バイオポリティクス
"Biopolitics"
現代用語におけるバイオポリティクス(生—政治学, 生物政治学, biopolitique, biopolitics)は、米本(2006)によると、およそ4つの用語法がある。つまり、ある議論の中で、バイオポリティクスを定義する場合には、そ れらのうち、どれを意識しているのかを明確にしないと、聴衆に混乱を招くことになる。
(1)後期ミッシェル・フーコーによる、ア ナトモ・ポリティークの対語としてのバイオポリティクス (→「フーコーの生権力論」)
(1’)いわゆる前期フーコーの『臨床医学の誕生』にみられる、19世紀における「まなざし」の問題
系(→「臨床概念の誕生」)
(2)政治学的現象を説明する際に社会生物学や進化生物学の理論を援用する議論としてのバイオポリ ティクス
(3)ヴァンダナ・シヴァが提唱する先進国の多国籍企業が開発途上国の住民をもつ「豊かな生物多様 性」をさまざまな技術や法的手段を行使して搾取するバイオパイラシーを正当化させる、グローバルな政治的枠組みを指示することばとしてのバイオポリティク ス
(4)先端医療や生物技術を行使する政策としてのバイオポリティクス
さて、そのようなことを踏まえて21世紀のバイオポリティクスにはどのようなものがあるのか?(→「研究ノート:バイオポリティクス」)
私たちは(ピコ太郎のように)バイオ+ポリティクスと考えるよりも、生命や生活をめぐる政治学 (politics of life)あるいは健康をめぐる政治学(politics of health)などがつまった、生命に関する事柄の政治学をバイオポリティクスと考えたほうがいいだろう。
さまざまな目新しい話題がある:医学の領域拡張、健康を維持進展させる技術、医療専門家の活躍(市民運動、 法・司法、生命保険業務、診断情報の普及)、医学の自然科学技術化、生物医学市場の拡大、医学の発見や真理が資本に直結、生命経済 (bioeconomy)などなど。
せんじ詰めれば、生政治の時代のリベラリズムのもとで、各人がさまざまな健康や身体の能力を向上する手段を使って、いかに「能力」のある自己を形成するかということである。その能力の形成は、「自己への配慮」よりもなお、「他者への自己の有用性の提示」にあるように思われる。
◎コロニアリズムとバイオパワー
Hawai‘i was a
singularly biopolitical space under martial law by examining public
health, colonialism, and military occupation in ways that animate and
complicate Michel Foucault’s theory of biopolitics and its technologies
of rule that “‘make’ live and ‘let’ die.”3 I argue that the extended
period of martial law transformed the wartime “state of emergency” into
a technique of governance, through which the military state’s
suspension of constitutional rights permitted the administration of
life through compulsory medical programs. Hawai‘i was not only a
military outpost but also a colonized territory in which the US
accumulation of capital, land, and natural resources had historically
been dependent on Indigenous displacement. After a settler colonial
history in which disease itself had been complicit in the deaths of
many Native people, the pressures of wartime mobilization now made it
necessary for the military government to “include” Native Hawaiian life
in its administration of health. During wartime, the state and defense
industry targeted the optimal health of all lives—white, Asian, and
Hawaiian lives—even as it perpetuated militarized racial logics that
demonized Japanese immigrants and settler colonial structures that
naturalized white possession and denied Native sovereignty.4
Accordingly, this essay contributes new understandings of how
scientific rationality—and its monopoly on definitions of life and
death— produces knowledge that legitimizes racial, colonial, and
military projects. |
ミシェル・フーコーの生政治の理論と「生殺与奪」の支配の技術を生か
し、複雑にする方法で、公衆衛生、植民地主義、軍事占領を検証することによって、ハワイはマーシャルローという緊急事態状態の下での特異な生政治的空間
だった。私は、緊急事態状態の長期化によって、戦時中の「緊急事態」が統治の技術に変化し、軍事国家による憲法の権利停止によって強制医療プログラムによ
る生命の管理が可能になったと主張する。ハワイは軍事的前哨基地であると同時に、米国による資本、土地、天然資源の蓄積が歴史的に先住民の移住に依存して
きた植民地であった。入植者の植民地時代には、病気そのものが多くの先住民の死の原因に加担してきたが、戦時動員の圧力により、軍政府はハワイ先住民の生
活を健康管理に「含める」必要が生じたのである。戦時中、国家と防衛産業は、白人、アジア人、ハワイ人のすべての生命の最適な健康を目標とした。たとえそ
れが、日系移民を悪魔化する軍国主義的人種論理と、白人の所有を自然化し先住民の主権を否定する入植者植民地構造を永続させても、である。したがって本論
は、科学合理性とその生命と死の定義に対する独占が、人種、植民地、軍事プロジェクトを合法化する知識を生み出すという新しい理解へ貢献するものである。 |
https://muse.jhu.edu/article/652573 |
www.DeepL.com/Translator に加筆修正(データとして提供) |
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生命像をめぐる変化:分子化、最適化(未来の統治)、主体化、専門家、生命経済、身体的倫理、生命資本(バイオキャピタル)
分子における生命政治:イメージング、アニメーション・イメージ、進化生物学、進化医学、エンボディメント(具体的神体化)、生命(観・主義)
生命の操作:新デカルト主義、感受性と最適化の政治学
感受性:DNA鑑定、分子的アイデンティティ、生物学的市民(biological citizenship)、ゲノミクス、バイオ・インフォマティクス、生物学的決定主義、ゲノム・ワイド関連研究(Genome Wide Association Studies, GWAS)、リスク、前徴候疾患(Presymptomatic illness)、無徴候疾患(Asymptomatic illness)、スクリーニング
福利、福祉概念のバイオ化
生物社会性(biosociality):生命倫理、研究倫理、
専門職領域の拡大:医療化、バイオ化、知識基盤バイオエコノミー(Knowledge Based Bioeconomy, KBBE)
バイオデザイン:遺伝情報の国際政治利権化
バイオキャピタル:生命産業の成長、バイテク(バイオテクノロジー:生命技術)
心理学のバイオ化:学習障害、アスペルガー症候群
Lebensfűhring(M・ウェーバー)生命のリーダーシップ
ビオス(=バイオ)とソーマ:ビオスとゾーエ、ホモ・サケル(→「エキスプレス=アガンベン用語集」)
リンク(フーコー関連)
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文献
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