かならずよんで ね!

解剖をめぐる二群の短歌

Contrapuntal Reading of Two Poets

Anatomy lesson of Dr. Willem van der Meer by Michiel Janszoon van Mierevelt, 1617, レンブラントの「テュルプ博士の解剖学講義」は1632年に描かれる

池田光穂

明石海人と松岡秀明の対位法的読解を試みよ!

ただし、両者の間には、短歌の歌人という共通点しか ない。明石海人は野田勝太郎(1901-1938)という夭折したハンセン病歌人。松岡秀明は、現代の医師(それゆえ医学生時代の記憶をもとに「解剖棟」 という和歌の連作がある)で文化人類学者である。

明石海人(Akashi Kaijin, 1901-1938)
 松岡秀明(Hideaki MATSUOKA, 1956- ) 「解剖棟」より
 脳髄の空地に針をたてながら仙人掌は今日もはびこる

 頭蓋骨穿いてしまへばわが脳は襞はうつくしく畳まれゐむ(天秤)

 あるときは神も悪魔も光らせしこの目の球と手にのせて看よ

 夕暮の臥床に聞けば君を焼く火葬場にたつ賛美歌のこゑ

 春はやき蚊の声ありて信吉の灰となりゆくこの夜は深む

 遺されて机の冷たみに頰あてつつ涙のごはず

 身につけて帰るべかりしその衣は遺骨の壺に添えて送らむ

 椿咲く島の御堂の朝たけてせりもちにさす翳のしづけさ

 置く露のつめたきばかりこの朝のつばき白花もの寂びにけり

***

 指針尖に脳の重さの顫(ふる)ふとき黄金(きん)の羽蟲は息絶えにけり

 吉丁(たま)蟲の羽根に砥石を炷(た)きながら喪はれゆくひかりに贄す

 童貞童女黄泉の磧(かわら)になげくとも泰山木のはなはしづかに

 黒い眼鏡の奥に見てゆく森の路片眼見せたは魔法つかひか

 しづしづと霧が占めくる巷には朝を失くして鳴かぬ玄鳥(つばくら)

 ひたすらに病む眼いたはるひとときの想にのこる爪のいろなど
 実習を行なふ棟は空母のごとし 遺体二十五われらを待てり

 分けらるる者と分く者対面し解剖棟に気圧低下す

 「通過儀礼」人類学で習ひし語解剖学者黒板に書く

 男女女男の八つの眼 解剖台に向かえるわれら

 真新しき木箱開くれば肋骨を切るための鋸びらびら光る

 回盲部に探しあてたる神経の光見紛ふ古き白磁と

 解剖棟出でてラークに点火せし白衣のわれの二十二の秋

 大腿骨その骨頭の球形の巧みなる弧に神見出せり

 一日のノルマ手早く終はらしめ廻り道して花をば買わむ

 わが横でメスを動かせる相棒は裁縫上手な大阪女

 迷ひたる細き血管探りをり向かひの君の胸乳見つつも

(女医臭う幾度花火くぐりても 三日女)

 「女医臭う」と詠みし女医ありしかれども汝医学生ほのかに匂ふ

 薄暗き庇のベンチ柘榴剥けばふと浮かび来る森の暁

 精液と尿(ゆまり)いづれも通ふ管「よう間違えんもんやな」と嘆ずをとめは

 譬ふれば愛されし後の皮膚の色中庭に群れ朽ちゆく菫

 十五にて肉を知り初む相棒はドストエフスキーばかり好む

 解剖の言葉時には四文字語 交わる前に発語さるれば

 野に花をそしてわれらに永訣を運びゐし秋の陽冷えゆけり

 屋上に登りて望む荒神の頂白く異次元に見ゆ

 遺体への花はやすべて萎れたり実習終わり霙となる夜

海人の短歌は、内田守「二二 死出を飾るもの」『日 の本の癩者に生れて:白描の歌人明石海人』第二書房、1956年、及び村井紀編『明石海人歌集』岩波文庫、所収「解剖室」(同書、,Pp.210- 212)より取った(=引用した)。松岡の歌は、松岡(2016)より。上掲、仙人掌とは、解剖医のことをさす。

光田健輔は、他の医師たちが嫌がった患者の病理解剖 を率先することで、彼を慕う神谷美恵子らから尊敬を受ける(村井 2012:308)。海人の死亡後の病理解剖も光田によりおこなわれ、光田は海人の脳を「1490瓦(グラム)」と記し、日本人の平均を超過すると記して いる。(「跋」『海人遺稿』)引用は(村井 2012:308

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