かならずよんで ね!

アナトモポリティーク(解剖政治学)とバイオポリティーク(生政治学)

De l’anatomopolitique à la anthropologie médicale

池田光穂

ミッシェル・フーコーが、西洋の近代啓蒙時代以降 に、人間集団に介入する政治の問題を取り扱う際に、ソフトな身体をもつ人間の身体を、(1)解剖生理学の論理を用いて「理解」するアプローチすなわち「ア ナトモポリティーク」と、(2)集団の「人種的組成」、国家領域における人口の「移動」、(性科学が深く関わる)ジェンダーによる分類や性的欲望の制御、 精神疾患、処罰と訓育のアンサンブルなどの、人口学や優生学の知見を用いて人口そのものをマスとして「管理統御」する統治の方法、すなわち「(狭義の)バ イオポリティーク=人口政治学」という2つのアプローチを考えた。「理解」し「管理統御」することは、人間にとっての政治学の実践にほからならないために、この2つのアプローチから構成される実践(プラチック)を(広義の)バ イオポリティーク=生政治学とすることができる。

それらのバ イオポリティーク=生政治学が行使されるときに重要になるのは、(1)ア ナトモポリティークの際に重要になるのは、視覚すなわち眼差し(regard)と知識(エピステーメ)のアンサンブルであり、後者の(2)(狭義の)バ イオポリティーク=人口政治学は、数を数えあげることとそれに基づく「計算」による未来予測である。リスク社会におけるリスク管理(マネジメント)の研究と実践は後者の部類に属する。

◎ニコラス・ローズ『生そのものの政治学 : 二十一世紀の生物医学,権力,主体性』法政大学出版局, 2014年

【書籍紹介】「19世紀以来、国家は健康と衛生の名 のもとに、人々の生死を管理する権力を手にしてきた。批判的学問や社会運動が問題視したこの優生学的思想はしかし、ゲノム学や生殖技術に基づくバイオ資本 主義が発展した21世紀の現在、従来の批判には捉えきれない生の新しいかたちを出現させている。フーコー的問題を継承しつつも、病への希望となりうる現代 の生政治のリアルな姿を描き出す、社会思想の画期作。」

第1章 二十一世紀における生政治

第2章 政治と生

第3章 現れつつある生のかたち?

第4章 遺伝学的リスク

第5章 生物学的市民

第6章 ゲノム医学の時代における人種
1.(無題:はじめに)292
2. 人種と生権力 303
3. 差異のゲノム学 312
4. 健康研究におけるエスニシティのカテゴリー 319
5. 生社会性(biosocialblity)324
6. ゲノム学的なアイデンティティとエスニシティ 328
7. 薬理ゲノム学と製薬産業の人種化333
8. 結論——人種と現代の生権力 340
++++
・「出アフリカ」以降の研究は、多くの人たちのからの遺伝情報を得ることで、数おおくのゲノムに関する情報を得られるために、製薬会社や医学者が、必死になって情報を集め、また日々解析している(ローズ 2014:295)。
・またこれは、人種概念の科学的「再」定義化にも貢献しており、アイデンティティにもとづく人種の主張が科学的に不正確であるのにくらべて、「遺伝学的に有意義」だという(ローズ 2014:296)。
・ただし、一部の遺伝学者がはしゃぐとのとは裏腹に、別の同僚たちは、ゲノムの差異を「人種」や「エスニシティ」とみなすことに反対し、ゲノムそのものに 焦点をあてるべきだと警鐘を鳴らしている。たとえば、薬物に対する感受性は、DME 対立遺伝子頻度を調べるほうが「民族」差で一括りするよりも安全だと主張する(Wilson et al. 2001)。
・病気の発症原因を遺伝子に関連づけて、「人種」差にもとづいて、その予測ができると主張することは、現時点では不明確であり、また、予言と治療は別の次 元の話で、そのことを不案内な素人に吹聴することは、逆に、専門家としての研究倫理に照らして不当であるという意見もある(ローズ 2014:320)
・仮説的な存在者は、なにか別なものを持ち出されて調査される時には、実在化されてしまう傾向をもつ(ハッキング『表現と介入』)323。
第7章 神経化学的自己

第8章 コントロールの生物学

あとがき ソーマ的倫理と生資本の精神


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