講演会で、日本のかつての 経済的パワーとはこのような相手のいない観念による一人相撲のような性愛だったのではと(猛省を促すつもりで)投げかけるつもりであった。ダイヴァーシ ティの時代、若年者も高齢者も男女が平等に社会参画する時代には、ガルシア=マルケスが描いたコレラ時代の愛こそが我々に「ふさわしいもの」なのだ、と。 だが僕の講演内容を事前に察知した事務局は、内容が趣旨に「ふさわしくない」という理由で翻意を僕に求めてきた。私も初老とはいえ立派な大人であり小さい ながらも大学の施設長でもある。事務所の趣旨に沿うこの趣旨を組みながら無難な内容(プランB)に差し替えた。

 読者の皆さんよ、ご心配ありがとう。だが、ちゃんとHP(http://bit.ly/3fxL092)にその内容(プランA)を掲載し、YouTubeに動画(https://bit.ly/3ngujBR)を掲載してある。ご覧アレ!!

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